1月
09
渋滞

昨年末、我が家から至近距離に巨大ショッピングモールが出来た。それまでのんびりとした田圃が広がっていたところに。
さすがに便利になった。歩いて数分のそこに行けば何でもある。映画館も。無いのは釣具屋くらいか。

思ったほど騒音は無い。
しかし、やはり周辺は車の渋滞。平日はまだしも日祝祭日は酷い。
我が家周辺は多少はましかもしれないが、四方八方からめがけて押し寄せてくる車の多さはとんでもない。
WEBサイトでは駐車場待ち90分などと表示されているのに、どんどん渋滞の後ろに並んでいく。
お行儀良く渋滞に並んでいるのでさえ地域にとっては迷惑な話なのだが、あちこちの既存の店や公園の駐車場に「ここは○○の駐車場ではありません。」と看板が立った。大迷惑を被っている人達も居るんだな、きっと。
そのうち渋滞を抜けようと住宅街を右往左往する車もでてきて交通事故も増えるか…。

おかげで出かけたり帰宅したりする時間を渋滞の様子を見て調整しなければならなくなった。正直めんどくさい。いや、「なぜそんなことに気を遣わなければならないのか」と鬱陶しい。特に本日は、開店初日の大渋滞に次ぐような大渋滞であった。大雨なのに。

得る物と失う物。バランス取るのは難しいなぁ。

12月
10
コンサート

今年は、このところずっっっっとご無沙汰していた「コンサートを聴きに行く」ということを、何度もした。
しかし、ショー、リサイタル、大小のオケなどを聴いて、やはりどうしても演奏されている音楽の世界に純粋に入り込んでいけないことを感じた。

理由ははっきりしている…と思う…。それがご無沙汰していた原因なのだが、再認識してしまった、というのが正直なところ。

そして先日、またもう一つ別のコンサートに行った。歌メインなのだが伴奏が14人の小さなオケ。
そしたら、今回はなんだか心の琴線に触れた。大いに心が動いて幸せな気分に包まれた。今でもまだ余韻がある。
歌はもちろん素晴らしかったが、オケも大変素晴らしかった。暖かいのだ。生きているのだ。

こんな気分になったのは、かつて、友人の結婚披露のパーティで新婦本人が歌った歌を聴いた時以来かも知れない。

きっと、歌(音)を通してもっと別のものを聴いたのだろう。そして、だから自分は音楽が好きなんだな、と強く思った。

素晴らしいコンサートをありがとう。
かけがえのない、星ふる夜のクリスマスプレゼントでした。

11月
22

今年は柿が一つもならなかった。
今までも隔年で豊作と不作が行ったり来たりしていたけれど、全くないのは始めて。

で、先日気がついたのだけれど、それは我が家だけではなく近所が軒並みそんな感じだ。
渋柿ですらなってない。
少しは実がつきかけたが、早い段階で全部落ちたのだ、とも聞いた。

そうなってしまった条件はなんだろう。
猛暑?日照?降雨量?
不思議です。

11月
19
スローガン

エルシステマのスローガン
「奏でよ、闘え!」
について、突然に何か腑に落ちる感じがした。

ようやく気がついたみたいだ。
「闘う」とは相手を倒すことではなく、自分自身に決着を付けることだ。

そうか、闘っていないな。いろんなことがモヤモヤなままだ。

これでまた少しだけ前に進める。

8月
07
一区切り

6月に入ってから休み無くずっと続いていた吹奏楽コンクールへ向けての様々な取り組みが一区切り付いた。

多くの団体に関わるので、それぞれの個性とがっつり組み合って真剣勝負していると体力的に苦しいと思うときがごくたまにあった。(年齢のせい??、いやバンドのレッスンはパワーがいるのだよ!)
それでも、真剣に対峙して若い人達からたくさんのパワーもいただくから、次の日また同じように活動できる。ありがたいことです。

順調に出来たところ、準備に手間取ってしまったりなかなか思うようにいかなかったところ、逆に思った以上の成長を遂げたところ、様々だけれど、どこの誰もが、若くてしなやかな感性に何かがしっかりとどまって、この先の力になることは間違いないと思う。
そして、私はいつもそんな皆さんからパワーいただく。
 

今年も様々なエピソードがあるのだが、今は一つだけ書き記そうと思う。
N高校の付箋

(たまたま見つけて暗いところを急いで撮ったからか、ピンぼけで何かよくわからなくなっちゃった。)
これ、シーズン当初レッスン開始する時に「こんな事やると良いよ」と紹介する、コンクール課題曲・自由曲のダメだし表。
練習時の未解決ポイントを生徒達が自ら付箋に細かく書いて貼っていく。問題点の指摘表だ。解決したら剥がす。

詳しい説明は避けるが、これがきちんと運営出来るバンドは必ず伸びる。

もちろんこの表は「音が合い」「音楽が揃う」ことを目指すためにある。だから、そのだめ出しを指導者が全部していけば同様の効果はあるだろう。いや、むしろそちらの方が効率的かな。
しかし、大切なのはそこに至る道筋をバンドのメンバー達が自ら組み立てることにあると思っている。問題点を指摘することだけにとどまらず、改善のための練習を各々が組織することや、その成果を相互評価することまで、この表は含んでいる。
若い人達にとって、自分以外の者に対して「問題点を指摘する」という行為はかなりハードルが高いらしい。個人的事情を越えて関係者を集め指示をし問題点を解決していくのはさらにハードルは上がる。さらに、そのことを全員の目にさらされながら行うのだ。
集団がきちんと運営できていないとこの表は成り立たない。
だから、練習場のどこかにこの表があると、高いハードルを越えようと皆が強い意志で同じ目標に向かっていることを感じ、すごく嬉しくなる。

上の写真は今年の、ある高校バンドのもの。
やはり、素晴らしく良い演奏をした。練習も皆前向きでとてもスムーズだった。コンクール的にも県代表選考会という本番まで快進撃した。

そうそう、久しぶりに県代表選考会(高校)に行って改めてすごいなぁ、と思った。
グランドハープ2台、チェレスタ、コントラバスーンに、コントラバスクラ、コールアングレ…。ウィンドマシン始め打楽器の楽器クオリティも凄まじい!そんなバンドばかりだった。私立のみならず県立も!!!
一方、愛すべきその高校は、ハープ・チェレスタ有るわけ無い。コールアングレはおろかオーボエすらない。バスーンもない。メンバーでない1年生に至っては担当楽器の不足で別の楽器で練習、しかも交代で!のような、強豪校とは全くかけ離れたごくごく普通の学校なんだな。

本番のアクシデントはそれなりにあっただろうと思う。良くありがちな「吹けてないところは吹かなくて良い」「傷は聞こえないように隠す」の発想は微塵もないから、コンクール的には聞く人にとって印象が良くないこともあったかもしれない。
しかし、全員が音楽の喜びを感じながら、表現という領域に達することが出来た素晴らしい演奏であったと確信する。それは一つの大いなる目標に向かって全員が主体的に精一杯発揮し、しかも誰一人臆することなく音楽に参加していることの証明だ。

そんなバンドの演奏に関わる出来て、今年も絶大なるパワーをいただいた。
本当にありがとう。
もちろん、今年はこのバンドだけでなくそのような展開のバンドが多くあった。それぞれが力を発揮し、音楽をする意味を確認できるような、素晴らしい事が多かった。

ここまで私が音楽や吹奏楽を続けてこられているのは、そんなバンドで頑張っている若い人達がいるから。
本当に心から感謝します。

ありがとう。
ありがとう。

7月
29
虫の音

昨晩、こおろぎの音を聞いた。
今年の初。(と思ったけど、数日前より聞こえていたみたい。)

ここ2、3日いわゆる酷暑ではなく、30度を少し超える程度の案外過ごしやすい日が続いている。

とはいっても、ようやく7月が終わる頃合い。まだ秋には遠いよなぁ。
蝉時雨は全盛だし。

7月
23
どうしたい?

「あなたはどうしたい?」

私が多発する質問。
「このメロディ、どんな風に演奏したい?」みたいな場合。決して一つの正解を求めているわけではなく、その人がどんなことを考えていて、何を目指しているのかを知りたいだけ。それが判れば、「だったらこうしてみたら?」と次に続けることが出来るから。

しかし、それに慣れていないと押し黙ってしまうことも多い。
判らないのなら、「どうしたらよいか判らなくて困っているんです」みたいな事が返ってきても良さそうなのに。
どうしたいのかが判らないのではなく、「その質問の意味がわかりません」なのか。普段、「自分がどう考えるか」ではなく「与えられた指示をどうこなすか」に一生懸命、ような…。

聞き方を変えて「これとそれ。どっちが好き?」にしてみた。どちらかが正解ということではないんだけどね、という前振りの後に。
何もないところから自分の考えを言ってもらうのではなく、あらかじめ選択肢を与えてからの意見を求めたのだけれど、それでもなかなか意思表示に至らなかった。
感じてないはずはないだろうから、それぞれ自分の感じたままに伝えてくれたらいいのに、と思うのだけれど、なかなか上手くいかないねぇ。

で、そんなやりとりばかりしていると時間が掛かって数日後の本番に間に合わないので、こちらから「この場合はこうしたら良いんだよ」と言うと、正解を得て安心したように案外きちんとそれに従っていく。

もちろん「何故そうなるのか」をちゃんと説明する。
時間が掛かって申し訳ないけれど、それが少しずつ積み上がって自分の物になっていってほしい、と願いながら。

6月
17
車検

先日、車検終了した。

一ヶ月ほど前、高速道路走行中に飛び石でフロントガラスにひびが入った。ひびは次第に広がり、そのままでは車検に通らない。
イタイ出費だなぁ、と思いつつ、自動車修理屋に託した。
託してから思いついた。
「あ、保険が使えるかも!」
代理店にも確認した。

修理屋に連絡したら、既にガラスはめ替えちゃったらしい。仕事早い!
「え、保険?修理前の写真撮ってないよ。もうガラス屋さん、持ってっちゃって処分しちゃったみたい。無理じゃないかなぁ。」
ああ万事休すだ、と思いつつ、念のため保険代理店に「何とかなる?」って聞いてみた。

実は、車に乗り出してから今までずっと同じ代理店にお世話になっている。毎年更新時には必ずお会いして保険のことだけではない様々な話題で盛り上がる。

彼は「なんとかしてみるわ」と言い、「そんなこともたまにあるから…」と実際になんとかなった。
無理だと思っていたことが出来てしまった!

入っている保険が安いのかどうか、実は余りよく知らない。たぶん、もっとリーズナブルな通販保険は有るんだろうと思う。
しかし、ちゃんと人が動くと別の安心が生まれる。そしてその安心は金額では表せない。
そもそも保険ってのは、何かあったときの安心感を買うのであるから当然といえば当然なのだけれど、その当然が何のよどみもなく進んでいくためにはそれなりの人の力がいるって事なんだよな。
ありがとうございます。

4月
16
5年前

と同じ感覚。
まずは、何かしたいのに何もできないもどかしさ、悔しさ、を痛感する。
そして、次に(直接関係がない事でも)今自分ができることを一生懸命やるしかない、という覚悟。

西宮市長のFB投稿

なお、出発した部隊のさらに後方の支援をおこなうこと、新たな支援の照会・要請に応えられる体制をとること以外には、日々これまでどおりの仕事を一所懸命することこそが、西宮市役所にできることだと思っておりますので、あらゆる活動に関して自粛等は致しません。

とあった。そうだよな、「日々これまでどおりの仕事を一所懸命すること」が唯一私にできることなんだ。

〜〜〜〜
一方で、先回の経験は生かされているのだろうか…。

TVはNHKの災害報道が付けっぱなしなっている。(釣りビジョンしか見ない私には大変珍しいこと!?)
報道ヘリはやっぱりうるさく飛んでいるらしい。
もっとも自分もTVでその映像を見て事の重大さを知ったりするのだから、全く必要ないとは言わない。でもリアルタイムな生中継が必要なほどでもないだろう。
それって現在はドローンでできるのではないの?人名救助とか物資運搬とかじゃなくて単なる空撮でよいのだから。何よりヘリより決定的に静かだ。しかも無人、自動操縦で。危険なところへも飛んで行ける。
番組見てると(釣りビジョンですら)とても効果的な空撮映像撮れてるよ。人間が行けるところまで手で持って行けるし。

も一つ。
災害放送のなかで川内原発の話題はほとんど無い。本当に稼働中止の必要がないのなら他の話題と同じように繰り返し流せばよいのに。少なくとも私は放送の中で一度も目にしていないので、放送できない理由がどこかにあって「きっと圧力掛かってるんじゃないの?」って思う。
とにかく、地震が収まってからまた考えればよいことなので「今は止めておく」べきじゃないのかしら。
こんなページ川内原発を止めてください。も。