4月
23

が痛いことは前に書いた。
不思議なことに、時間をかけて痛い部分が少しずつ移動していく。
なんとなく、末端に向けて進行していくのかな、と。

今は、首周りは大丈夫。ぐるぐる首回しても痛くない。
首に近い肩も案外大丈夫。背骨周りも。こってはいるけど。肩を回すことも以前に比べて大丈夫。
まだまっすぐ横に、上に、とは上がらないけれど、痛くてダメではなく、堅くなって止まってしまう感じ。少しずつ動かしていくことが大切なんだろう。

今、一番痛いのは、腕の付け根。しかも体の前。何故こんなところが?って。
困るの常に痛みがあるのではなく、急激に差し込むように痛みが走る。ひどい場合はけいれんのようにびくっ!っと来る。瞬間力が抜ける。
次は二の腕。少し力を入れると痛くなる。そして脱力感だ。
だから、棚の高いところにある重量物の上げ下げのような動作は困難。
 

運動不足は確実なので、様々工夫して体中を動かしているつもりだけど、痛いからどうしても億劫になって良くない。
集中力も散漫でじっくりと物を考えるのも上手くいかない。
そんなこんなで大掃除を始めたのだけれど、すぐ休憩となる。

ま、ゆっくりやりましょうか。

4月
22
捜し物

とは面白いもので、躍起になって探してもどうしても見つからないことが多い。

DENONのDAT、DTR-80Pという機械の電源アダプターが見つからない。
つい最近、そこらに転がっていて「邪魔だなぁ」と思った記憶があるのに。

この機械、DATのポータブルで当時案外みんなが持っていた。TEACの大型が調子悪くなったのに、こいつは全然平気でずっと動いている。
しかし電源がなかったら動かないんだよなぁ。

あれ、そういえばポータブルMDプレーヤーのバッテリーパックも無いぞ。
 

一方で、ずっと探していたのに見つからなくて諦めていたものが、ひょんな場所から出てきたりする。
さきほど、今までどうしても見つからなかった楽譜が出てきた。

2001年に書いた「熱烈日本的叙情」という曲のスコアだ。
この楽譜、Macで、しかもLOGICというアプリケーションで楽譜を作成したから、Macが手元にない今となってはデータがあっても開けない。だから印刷され製本されたものをずっと探していたのだ。
最後の数小節を本番直前に書き替えたハズだ。どうやって書き替えたか、詳細な記憶はない。MIDIデータはかろうじて残っていてWinマシンでも再生可能なのだが、書き替え以前のものなのだ。

それが出てきた。
最後の差し替えページも出てきた。
やった。FINALE化出来る。
 

他にどうしても見つからないものはまだ有る。いろいろと。
大掃除の最中なのだが、そのうち出てくるだろう、と放っておくことにした。
(求めすぎると逃げていくからな。)

4月
21
オーディオ

一応音楽が生業の人間なのであるが、最近あまりにも貧弱なオーディオ環境だったので少してこ入れしてみようと思いたった。

どれくらい貧弱だったかというと、例えばCDだったら、DELLの安いPCにそのままCD突っ込んでWindows Media Playerで再生し100円均一のイヤホンで聴く、といった具合だ。笑っちゃうね。

実は機械を持っていないわけではないのだ。一時期はずいぶんこだわったから。
でも、だんだんめんどくさくなって、仕事や勉強で聴くだけだから、実際の生音をいつも聞いているから、所詮機械の音質なんかどうでもいいや、と思って適当になっていたのだった。

まずは、棚の奥に鎮座していたMISSION761という小型スピーカーを引っ張り出しきちんと机の上に置いた。ずいぶん昔になるが、あるひなびたオーディオ専門店で試聴し歌の生々しさにびっくりしながら手に入れたものだ。高価なものではなかったが英国製ではある。とても奥行きのある立体的な音がする。定位感がすごい。
これを鳴らすために珍しいNakamichiのアンプを持っているのだが、入力数が少ないので今回はあきらめた。
ソースはカセット、CD、MD、DAT、それからRolandのR-09(カセットなどはこれに録音してデジタル化しようかと)、さらにPC。
YAMAHAのセパレートオーディオ群がほとんど使わずにあったので総動員し机の横に整列させた。おぉ、カセットもCDのようにトレイが出てきて乗せると吸い込まれていく。DATのトレイのようだ。

今回の目的は、ただ聴くためだけではなく、ソースをできる限りデータ化しておこう、というひそかな狙いもあるので外付けのHDひとつ綺麗にフォーマットしてデータ倉庫にすることに。
手持ちの、大切ではあるが前時代的カセットやMDやDATや、それからCDもすべてHDに入れよう。
そういえば、一番最初のころの定期演奏会は2トラ38で回したオープンに録音していたんだ。その音は少し前にCDに落としてもらったからそれもHDに入れよう。(そうやっておけばもし必要なときが来たらすぐCDに焼けるし。)

さらに、i-Tuneの最新版をDELLに再インストールし準備は大体出来上がってきた。

ついでに部屋の掃除を始めたので、i-TuneによるWEBのストリーミングラジオをBGMで流してみた。
へへへ。案外いけるんだな。

少しは腰を落ち着けて音楽を聴いてみようか。

4月
19
メダカ

の採卵開始。

しかし、案外難しい。
卵を抱いているメダカを網ですくうのが一番難関。

採取した後、付着毛(糸のようなもの)を取りなさい、と書いてある場合が多い。
卵そのものは案外堅く指でころがしても大丈夫な様子。

本日は10個くらい取れたかな。
しばらくは朝の日課にしよう。

4月
18
スクラップブック

4月18日付朝日新聞。
ネットに記事がないか随分検索したのだけれど、見つからなかったので一部を写してみる。

  (4月19日 全文転載にしました。)

くらし考
−−−小林研一郎さんと

■障害者との演奏 指揮すると?

できる すごい
魅力的な音生まれそう
自信持ち高み追求

−−−2005年、プロ、アマを問わない「コバケンとその仲間たちオーケストラ」を設立。生のオーケストラ演奏を聴く機会が少ない知的障害の人を招待してきました。

 最後の音が空気に溶けていく瞬間こそが、刹那の頂点です。僕もつい最近まで、知的障害の人に騒がれて静かなところが聞こえなくなる、という不安がありました。でも、実際に音楽の邪魔をすることはほとんどありません。感動の声だけが僕たちに伝わってきます。それはとてもうれしいことです。

−−−活動のきっかけは。

 初めてハンガリーに渡った1974年、何人かが外で聴いていました。まったく体の自由がきかなかったり、ほとんど視力を失ったりした人たちで、そういう声なき人の声が、活動の伏線になりました。指揮者一人では音楽はできません。ボランティアの演奏者が集まるかどうか心配でしたが。実に心ある人たちが集まってくれました。

−−−3月と4月、障害がある人もオーケストラに加わった演奏会を開きました。自閉症の人もいました。

 一緒に演奏するのは不可能に近いと思っていました。最初の一音が本当にあわず、怒鳴ったこともあります。でも、その怒鳴りがききました。本人だけでなく、周りの人たちにも。
 最初のころ、僕が「こうしてね」と言うと、付き添いの親が答えてしまった。それで本人が孤島に流された感じになるんです。突然しゃべり出す人に「今日はそこまで」と言ったら、静かにしてくれました。子どもの能力は想像以上に高い、と意識した親もいるはずです。

−−−求める音は生まれましたか?

 プロのオーケストラでもできない音をやろうとしてきました。ときどき本当にすごい音になります。みんなの心が一つになったからですし、積み重ねの結果ともいえます。あと3年くらいやると、とてつもなく魅力的な音が生まれてくるいう期待があります。

−−−ノーマライゼーションですね。

 人間はだれでも、一人では生きていけない。オーケストラの中に障害のある人が自然と加わり、健常者も障害者も一緒に支えながら一つのことをやるのです。でも、オーケストラ全体の質がかなり高くなければ、やる意味がない。今は05年よりも実に信じられないくらい高みにいっています。

−−−活動を日本中に広げたい。

 私たちと一緒に演奏できるように頑張ってみようと思ってもらいたいです。東京だけでなく、九州や四国、関西にもオーケストラができたらいい。もっと重度の障害の方も参加してほしい。「この一曲だけなら」「この一曲のこの部分だけなら」でいいんです。

−−−今後も続けるのですね。

 以前は心のどこかに「あきらめ」がありましたが。今は高みを追求しなければいけないことがわかりました。「彼らはできる」と自信を持たない限り、僕は指揮をしてはいけない。僕は「彼らはすごい」と思えるようになっています。
(聞き手・由利英明)

言わずと知れた指揮者小林研一郎氏の記事。
すごいなぁ。
素晴らしいなぁ。

信じること。
どこまでも。
決して忘れてはいけない。

4月
17
毎日

寒い。
風も強い。
特に我が家は風の通り道らしく季節により正面から、あるいは裏手から風が吹き抜ける。

それでもメダカは卵を抱え始めた。
今年は少し勉強して、勝手に水草に付けるのを待つのではなく、1つ1つ採取しようと思っている。
何故かというと、最近同居し始めたカワバタモロコがメダカの卵を気に入ったらしく探して食べているようだから。
卵を持ったメダカを追いかけているようにも見える。

出来るだけメダカを増やして複数ある睡蓮鉢に入れたいから、孵化効率も高めたい。
作業を急ぐことにして孵化用の水槽を設置、水作りを始めよう。
水温が低いと孵化に時間がかかるようだからヒーターも入れた方が良いだろうか。

別に珍しいメダカではなくごく普通のヒメダカ。クロメダカでもない。
もちろん交配して品種改良して…、なんてことを考えているのではない。

一足早く、睡蓮鉢に移住したスジシマドジョウは、底のドロの中に入ったきり一度も姿を見せない。
寒いからかな?
それとも広い世界を夢見て水のない外界にダイブしてしまったかな?

4月
16
普通

って何だろう、って考えた。
今、普通である事の価値は随分高いらしい。

しかし、人ってそれぞれ唯一無二だろうが。それぞれが特別な存在ではないのか?

「普通」が大切でないとは決して思わない。
しかし、「普通」というレベルを目指すべき目標にしてしまって良いのだろうか?

そういえば、人と意見が違うことに関して極めて敏感で恐れている、と感じることが良くあった。
「人と違って当然」という、ごく当たり前と思っていることがなかなか伝わらなくて歯がゆい思いを何度もしたな。
「人と同じでなければならない」という強迫観念に支配されているようにしか思えなかった。

ずっと昔、ルーズソックス全盛の頃、
「何故、みんなそんな格好するの?」と聞いたら、
「これは個性の現れです」と答えた人がいた。
「みんな同じ格好してるから、どうしても個性的とは思えないんだけど?」
「いえ、それぞれの履き方に個性があるんです!」
なんだかとってもささやかな個性の感覚にびっくりした覚えがある。

(ルーズでないソックスを履く人に対しては、その個性を認めるのではなく仲間はずれにされてしまうんだけどね。)最大公約数の中にいる安心感なのか。
 

私は人と違う新しい価値を見いだすことが大切だ、という道を歩いてきた(つもり)。

例えば、ものすごい努力をしモーツァルトそっくりの曲が出来るようになった(…それはそれでものすごいことだと思う…私には出来ない…)としても意味はない。なぜならもう既にモーツァルトは存在してしまっているから。クローンは要らない。目指すべきはモーツァルトを超えること、もしくはモーツァルトとは全く違う価値の創造だろう。
例えば、名演といわれるCDそっくりそのまま演奏が出来たとして、それは「勉強」としてとても大切なことだけれど、自分の表現としてはあまり価値はない。その演奏は敢えて自分である必要がないからね。他の誰でも構わない。(上海では盗作騒ぎが起きてるね。)

だから、個とか個性とかの受け止めがどうやら少し違うのかも、という気がしてくる。
確かに、コストがかかるし、そもそもリスキーだからなぁ。

一方、オンリーワンで在ることの大切さを強調したら、ナンバーワンを目指すことからの逃げだ、と強烈に非難されたこともある。(いや、確かにそれも判るけれど、そういった意味じゃなくて…)と思ったものの、その時はきちんと説明できなかった。
そんな私でも、「普通が目標」という意識はやはり「逃げ」に感じる。
 

百歩譲って、「『せめて』普通でありたい」、なら理解できると思った。
昨日、TV番組を見ながら考えたこと。

4月
13
居心地

が良いのは快い。
しかし良すぎるのもダメなのかも知れない。停滞してしまうから。
次に行くことが大切だとしたら、居心地の良い場所からどうやって離脱しようか。

考え方は二つ。
一つは、実は現状居心地が良くないからもっと快適な場所を探したい、と思うこと。ごく自然だ。
もう一つは、今も居心地悪くはないけれど、もっと快適な場所があるはずだ、と敢えて飛び出すこと。少し勇気が要る。

自宅から出て一人暮らしを始めること。
ある政党を飛び出して新党結成すること。
住み慣れた所から見知らぬ土地に引っ越すこと。
親しい人がたくさんいるコミュニティを出て見知らぬ人ばかりの集団に属すること。

緊張と緩和。
ストレスと解放。
ドミナントとトニック。

ストレスがあるからこそ解放に指向するのであって、ストレスは悪だから無くせ、とは少し違うような気がする。それだと、いわゆる平和ボケと変わらなくなってしまうのではないか。
お腹いっぱいだともう食べたくない。「空腹とは最高のスパイスである」 は言い得て妙。
1コード(1つの和音)だけの音楽は、ある1つの状態を表現できるかも知れないけれど、ダイナミックなドラマを表現するのは苦手だ。
友達同士みたいな気楽な家庭だと、敢えて飛び出し苦労して一人暮らししようとは思わないのかも知れない。

現状から飛び出すのには背中を押してくれる何かが要るのだろう。
誰だって居心地の良いところから外に出たいとは思わないから。

そういった意味で特に若いうちに、出来ればそこにいたくない、チャンスを見て飛び出したい、(しかし大切な何かを得ることの出来る場であること)という状況に在るのは、とても貴重で大切なことなのではないか、と考えた。

4月
12
試算

高速道路の料金が変わるらしい。

今まであったETCの特別割引きもなくなるようで、通勤割引きとか深夜割引きとか、仕事で毎日近距離で高速道路を使う人にとってはとてもありがたかったのだけれど。
ま、今さらなのであまり影響はないが。
 

私は、毎日の通勤で名古屋瀬戸道路:長久手IC〜東名高速道路:豊川ICの往復をしていた。
朝は通勤割引き、帰りは通勤割引きが効く時間だと良いのだけれど、なかなかそうも行かず遅くなって夜間割引きもしくは深夜割引きが適用されていることがほとんどだった。

で、割引きが無くなるとどうなるのか、と思い試算してみた。

長久手IC〜日進JCまで ¥100 日進JC〜豊川ICまで ¥1550 合計 ¥1650 往復で ¥3300
ほぼ休み無し毎日 一ヶ月30日だとして ¥3300×30
をぉ。すごいな。ほぼ¥100000だ。
通勤と深夜の割引き率は5割だったから、この差はとてつもなく大きい。
休日割引きで名古屋瀬戸道路も¥70になったりしてたから、ちっぽけだったけど恩恵はあった。

かたや遊びに行く遠出は安いまま。値上げだって言うけれど上限¥2000だぞ。
なんか間違っていない?
渋滞は酷いし。すぐ事故で止まるし。豊田JC付近は日本中で一番日常的に混むんじゃないのか?
これじゃ勤労意欲無くなるよな。

ついでに。
距離は片道だいたい65km。燃費が7.5km/リットル。往復消費量は約17.5リットル。
ガソリン(レギュラー)¥130/リットルだとして、一日¥2250。 一ヶ月で¥67500。
へぇ〜。一体何やってたんだろうね。3年半も。

時間は渋滞無ければ、ほぼ1時間。
一方、公共交通機関だと歩きを入れて2時間半強。もちろん片道だから往復5時間の計算。
当時、時間を金で買う、と思っていた。疲れたらSAに停まって車内で寝れたしね。

4月
11
手紙

が昨日届いた。
この3月TSWを卒業した人達から5通。
ありがとう。

私がやりたかったこと、やりたいこと、目指したいこと、様々見えてきているようで嬉しい。
さらに心底判るようになるのにはもう少し時間がかかると思うけれど、最後までやりきった人達なのだから必ず。じわじわと。

やったか、やらなかったか、の違いは時が経てば経つほどはっきりと。
種がなければ決して芽は出ない。しかし、あなた達は開墾され種蒔きされたのですから。