9月
08
ある楽曲を

調べるために、その管弦楽原曲CDをネット通販で入手した。ポケットスコアも別の通販で。
両方とも頼んでから3日ぐらいで到着した。代引きなので、玄関先で支払うだけ。

便利な世の中になったなぁ。と思う反面、実店舗は無くなる、あるいは私が欲しいようなものの売り場はどんどん縮小されてしまうのも事実。
実はその数日前に近所のCD屋をハシゴして見つけられなかったんだ。だから普段あまり買うことのない吹奏楽のコンクール全国大会CDで急場をしのいだのだ。

で、ついでだから聴き比べ。

始めに全国大会版を聴いた。なるほど、全国大会だ、という演奏。
うん。上手いよ。個人もアンサンブルも。破綻をきたさないし丁寧だ。しかもスキがない。

一方、オケの方は…。
フィルハーモニア・フンガリア、棒はドラティ。
ん?所々音程悪いし、合わないところある。
日本のコンクールだと何やらかんやらダメ出しされてしまいそう。

でもね。
音楽的にはこちらの方が格段に素晴らしいと感じるのだ。

何故だろう。何故そう感じるのかな。自分でも説明ができない。
同時に買ったキーロフ歌劇場オケ・ゲルギエフの春祭やロシアの名曲集でも同じように感じる。

嫌いな人はきらいだろうな。
普通は解りやすい技術の優劣やできあがりの正確さで判断するだろうから。

音楽の本質はそれだけとは限らない。その背景にある心の豊かさとか、生きている価値とかがにじみ出てるのかも知れない。
とは言っても確かめることは難しい。目に見えないし、定量化できないし。定量化できないことなんか誰も見向きもしてくれない。
 

が、しかし。
夏休み中のNHKラジオ『夏休みこども科学電話相談』で
「なぜ楽しいときは時間が経つのが早いのですか?」
という質問に対し、見事に科学的に証明していたのは印象的だったなぁ。
どんな説明するんだろう、と興味津々だったが、脳科学の実証データに基づいた明快な説明だったよ。しかも小学生にもわかるように。

見えないことだから、解りにくいんです! と開き直ってばかりじゃダメだ。
勉強しなけりゃな。

9月
07
歯医者に

いった。

歯が痛いと全然ダメだ。頭痛よりもタチが悪い。
なにしろ、歯を食いしばれない。
集中力はどこへやら。

食べることが億劫になる。

ようやく本格的に直すことになる。
幾つも大きな穴が開いているので時間がかかりそうだが、ここで一気に直しておきたい。

当たり前だが、歯医者もIT化が進んでた。カルテだってレントゲン写真だって、治療台の横にあるモニターにすべて映し出されている。タッチパネル化してるので指先でチョイチョイと拡大したり。

これから足繁く通うことになるんだな。
よろしくお願いします。

9月
07
立ち位置

が見えていない人がいる。もちろん自身の立ち位置のこと。
周りの状況や人の気持ちの流れが見えないんだろうなぁ。それでは「何様のつもりだ!」と思われてもしょうがない。

教育の課程の中でなら、理解させ行動させることはとても重要だし責任もってすべきことだろうが、今は既にその状況ではない。もっとも、見えていない人にいくら言ってもわかりっこないだろう。それでずっと苦労してきたのだから。その苦労の挙げ句の果てが今の状況だ。だから今、その見えていない人の問題が突然解決することはまずないだろうとは思う。(しかも一番大切なテクニカルスキルは決して高くない。いや、低い。)

でも、やっとその呪縛から逃れられそうな状況になってきたのに、再度のしかかってくると誰もが辟易する。全く関係のないところも巻き込んでとんでもなく不愉快になる。

「誠意だ、好意だ、と勘違いしているのだから」というフォローは無用だ。
無知は罪なのだ。勘違いだからこそ罪なのだ。

可哀想に、当事者達は言えないだろうから、あえてここに書いてみる。
「関わらないでください。そっとしておいてください。後生ですから。私たちは私たちの道を歩きます。絶望を乗り越えやっと歩き始めたのです。今の私たちにあなたは必要ないのです。その道は歩きたくありません。今後必要になったらお願いすることもあるかもしれません。それまで遠くでそっと見守っていてください。」

付け足し。
この世界、マナー違反は徹底的に叩かれる。

9月
01
モズが

朝早くから庭で鳴いて賑やか。今朝はそれで目が覚めた。

日中はさすがに暑いが、日が落ちるとコオロギやキリギリスが聞こえだし、風がさわやかに感じるようになる。久しぶりにカシャカシャカシャカシャとクツワムシも。夜の散歩中に聞いたマツムシは、「ちんちろりん」と16分音符だった。最近聞くのは「ちんちろろりん」と三連音符臭いのだが。
もう9月だ。

少しずつ仕事部屋の環境が整備され、落ち着いて楽譜を書くことが出来るようになってきた。
コンピュータのデータも整理しつつ、「こんな楽譜書いたっけ!?」と再発見する事も多い。

そんな事しながら、この数年ほとんど楽譜書いていないことに気が付いた。校歌とか応援歌などの幾つのかのバンドアレンジだけじゃないかな。

全くそれどころじゃなかったからなぁ。忙しすぎて忘れていたけれど色々書きたい物があったことを思い出している。幸い既にいくつか依頼があったりして、着手準備中だ。

8月後半は日中の暑いさなか、ゆったりと近所のスーパーや家電屋を周りながら体と心を整えていたが、そろそろ仕事に戻ろう。少しでもたくさんの若い人達に音楽の幸せを伝えていきたいから。色んなところで待ってくれていると感じている。応えたい。
 

世間は政権交代で何かと騒がしい。テレビで映される勝った顔と負けた顔の対比がとても興味深いね。

そういえば家の前を通り過ぎる選挙カーが「苦戦しております、苦戦しております。どうか皆様よろしくお願いします」と叫んでいて、なんだか笑ってしまったっけ。投票日直前の夕方だったらそれも有りだろうが、一週間も前に聞いちゃうとね

もちろん何が勝ったのか何が負けたのか、これからしっかり本質を見抜いて行かなければならない。

=実るほど頭を垂れる稲穂かな=

8月
24
あんみつ姫

一昨日、南信、阿南町の新野へ行った。道の駅信州新野千石平。標高約800メートル
トウモロコシを買いに。

そういえば昨年も一昨年も行ったなぁ。
実は、道の駅は少し詳しい。
今年は高速道路1000円になったからか、頻繁にマスコミがPキャン(P泊)の特集をやっているけど、Pキャンに関しては10年以上前からのベテランなのだ。だからこの界隈の道の駅は熟知している。
今回、千石平ではないけれどその西にある平谷の道の駅はR153沿いでしかも温泉があるからか、Pキャン車だらけだった。巨大な駐車場なんだけど、凄いね。
気温は20度以下で、車内でもとても過ごしやすい。

ここでは「あんみつ姫」と「甘太郎」の二種類があるが、残念ながら今回甘太郎はもう無かった。

帰宅後即食す。
沸騰後投入してゆで時間3分。

甘い! 砂糖漬けではないかと思うほど。
美味いよ。とっても。
うーん。でもね、トウモロコシにこの甘さは必要ないような。
というより、もう既にこれはトウモロコシとは別物かも知れない。

少しだけ昔の素朴なトウモロコシを懐かしく思う。

ついでに新野の茄子を入手。最近TVでも話題になっていたそうな。
田楽などに最高らしい。
楽しみ!

8月
23
初めの頃を

少し思い出した。
スクールバンド指導を始めた頃の話だ。
 

今で言うとニートなのかな。いや、フリーターかな。学生の時は就職する気などさらさら無かった。

音楽で食っていきたかったが、だからといって学生課の求人票に音楽関連のものは皆無だったしね。
そもそも企業に就職する、という考えを持つ(いわゆる就活する)ことは「音楽を諦める」という意思表示であるという暗黙の了解があり、だれもそんなヤツはいなかった。みんな夢だけを追いかけていたんだな、きっと。

だいたいが、大学院、海外留学、バイトして食いつなぎコンクール狙い。ゆくゆくは演奏家になるか大学研究職になるか。
さしあたっての音楽関連の仕事は、音楽教室の講師か、高校の非常勤。
なかでも志のある人が公立の教員採用試験を本気で取り組む。などなど

「ま、30歳までに1つ大きな仕事が出来ればその後も何とか音楽続けられるようになるぞ。」
という師匠のお言葉で、少しずつ音楽の仕事が出来るようになればいいや、くらいに考えていた。

この頃にやった仕事をネットで見つけびっくり。自分では余り記憶がないんだけど。ホルストNo1、No2を金管アンサンブルにトランスしてる。本当かな?分業だったらしいが。

そこへ、突然話が舞い込んでくる。
「おまえ、高校のバンドやらんか?」
「バンドやりたくてここ(学校のこと)へ来たんだろ?バンドやりたくてホシナとカネダについたんだろ?」
…少し考えさせてください…と言ったものの、次の段階では
「彼の気持ちは固まったようです。よろしくお願いします。」と誰かに電話してる。
…おいおい、俺の気持ちは固まってなんか無いよ!…
…えっ、本当に俺が教員なんかやるんかよ?…

いつの間にか自分の将来が決まっていた。
絶対にやりたくない仕事No1の教員だ。
しかも、吹奏楽の超伝統校。
創部は昭和4年。日本のスクールバンドの草分けだ。第2次世界大戦で中断したらしいが、戦後即復活し華々しい活躍をするバンドになった。その歴史を築いた方が定年でお辞めになり、その後に私を、という流れ。

後から聞いた話、その世代交代でトラブルがあり、それまでの体制から総スカンを食らうことになる。大学出たての若造にそんなことは判るはずもなく。
全くの孤立無援の中で、「全国大会はいつ頃行けるようになるかな?」などのプレッシャーの嵐を浴びながらひたすらバンドをやった。
しかし、超伝統校のはずなのにまともな楽器がない。退職のお土産に持って行かれちゃったんだな。(後から楽譜蔵書の3分の2も持って行かれたんだった。段ボール箱何十箱と。)

学校に聞くと楽器整備予算も組んでない。
いったい今までどうやって活動していたんだよ????
生徒達も交代劇の中でギスギスに揉まれているから、顔見せした途端「部活動指導に対する方針を具体的に教えてください!」と詰め寄られたっけ。
しょうがなく「ぼちぼちやります」と答えたら大きく失望された。威勢良く「全国金賞狙いましょう!」と言って欲しかったんだろうな。

授業だって誰も何も教えてくれなかった。同じ教科他に誰もいないから。
よその学校の誰かに聞けば良かったのだろうけれど休日など無いまま毎日部活指導している中でそんな余裕有るはずないし、誰か、なんて新任早々知るはずもないしね。

結局、自分がやりたいと思い、やるべきだと思うこと(純粋に「音楽」をやりたいと思っていた)を誠実にやるしかないんだ、と誰かを真似ることも出来ずに、教えを請うことも出来ずに、目の前にいる生徒達と対峙するしかなかったのだ。

とはいえ、自分がやりたいことを生徒に伝えその方向で活動させつつ、各方面からの「成果を出せ」というプレッシャーと戦い、その狭間で悶える生徒達を見ながら、自分は何のためにバンドやっているんだ? 何故教師なんかしているんだ? という自問自答の毎日だった。
今でも鮮明に覚えているが、夏休みコンクールの時期になると必ず北海道辺りに行方不明になってしまう師匠へ、パソコン通信(インターネットじゃないんだよ!)メールで、一晩泣きじゃくりながら悩みをぶちまけたこともあった。
(進撃が止まった)コンクールの次の日、合奏中、感極まって涙が止まらなくなったこともあった。とんでもなく恥ずかしかったのだけれど隠してもしょうがないから、そのまましばらく合奏中断した。生徒はあっけにとられてポカーンとしていた。後日親しい他校顧問から「泣いちゃったんだって?」と心配されたよ。
 

その答えがある程度見えてくるのは、もっとずっとずっと後。いやいや、まだまだ見えていないけれどね。
だから師匠の言葉
「教育はな、技術じゃないんだ、人だ。」
が重くのしかかる。

「教員」という立場から逃れたくてしょうがなかった前任校時代。無謀にも「俺はもっと他にやるべき事がある!」と思っていたんだ。音楽家としての野望もあったし。

今は少し違う。自分のポジションというかスタンスというか少し見えてきた。
第一線で活躍することだけが優秀な音楽家なのではない。もっと大切な事が見えてきたと思っている。

「育てる」という仕事。「教える」ことの自信はないので、教育という観点では全くの半人前。
しかしそれでも「育て」なければ次の世代は無くなってしまう。

8月
19
15年以上前の

手紙が出てきた。(掃除の効果だぜ!)

「定期演奏会も間近に迫りたいへんご多忙のところこのような手紙に目を通して頂き、どうもありがとうございます…」から始まる、部活動運営に関する1-C(18)という生徒からの要望書だ。

「…そしてなぜこのような手紙を書いたかというと、それは、この部活がもう既に『つまらない部活』すなわち義務的なものになっているからです。もう既に活気が失われているこの部活を真っ向から見つめたいからです。 …」

ワープロ打ちB5を2枚、理想の部活動についての鉛筆書き図入り。さらに最後の一文で「もう一セット見ていただこうと思っております。」と結ばれている。

残念ながらもう一セットは出てこなかったが、その手紙に対する私の回答がB5ルーズリーフノート3枚手書きで出てきた。出てきた、ということはこの回答は1-C(18)本人には渡っていないのかも知れない。そうだとすればとっても申し訳ないし残念だ。今さら謝っても遅いけど「ごめんなさい」

回答書の冒頭はこんなかんじ。
「まずはじめに色々考えてくれていることに感謝したい。」
さらに
「君の問題提議の答えだが…。」
「そんな事はすべて解った上でこの体制がある。」
と続く。
核心は、
「音楽をする、(私が音楽という言葉を使う時は、ものすごく広い意味を持っている。単純に音を出す、という事ではない)という事のみによって私は救われている。だからなんとかしようと思う。それだけの話だ。」
かな。
その後、私の文は続くのだが、ま、いつも言っているようなことがつらつらと書かれている。

お恥ずかしい限り。私は全然成長してないや。

一方で、時が経ち、この1-C(18)は現在その当時の私の年齢をとうに過ぎている。
この内容がそのまま活きている、もしくは反面教師で役に立つ。どちらでも構わないが、そういった高校時代の経験が今の1-C(18)にとって意味のあるものになっているだろうか。今現在立派に社会に貢献しているのだからそうであって欲しいけど。もしそうなら、なんだかとっても嬉しいな。

8月
18
クレーマー

15日に1つ本番があり、前日リハの為いつものように楽器を積み出していた。
今回は運送業者に頼んでいたので楽勝、のはずだった。

ところが。
積み終わって「いざ出発」となったとき、70過ぎくらいのご老人クレーマーが出現した。
車の切り返しで、「自分の所有の土地に勝手に入った」というのだ。

運送会社がなっとらん!社長呼べ!学校がなっとらん!責任者呼べ!だいたいこの学校は云々!ここの生徒は云々!ここの教員は云々!……。

と炎天下道路上で延々1時間。運送会社の係の人まで飛んできて何とか収めたけれど、リハーサルの時間とかその後のスケジュールとか心配で心配で。

後から運転手さんに聞いたら、トラック入れた時からずっと、横の駐車場に車を停めて、積み込みの様子を見張っていたそうだ。積み終わり出て行く瞬間を狙っていたらしい。
何考えてるんだか理解に苦しむ。(いや理解しようとすること自体が無理なんだ)

有名なクレーマーだし、私自身は二度目なのでびっくりしなかったけれど、運送会社のかたは「ここまで言う人は珍しいですね」と。

「ま、どうしようもなくなったら損害賠償請求してください、ってことですけれどね。たぶん請求費用の方が高くつくと思います。」
「色々詳しいみたいだから警察にいたかたですかねぇ。」
…いや、噂では教育関係者だったと。
「いずれにせよ、心がどうかしちゃってますね。いままでよっぽど辛いことがあったんだろうなぁ…」
…ああ、この方人間デキテル。

世の中には色んな人がいますね。

8月
17
掃除

ようやく自分の仕事部屋の掃除に取りかかった。
大変だよ。要らないものはどんどん捨てよう、と決心して始めたけれど、その選別に時間がかかる。

びっくりしたのはコンピュータの数。
MAC達が!
Color Classic ?(これはパワーPC化改造して快調だったけど…)、Centris 660AV、5400/120、7600/132、4400/200、8600/250。これで全部、と思ったらまだまだ。175Cというノートもあった。合計7台。
こんなOLD-MACをいつまでも持っていることが自分でも不思議だな。ま、愛着があるんだけどね。

で、ついでにWINマシンも数えてみた。これはまだ現役で使うつもりだ。
最初に買った、ノートなのにバッテリーを積んでいないやつ。DELLのノート。DELLのデスクトップ。自作WIN2000マシン2台。最近のウルトラモバイル。
6台もあるんだ。へぇ。

これに、A3ノビレーザープリンターが1台。A3ノビPSプリンタが1台。インクジェットのA4カラー複合機が一台。
もっと他にもあったんだけど(ALPSのMD5000、PS付き、とかね)、既に廃棄してます。

さあ、コンピュータの廃棄は今めんどくさいんだよなぁ。

8月
12
県大会にて

自分達の演奏が終わり、楽器も積み込んで、一段落つき、ロビーのイスに座ってなんとなくくつろいでいた。
そこを通りかかる人達のなかには、昔からよく知っているがいる。さすが県大会。様々な人が集まってくる。
立ち止まっては挨拶がてら近況報告だったり、演奏の感想だったり。年に一度の再会だね。

しばらくして、入り口のドアに若いカップルの姿を見つけた。
なんとなく目で追っていたら、こちらを向いたので
「しまった。何か知り合いと勘違いさせてしまったかも…」ぐらいに思って、また隣の人と話し込んでいた。

誰かに呼ばれた気がして顔を上げたら、先ほどの2人連れが目の前に立っている。「勘違いだろう」と思っていたことが勘違いだったらしく、私を目指してこちらに歩いてきたみたい。

誰だっけか?
よく見て「あっ!」と気が付いた。

「ひさしぶり〜」
「ここ来たら会えるかな、と思ってたけど会えて良かったです!」
「元気そうだね!」
「こちらはどなた?」
「彼です。今度結婚します。」
「へぇ〜。おめでとう!」
「私、まだ楽器吹いてますよ。」

以前何度か指導に行ったバンドで頑張っていたホルンの彼女だ。
久しぶりに会えたことも嬉しいけれど、まだ楽器を続けていることはもっと嬉しい。

さらに。
「どこかでお会いしたことありましたっけ?」
と彼に聞いてみる。
「はい。国体の頃お世話になりましたよ」
ん?頭の中で急速に記憶が甦りはじめ、「あ、わかった!!!」
彼の出身中学やら国体の音楽隊合同バンドやら、鮮明に思い出した。そうそう、そんな名前だったっけ。
全然別の記憶の中にある2人が、いつのまにかどこかで出会い結びついたのだ。
吹奏楽をやっていたのだから、そうなることはあり得るのだけれど、でも、なんだかとっても嬉しい。
穏やかで、あたたかく、華やかで、とてもお似合いの2人だ。

さらにさらに。
「いま私保育士やっているんですけれど、お世話になっている先輩の保育士が子供に鼓笛教えているんです。○○って言う人なんですけどご存じですか?」
「ははは。良く知ってる知ってる。バンドの教え子だよ。」

吹奏楽で広がっていく世界を実感。
小さいけれど種を植え、芽が出て、それを大切に育て続けている人が確実に存在する。
1つ1つはとっても小さなことだけど、その小さな事の積み重なりがなにより嬉しいと思う。