8月
10
二度

遭遇した。学校内で。
一度目は他の人が多数いる場所で。しかし全くのスルー。私が書類を提出しようと説明を受けている間にいつの間にか消え立ち去った。私も知らぬ振りをしたけどね。

二度目はその帰りすがら、体育館から出てくるところでばったり出会い頭。
すかさず「おはようございます」と挨拶の声をかけた。
今度はさすがにスルーできず「あ…、」と言ってほんの少しだけ頭を下げた模様。しかしそれだけ。

誠意のかけらもないよう見受けられてしまう。(もしかして「申し訳ない」と思っているのならもっと別の反応があるだろうし。)
未だに周知していないみたいだし、次の体制について担当者にお願いどころか説明すらないらしい。

どうやって収拾するのだろう?
そのままだんまりを決め込んで、事が進んでいくとでも思っているのだろうか。
だとしたら、夏休みの課題を出さずにそのまま何事もなく運ぶと思っているずぼらな生徒と全く変わらないレベルだと思う。

つまるところ、そんなところなんだな。

8月
09
昨日

テレビをゆっくり見た。
NHKスペシャル。
「日本海軍 400時間の証言 第一回 開戦 海軍あって国家なし」

自分達のやったことを検証しようとする意図にほっとし、一方でその内容に憤慨する。
やっぱりね、そんなところだろうと思っていたよ、な感想だ。

現場の想いとか悩みなどと全く無関係に勝手に事を進められていく。
そこには大儀などなく、個人の身勝手な見栄だけ。
そりゃそうだ。自分達は戦地最前線に行くわけもなく(そんな危ないところへ行けるか!)、戦い死ぬのは末端の兵士(お国のため名誉の戦死!)だからね。
そしてどうにもならなくなっても「しょうがなかった」「それを始めたのは俺達じゃない、別の部署だ」と責任転嫁に精を出す。

それを正しく検証し裁くことは出来ないものなのかねぇ。愚かだなぁ。

そういえば最近身近で似たような感覚を持ったゾ。

8月
08
何故か

急に思い出したある話。
何かで読んだか、聞いたか。ドキュメンタリーだったかなぁ。
おぼろげな記憶を頼りに書くので多少の脚色があります。

===
大きな悩みを持ち、生きる望みを失った少年(少女だったかも知れない)が、最後の最後で電話相談に頼ってみることにした。

北陸東尋坊にある電話ボックスはとても大きいのだ。イスつき。「その前に電話しろ」と電話番号が書いた張り紙がたくさんある。

電話相談員は男性で、長い時間少年の話に耳を傾け、相談に乗り、穏やかに、しかししっかりと励ましてくれた。
少年は彼の話を聞いて、もう少しだけ生きてみようと思い、電話を切った。
ところがやっぱり希望は長く続かず、数日後命を絶つ決意をし、先日の電話相談の彼にお礼を言おうと再度電話をかけた。
電話相談の彼は、事情を知ってか知らずか、再び電話をくれたことを喜び生き生きと少年にいろんな話をする。少年はそんな彼の話しぶりによって心が動き再度生きてみようと思うのだ。
その後何度も電話で話をしていくうちに少しずつ気持が前向きになり少年はすっかり元気になっていく。
生きる気力を取り戻したとき、少年は電話相談の彼にお礼に行こうと苦労して家を探し当て訪れる。そしてとてもびっくりするのである。

やっと探し当てた命の恩人は、人生のラストステージで自分で用を足すことも出来ないずっと寝たきりの老人だったのだ。

老人は言う。「自分の体はこんなんだが、まだまだ最後まで社会の役に立ちたい。何が出来るかと考えたら、電話相談なら寝たきりでも出来る、若い人の相談なら自分の人生経験を生かせる、と気が付いた。」

少年は思う。本当は自分がこの死を目前にした老人を励まさなければいけないのに全く逆だった、自分は愚かだったと。そして生きる気力を呼び戻してくれた老人に心より感謝するのである。

===
思いやりってなんだろう、と考えたことも思い出した。
「人の役に立つ」という発想はどうも偽善に思えて気に入らなかったときだから。

この話を知って、「そうか、思いやりは一方通行ではいけない」と。
とかく、強い者が弱い者を、かばう、守る、ような意味合いで「思いやり」というが、実は違うのではないか?
弱い者が強い者を思いやることだってあるんじゃないのか?
何が「強い」「弱い」のかで意味合いが変わってくるけれど、少なくとも一方通行ではいけないのではないのか?

そんなことを当時考えていた。
今も同じだ。

相互に関わること。
一方通行でなく。
それぞれの立場を尊重して。
それがアンサンブルだ。

8月
07
どっち?

馬鹿は死ななきゃ直らない by 次郎長外伝
馬鹿は死んでも直らない by ハナ肇とクレージーキャッツ

「どっちが本当ですか? 」の問いに対し「どちらも正しい。なぜならどちらも現在は馬鹿という意味だから、来世を考えても無意味」との答えがあった。

なるほど。解りやすい。確かにその通りだ。
 

残念ながら、もはや誰も馬鹿を正してはくれないだろう。
それどころか誰も相手にしてくれなくなるだろう。(既にそうだろうと思うが)
そしてその事に気が付くのは本当にひとりぼっちになってしまった後だろう。
その時に最大級に悶え苦しむ。しかし何故そうなってしまったのか理解できることは決してないだろう。

ここに書くほどではないと思ったが、敢えて書いてみた。

見えている形が変わったとしても、本質の変形はあり得ない。
だから、本質を見えてない人がいくら正義を振りかざしたところで、それが偽物である事には変わりない。
本質が見えている人にとっては一目瞭然で滑稽きわまりない。
これ以上迷惑が及ばないのなら、それ以下でも以上でもないけれど。

もっとも「何が本質か?」は神のみぞ知る、だけど。

8月
07
毎日

朝7時前に家を出て帰りは午後10時過ぎ。何かあれば帰りの時間は日付が変わってから。もちろんほとんどの土日祝日は無し。
その勤務を往復140Km近い高速道路通勤でこなしていた。
それが日常だからごくたまに時間が出来ると、憑かれたように遊びに出る。車旅。
だから、ほとんどの家の仕事は手つかずだった。
 

今日(から)は、そうでもない。
たまには草抜きでもするか、と長引いた梅雨で伸び放題になっていた玄関周りの草抜きをした。
足のむくみは取れていないから、しゃがむとふくらはぎ辺りがとてつもなく痛いのだけれど、それをだましだまし3時間ほど。
その後、野積みになっていた、車をトランポ仕様にした時の廃材を電ノコで切り刻み可燃ゴミに出せるようにした。もう1年以上前から「早くやりなさい!」と言われていた作業。やっと出来た。

当然汗だくだが、気分が良い。だいぶすっきりした。
次は庭の草抜き。明日だな。
 

私のコレクションだった山野草もだいぶ数が減った。
残っているのはイワチドリとニオイハンゲ、ヒトツバの類だけだ。あ、かろうじてこの春にタンチョウソウとウラシマソウは咲いたっけ。
睡蓮鉢はヒツジグサが絶好調。
姫睡蓮は花が付かない。冬、水が凍ったときに鉢が割れたままになっている。
ヒメガマも瀕死。 
オオタニワタリ(シダ)も消えてしまったなぁ。

昼食後、久しぶりの譜面書き仕事。FINALEを2009にバージョンアップさせたため使い勝手がわからずしばしば中断。PCも力不足でなんか調子狂う。

そういえば、私の仕事部屋も荒れ放題。ここもなんとかしなきゃ。
戻ってくる荷物もたくさんあるしなぁ。
見渡すと家中そうだよ。随分モノが増えたなぁ。要らないモノはどんどん処分しなきゃね。
これから環境整備に随分時間をかける必要がありそうだ。

夕方はセロリの病院へ行く予定。ヤツもだいぶ歳だから、レントゲンだ、組織培養検査だ、と色々大変なんだよ。今はエアコン効いた中ですやすやおやすみ。
 

とりとめもないけれど、それだけのことでさえ今まで出来ていなかったんだな。
しょうがない。少しずつ復活させていこう。

8月
06
区切り

ダブルバーが引かれた。

思うことはたくさん。
言葉にならないのも含めて。
勉強したことたくさん。
やり残したこともたくさん。
でも課題がたくさんあるって事は幸せなことだよな。

TSWのみんな。ありがとう。
支援してくださったたくさんの方々、ありがとうございました。
心よりお礼申し上げます。私はとても幸せでした。
一度手放したはずの皆でアンサンブルする幸せ。
そこにどっぷり浸かり音楽に身を任せる幸せ。
より良い状態でそこまでもっていくための様々な工夫とそれを仕掛ける仲間がいる幸せ。
その事々を認めていただき評価していただける幸せ。
 

常に全力疾走してました。(そう見えないかも知れないけど…)
少し走りすぎたのかもね。体にだいぶガタがきたし。
特にこの一年著しく体調は変化していると思う。しかし「それは老化と言うんだ」と口の悪い友人。その通りだが、おかしいな。永遠の23歳だけど。

 

事後整理若干。
今後の善後策。

生きなければならない。生きたい。より素晴らしく。
みんなも、私も。
定刻より遅れてるけれどそろそろベルが鳴る。次の幕だ。(台本はまだ無い。)

8月
04
個と全

ミクロとマクロ
凝視と周辺視
点ではなく流れ、しかし正確な点は必要
 等々。

最近の合奏で色々難しい言葉を並べた。(いや、「いつも」だろうな…)
申し訳ないが、みんなが解ってくれたかどうかは二の次だ。

解りやすい言葉を選んで説明し指示することは、教授技術の基本だとは思う。
しかし、心の片隅でいつもそれを疑問に思っている。
なぜなら、まだ言葉を知らない子供は、その言葉が解りやすいかどうかですら解らないのだから、子供自身が「わかりにくいから」と取捨選択することはないように思うから。(ある程度成長し余計な知恵が付くとそれをしだすだろうが。)
提示する側が「これは難しいだろう」という勝手な推測で言葉を限定するだけだ。

ということで、難しい言葉だから理解できないだろう、は失礼な気がしている。難しくてもいつかは理解できるはずだ、今言わないでどうする、というスタンスだ。

「可愛いペットに対して赤ちゃん言葉(○○ちゃぁ〜ん、ごはんでちゅよ〜、など)は失礼である、なぜならペットだからといって幼い子供ではないのだから。立派な成犬だろ?」という意見は秀逸であると思う。

もっとも、それを理解しようとする姿勢は常に求められる。

以前「不親切」について書いたことがある。
解りやすい事だけが大切なのではない。考える機会を奪ってはならない。

 〜なかなか理解されない意見だろう… ま、いいや。〜

 
さて。
明日は県大会。
至上の喜びは得られるだろうか。
やった人だけが得られるご褒美。みんな戴けると良いね。

積み上げてきた成果が問われる。
そしてその成果がまた今後の成果につながる。
1週間先。1月先。1年先。5年先。10年先。もっと先。

今までずっと、明日の本番をやり過ごすためだけの小手先のモノを伝えたつもりはない。
一生持ち歩いて欲しい。

そんなスパンで種を蒔いてきたつもりだ。少しは芽が出たかな?

桃栗3年柿8年柚子の馬鹿たれ13年。
実がなるのはずっと先だ。
その時に思い出してくれればいい。
その時に意味をわかってくれたら幸せだ。
 

「明日を生きる意味が判らない」から「生きてるってあたたかいことなんだ」に変わっていく。
生きる力ってのはそういうことだと思う。
育てるってのはそういうことだと思う。
ガッコウとはそういうところであって欲しい。

TSW万歳!

8月
04
やっと

梅雨が明けたらしい。

夏だ。
朝から(いや、何故だか夜中も…)蝉がうるさい。

あと一日。
何を望んでいるのか?
何をするのが良いのか?
何が出来るか?
 

どんなときも無条件で信じること。
自分への課題。
で、どうだったのか?

8月
01
8月

に入った。

梅雨は明けず、各地で豪雨。どうなっているのかねぇ。
高速道路は夏休みで浮かれ、渋滞だらけ。
世の中は選挙で、もしかしたらその後に総辞職かも?

さて。
私は?

とりあえず目の前にあるモノに全力投球だが。
その手応えや成果は如何に??
そしてその後はどうなる?

??

7月
31
今年は

南知多で夏の合宿。
4泊5日の少し長丁場だが、7月いっぱいで今日が最終日。

この合宿は様々な目標ともくろみを持って臨んだ。
まだ半日練習を残しているので評価するのは早計かも知れないが、目標は随分達せられるのではないかと思う。
進化した部分がたくさんある。
(色んなアクシデントもあった。もちろん継続的な課題や、新たに発見された課題も山のようにある。)

多くの人々がここに立ち寄ってくださった。
練習やレッスンを見ていただいた。コメントもいただき多大な力を授けてくださった。
心より感謝。

特殊な事情で合宿開催が危ぶまれたが、良い成果が上がりそうで嬉しい。
みんなの成長が眩しい。

バンドとともに生活することは私にとってとても幸せなこと。かけがえのないあなた達と音楽が出来ることの幸せは何物にも代え難いのだ。

素晴らしい音楽が私たちのもとに有り続けることを祈る。
素晴らしい心はどんな困難にも打ち勝つことを信じる。

ありがとう。
輝かしい未来に向かって素晴らしい音楽を創ろう。