6月
27
夢を

語る。語りたい。

夢は大概、将来に対する期待だ。(夢で過去を論じることは少ないと思うから…。)
こうなりたい。
こうありたい。
自分が。周りが。世界が。

当たり前だが、夢の段階ではその事は実現していないから、実体や結果は全く無い。
あるのはイマジネーションだけ。またそれを言語化や図面化(我々の場合だったら楽譜化)した、いわゆる設計図(夢を共通認識するための記号)だけ。

絵空事だけで話をすると、普通は現実味がないと嫌われるのかも知れない。「現実を見ろ!」と。しかしそれは、その絵空事を現実味のある物にしていく力が無い事が原因なのだろうね。その発想や経験も少ないのだろう。

私は文字通り無から有を生み出す訓練をしてきた。
しかも新しい価値観を見つけ造る方向で。二番煎じは恥なのだ。
だからいつも自分の中には既存の実体ではなく、新しいイマジネーションで膨れあがっている。
(もちろん、既存のものに価値がないということではない。自分が何かをするときに単なる真似ではだめだ、と思うだけだ。) 
 

大風呂敷を広げて壮大な夢を語る人が少なくなったように感じる。
特に若い世代は身の程知らずで、がむしゃらでかまわないと思うのだけれど。
「夢見たってどうせ…」な感じなのかな。
たまたま近くにいないだけかな…。

6月
26
喉元

過ぎれば熱さ忘れる、か。

あなた達は何故コンクールに出るのかな?
そのために何をやるのかな?
今まで以下だとしたら、いや、今までと同じだったとしても、それって意味あるの?
今までと同じではダメだから、変えなければいけないんじゃないの?

何やっても変わらない、変えられないんだったら、結局何処かの誰かたちと全く同じじゃん。
わはははっ、って笑われてそれでお終いじゃん。

変えられる、変えるんだ、というプライドを取り戻せなかったら、そして実際に変えて見せなければ、TSWで音楽をやる意味を見失うことになる。
そんなことのために今までやってきたのか?
 

少し思い出したので探してみたらやっぱりあったよ。
私は、とっくの昔から覚悟している。

6月
24
毒舌

で有名だった私の師匠。
確かに身も蓋もない言い方で相手を圧倒している場面は数多く見た。
しかし、それはただ罵倒しているのではないということを何となく理解はしていた。後に本人の言葉から「その解決方法を示すことが出来ないときは決して罵倒しない」事を知った。

さらに、圧倒的な態度で辛辣な言葉を吐き出す人なのに、自分が悪いと思ったときにはいとも簡単に「俺が悪かった」と謝っていた。相手が小学生だったとしても。

できの悪い学生時代から、少なくともこの二つだけは必ず真似しよう、と思っている。
でも実際にはなかなか難しいんだ。

カリカリに熱くなった合奏レッスンをしていて「バカヤロウ!」と怒鳴った直後、それが自分の勘違いだと気付いた時、素直に「ゴメン、俺が間違えていた」と言うのはなかなか勇気の要ることなのだよ。でも、それはどんな時でもするべきだと思っている。
−実際には「ゴメン、俺が間違った。悪いのは俺!」と、なんとか言えてるかなぁ?
 

「謝る」というキーワードで検索した。すぐに以下の物に出会った。
 [The Ethics of Apologies (BusinessWeek)より 実際にはこの訳文を見つけたのだけれど。]

【謝るとき】
1. 素早くミスを認め、自分の責任を取る。「私がミスしました」と言うべき時に「私たちがミスしました」とは言わないこと。
2. まず最初に、ミスをした相手に謝ること。その人に最も配慮しなければならない。
3. 心から謝ること。みせかけの謝罪は謝罪しないことと同じぐらい悪い。「僕は演技が上手い」などと思っていても、本気で言っているかどうかは他人の目から見れば明らかだ。
4. 「ごめんなさい」はただの言葉。その言葉に意味を持たせるには、ミスを繰り返さないようにベストを尽くさなければならない。そのための戦略を考え、徹底すること。
5. 意味のある謝罪というのは、弱さではなく誠実さの表れだ。誰でも他人を非難し、自分は悪くないと言い、真実を隠すことができる。強くて冷静な人物だけがミスを認め、本当の尊敬を得ることができる。
6. 助けを求めることを恐れるな。自分だけで出来ないなら、誰かに解決を手伝ってもらうこと。自分の手に負えない事態なら、別の人に引き継ぐこと。
 
(この後に【謝られるとき】と続くのだけれど、省略!)

その通りだな。
今までも「きちんと謝る覚悟ができるならば、ミスすることは怖くなくなる」と言ってきた。
「きちんと謝ること」と「自信を持つこと」は裏表だと思う。

また、きちんと謝るためにはまず「自分の非を認める」ステップがあると思うけれど、その勇気も大切だな。
「自分の非を認める」=「自分にとって不利になる」の発想から抜けられないとどうしてもその勇気は出ないね。とてもちっぽけなままだ。

何らかの事情で、自分の意志とは裏腹に本来するべき事が出来なくなったとき、さらにその事によって事態が悪化していくとき、自分ではどうしようもないもどかしさと、いきり立つ憤りは、どうすればいいのか?

6月
22
人として

の成長は著しいと思う。
思いやる心。
関わろうとする心。
見極めようとする心。

しかし、だからといって少々楽器が下手でも構わない、と思ったら大間違いだ。
練習の手を抜いても許される、と思ったら大間違いだ。
音楽は馴れ合いではない。TSWは仲良しクラブではないのだ。

もちろん、人としての成長は一番大切だ。
しかし、その事は「即、素晴らしい音楽ができる」ということでは決してない。その前提にすぎないのだ。
ようやくスタート地点にたどり着いた、と思えばいい。

言い換えれば、全ての人がそのスタート地点に立てる訳ではない、ということだ。
しかし、スタート地点が最終目的ではないことは誰でもわかるだろ?

求められていることは、成長した心を持って正しい練習を妥協することなく継続していくこと。

迷わず次のステップに進もう!

6月
20
根は

深い。とんでもなく。
入力不可能なモンスターは数限りなく。
とても太刀打ちできない。

せめて、大切な宝物を精一杯守り愛しみ育てる。
私のやり方で。
悩みも増すが「正しい道が楽な道だとは限らない」。

本質を見逃さないように。

6月
15
コンクール

に向けて全開にしよう!

悩みに悩んだけれど。
課題曲は5、江原大介作曲「躍動する魂」に。
自由曲はP.Hindemith作曲「March from ‘Symphonic Metamorphosis’ of Themes by Carl Maria von Weber」だ。

確かに難易度はとても高い。

しかし、一つずつ確実に。
ゆっくりでかまわない。しかし間違いなく。
その積み上げが大切なのだ。
粘り強く、最後の最後まであきらめることなく。
焦って適当になってしまったら負け。

人によっては今まで経験した事のない練習を積む事になるかも知れない。
しかし、やった事ないから、といって投げてしまってはいけない。捨ててしまっては絶対だめ。
やり方を覚えよう。行き着くところまで行ってみよう。

そして成し遂げたときの感動を知って欲しい。
絶大なチャンスなのだ!必ず物にして見せよう!

そしてこのことは全ての事につながっていく。
必ずあなた達の生きる力になる。

素晴らしい演奏のために。
感動の渦に巻き込まれるために。

6月
12
笑う

しかない、という場面に遭遇した。
久しぶりだ。
もちろん、楽しくて、面白くて、笑うのではない。
クスクス、うふふ、なんてものではない。

わはははははっっっっっ!
いっひっひっひっっっっっ!
えへっ!えへっ!えへっ!えへっ!
あ”〜〜〜〜〜くるしい〜〜!
がはははははっっっっっ!
 

悲しい、悔しい、苦しい、どうして!…などが度を超していくと、笑うしかなくなる。
こんな感じの時は、人の感情の安全装置が働いているのだと思っている。

そうなってしまう状況については複雑に考え感じている。悲しい、悔しい、苦しい、どうして!…、な状況がどれだけ心を圧迫しているか、痛くて涙が出る。

しかし、一方できちんと安全装置が働いて笑いこけているのを見ていたら、ほんのちょっぴり安心した。
「壊れていない!」

しばらくの間笑って、だいぶ落ちついた。
いくら笑っても何も解決もしないだろうが、それでも心のバランスはかろうじて保たれたような気はする。

こんな様子を見て「何も解決しないのだから笑うなんて不謹慎だ、とんでもない!けしからん!」という見方をする人も世の中にはいるのだろうな、なんて考えたことも事実。

6月
12
自信

が無いんだな、と思う。

ネットをさまよっていたらこんな言葉を見つけた。

○何事も決断できない人は、何事においても自分を頼ることのできない人のことです。
○自信をつけるためには「相手に依存しないこと」。 これしかないと思っています。
○自信とは、自分で自分を頼ることのできる能力なのです。

などなど。なるほど、そうだよなぁ、と。
こんなのもあった。

初心者だとか経験がないとかは、他の誰かと比較した場合の話であって、自信とはそれこそ「どれだけ自分を信じられるか」という「心の強さ」の問題だと私は考えている。

特殊なパーソナルな問題かと思っていたけれど、どうも「類は友を呼ぶ」のか、そういった個が集まってできた集団も性格はほとんど変わらないようだ。当然と言えば当然か。

腹立たしい、ではなく、とても残念。

6月
07
感謝

今日は二つの本番があった。
一日二つ、全然別な本番で、しかも間隔がこれだけ極端に短い、というのは初めてだったような。

いなり楽市が、10時開始。歩行者天国の路上。そこを終了したのは10時30分頃。急いで片付け機材を車に積んで、人間も後援会の皆様に用意していただいた乗用車に分乗し、車で10分ぐらいの二つめの場所に移動。
麻生田市民館の敬老会現地に到着してすぐ楽器を下ろし、まだ別のアトラクションをやっている間に出来るだけの準備をし、11時半にイスや打楽器などステージ演奏準備、11時40分演奏開始と相成りました。

それぞれ決して広い場所ではなく、充分な音だしやチューニングなど出来るわけもなく、それこそほとんど「ぶっつけ本番」が二つだったのですが、なんとか予定通り進行し、良かった!良かった!

それぞれの主催者の方々、楽器やメンバーを運んでいただいたりした後援会の方々、会場に駆けつけていただいた保護者や卒業生の方々、たまたま通りすがりの方々、楽市の演奏会場でお会いできた豊川市長様、敬老会で人生の大先輩の方々、そこにはいなかったけど遠くで思いを馳せていただけた方々、そのほかたくさんの方々のお力があってこそのTSWだということをひしひしと感じました。
そんな中で演奏できる喜び。音楽を通してたくさんの人達、ついさっきまで知らなかった人達とつながっていくのです。音楽に携わるものとしてこんなに嬉しいこと素晴らしいことはありません。

演奏の出来不出来については課題が色々たくさんあります。
しかし、TSWのメンバーが1年生も2年生も3年生もそれぞれの立場で誇りを持って行動しイベントをやり遂げていくことが出来るようになった。演奏する機会も様々いただけるようになり、出演したことにより何らかのお役に立ち、皆様に喜んでいただけるようになり、自分たちもそれを喜びと感じることが出来るようになってきた。
ありがたいことに、そんなTSWを進んでサポートしてくださる方々もたくさんいらっしゃる。
この環境は決して一朝一夕には出来ません。素晴らしい環境です。

そんなことを考えながらいなり楽市のアンコール「夏が来ぬ」を演奏していたら涙が止まらなくなってしまいました。(この曲には他にもいっぱい思いが詰まっているので…。)
私の正面方向に居た方々(TSWのみんなも)にはバレバレでしたわ。声を出して歌おうと思っていたのに、声にならなくなってしまい少々恥ずかったなぁ。
 

心から感謝です。
ありがとうございます。
音楽とか、文化とかはこうやって広がっていくんです。
素晴らしい瞬間でした。

世の中にはこのことをなかなか理解していただけない場合があります。
「音楽の素晴らしさや強さを是非わかっていただきたい、知っていただきたい」と望みます。
…心の底から。
…是非!

6月
02
気持ち(心)について

みんないろいろ考えているんだなと実感している。
確かに気持ちは見えないし、聞こえない。

最近見たアニメ映画の「心の耳で聞いてごらん」という歌詞がとても印象的だ。
大切なものは見えないし手に取れない。心の中にある。
それを扱うのが私の役目かなと。
音楽とは、広義な意味で心の安らぎやそのあり方を見つけることが重要で、ただ、歌えばいい、音出せばいい、ではないと思うのだ。
私はそれをやりたいと思うし、今までもやってきた。良いかどうかずっと迷いながら。
しかし、そろそろ「これで良いんだ」と思い切ろうと考えている。
誰がなんと言おうと、これが私の道なんだと思うことにしよう。

実態のないものを、より理解したり伝えたりするためにどうしたらよいか。
それにはまず言葉だろう。その意味で、「日誌」はTSWにとって大変重要だ。
言葉を紡ぐこと。そこには苦しみもあるかも知れないけれど、それをしなければ始まらない。表現の第一歩だから。

そして、継続は力なり。少しずつ思いが伝わるようになる。
人と繋がりだす瞬間だ。

最近の日誌より。

 勉強に対して高校に入ってから始めて(!?)ちゃんと向き合っている気がする。
劣等感やら、授業がさっぱりわからんやらで、ものすごく苦しい。自分はバカなんじゃないかと絶望する。心の底ではそんな事無いってわかっているのに。部活で学んできた事、どれだけ生かせるか勝負だと思う。勉強に対して同じぐらい頑張れたなら、これから先のあらゆる事に対しても同じように生かせると思う。

 気持ちのコントロールがうまく出来るようになりたい。

そう。一つずつで良いと思う。長い目で見てそれが一番の正攻法なんじゃないかな。
確かに他のことがぼろぼろに見えてしまうと、すべてを否定されがちなんだけれどね。しかし、絶対に自信を持つべきだ。すごいことをやっているのだから。

〜前略
ここには(準備室)何か人をひきつけるものがある気がする。
TSWの準備室だから。かな。
人のぬくもりというか、何か温かいものがある。
ここに来れば誰かいる、何かある。みんないる。
当たり前になっているけどすごいことなんだよね。
TSWの当然が通じないことがあると「おっ!!」って思うようになった。
後略〜

見えない何か。大切な何か。その存在に気がつき、あるかないかわかるようになる。

〜前略
今はテスト週間です。しかも土日です。勉強しなければと思う反面、いつもできないことしたいと思ってしまいます。いやいや、だめですね。
きちんとやるべきことをやらなければ!!
月曜日から音楽室で勉強しているのですが、昨年と雰囲気が違います。なんでだろう。1年生がとっても楽しそうにみんなで机をくっつけて勉強しているし…。すっごく仲良いです。うらやましいなと思っていしまうぐらい。もちろん他が仲悪いとかじゃなく、日々を楽しんでいる感じが伝わってきます。

月曜日からテストです。がんばろう!!

〜中略〜

休みの日になるとTSWのみんなが恋しくなります。
準備室や音楽室、合奏室が恋しくなります。
コーヒーのにおいやCDの音、みんなの話し声や笑い声。
ないととってもさびしいです。完璧にTSW依存症ですね 笑))

(一部編集しました)

一つずつ積み上げる。大切に積む。崩れてもあきらめず積み上げる。
するといつの間にか自然に積み上がっていくようになる。
そうやって雰囲気が出来てくる。
新しい人達はそれが普通としてスタート。
さらに積み上げる。大切に積む。崩れてもあきらめず積み上げる。
そうやって続いていくことを伝統という。

〜前略
この部活に入って、人の心に触れる(?)ことが多くなった…というか、今まではそういうことがなかった。人の心って難しいって改めて感じた。
高校に入る前は、人がわからなかった。本心かくして笑って、こっちがさらけだしても逃げられて、1人になって。だからこわくなって、わからなくなって、心から「楽しい」って思い出が少ない。気を使ってる自分があたり前だった。どうせこんなもんだよって、痛い場面に出くわすたびかくしてた。でも…ここに入って…TSWで人の心動かすこと、人の気持ち、人の考え、それにたいする自分の考え、気持ち、そこに向き合うことを少し知れたと思う。このメンバーだからイライラをかくさずにいられる。
思い考えることが増えた。くやしい、負けたくないって思うこと、小さいころ以来ずっと忘れてた。覚悟とか意志とか。うーん。「心」だなぁ。よくわからんけど。
どんなに強く思って決心したことでも、強い自分ばかりじゃないから、まよってゆれる、と思う。その時にそのままおちていくのではなくて、またあがってこられるように。休憩しながらでも。−…人間ってすごいね。心をもつんだね。音楽と心は通じているんだよね。…何かうまく書けん。ごめんなさい。
後略〜

言葉を紡ぐのと同時に、楽器で、音楽でそれをやる。
言葉に比べたら抽象的でとりとめもない音達なのに、なぜか言葉より正確に伝わることがある。理解すると言うよりも、パっと心の中で何かが広がる感じ。言葉にはならないけれど、印象というか、イメージというか、感覚というか…。
思わず鳥肌が立つ、という部類だな。

高校生時代にニュータイプ論というガンダムに出てくる概念を題材に生物の進化論レポートを書いたことがあるが、自分の中には未だにそのあこがれがどこかに有るのかも知れない。少し前に合奏で紹介した本「 ヒトはイヌとハエにきけ―異種間コンタクトの方法 J.アレン ブーン (著),上野 圭一 (翻訳) 」も、その現れかも知れない。また、でーだらぼっちも精霊もそのたぐいかも…。

こんな事書くと途端に胡散臭くなってしまうなぁ…。