3月
13
昨年の

今頃、定期演奏会に向けて新入生の練習参加が始まっていた。
もう一年が経つんだ。

今年もやはり同じように新入生が練習に参加している。
数日たって少しずつお互いのことを知ってうち解けてきているように感じる。今日は自分たちだけで曲の練習を合わせていた。新鮮で初々しく、不安でいっぱいであろうに何より一生懸命な感じが嬉しい。
初心忘れるべからず。

さて、昨年新鮮で初々しく不安でいっぱいだけど元気もいっぱいだったあの人たちは今どこにいるのだろう。舞台転換の段取りを自分たちで組み上げ、どんどんこなしていたあの人たちは今どこにいるのだろう。
おかしいなぁ。
 「朱に交われば赤くなる」。
いつの間にか、何かに、何処かに同化していってしまったのか??
それとも劇的に変わる何らかのきっかけが有ったのだろうか??

取り戻せるか?

3月
12
高校の記憶

先日、なぜか突然、高校時代のある一コマが急に蘇った。

前にも書いたかな?
私の通っていた高校はマルトウ訓練なる物をやる、いわゆる「管理教育」を全面に打ち出した学校だった。校則は理不尽で力任せ。生徒は人間扱いされていない(ように感じていた)。それでも新しい学校だからか、とりあえず生徒は従順だったなぁ。この事件までは。

確か2年の時だったと思うが、授業中、急に廊下から激しいやりとりが聞こえてきた。全員がほとんど授業を上の空で聞き耳を立てている。
声の主は一人の生徒指導部教員と一人の生徒。その生徒は、教員相手に激しくやり合うことなどにわかには信じられないような成績学年トップ、スポーツ万能(剣道部だった)、人望も厚く先生も生徒も皆が認めるリーダー。同級生だ。
だから「何であいつが?」って、みんな固唾を飲んで聞き耳を立てている。
次第に事態が判明してきた。内容は、授業中校則違反をしている彼をとがめて廊下に連れ出し指導し、それに対して猛烈に反論している、ということらしい。
たまに(今では問題になるよ…)殴られているであろう激しい音がするが、彼は全然そんなことにはひるまない。

校則違反とは靴下の色が学校指定と違う、ということ。…その場をしのぐには脱ぎさえすればいいのに…。

今思うと、彼は自分がリーダーであることを十分自覚した上で、理不尽な指導に対し、全生徒の代表として断固意思表示をしたのではないか。決して独り合点の我が儘では無かったと思う。
次の日、自発的に集まったたくさんの生徒の前で事の顛末を説明し、改めて自分の主張をした。「その校則はおかしい。その指導は間違っている」と。「みんなに迷惑かけて申し訳ない、しかしどうしても許せないのだ」と。

ここで書いたような事と同時期だったと思う。こんな事件があったからこそ、私もそれに呼応して動いたのだったんだ、と思い出した。
 

TSW諸君、あなたはどう思う?
「すごいな、見習おう!」かな。それとも
「先生にタテツイタらダメ!なんじゃないの?」って思うかな。
「適当にやり過ごせばいいのに…」か?

我が儘と自己主張って何が違うんだろう。

自分の気持ちを表現する、ということは、それを阻害する物を打ち破っていくエネルギーが要る。「叩かれたら止めとこ」程度だったら全く説得力無い。だから行き着くところまで行こうという意志が要る。けれども無理矢理押し込んでいけばいいという訳でもない。それでは理不尽な先述事件と何ら変わらない。一定の理解と容認が無ければそのエネルギーはただの暴挙にしかならない。絶妙なバランス感覚はとても重要だ。

しかし、今はとにかくその力が欲しいのだよ。TSWに。
全くのパワー不足で何も出てこなかったら表現も何もあったもんじゃない。
 

「他律の中から自立は生まれる」というキーワードが最近気になっている。この場合少し意味が違う(反面教師)かもしれないけれど。
結果、理不尽な校則という他律の中から、それはおかしいんじゃないかという(ある意味正義感的な)自立が生まれたのかもしれない。

押されたら押し返す。そんなことでも良いじゃないのか。
とにかく「若さ」という無尽蔵なエネルギーが欲しい。

第4回定期演奏会は目前だ。

3月
10
横断歩道で

車に轢かれそうになった。
対向車線に右ウィンカー出しながら近づいてくる車を目視しながら、道路左側を直進し信号青で横断歩道にさしかかった。通常横断歩道上に歩行者見たら車は止まるけど「もしかしたら怪しいぞ」と思いながら真ん中までさしかかった。案の定ほとんど減速せずに右折して突っ込んできた。
とっさに、ボンネットの上に飛び乗ってやろうか、とか、蹴っても負けるよな、とか、本当はちゃんと止まるつもりだろ?とか思ったりしながら。
結局、車は急ブレーキで停止し、私は横っ飛びに飛んで当たらなかったのだからまあ良しとしようか。

しかし。車の中で頭下げてたようだけど、そのままびゅーって行っちゃったよ。
ミスそのものより、その後が大切だよな、と改めて思った。

と、同時に、世の中いつ何があるかわからない。今、生きてるだけでも幸せと感じよう。だから行っちゃった車に怒るのはよそう。自分がそうならないように気を付ければ良いんだ、とも思った。

3月
08
2週間

を切った。
3年計画の総仕上げ。

総仕上げ。
今まで積み上げてきたことの。
積み上げてきたはずのこと。

何を?どれだけ?ちゃんと積めたのか?
積んだものは活きているか?
どれくらい詰めたか?
密度は上がったか?

「3年間」という膨大な日数を見渡す。1000日を超える日々。何ができたか。何ができなかったか。
「3年間」という全体を見渡す。そして今いる位置を確かめる。今後向かうべきところを確かめる。

あと2週間弱。その日はやってくる。
その一瞬に懸ける気迫をさらに漲らせよ。

3月
08
関連させる事

一つの解決が次の解決に繋がっていく事。
それぞれの事柄は各々独立しているのではなく関連している事。
一見別の事に見える事でも、イメージの中でどんどん繋げていく事が出来る事。

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小学生の頃、好きだった工作本の裏表紙にあった広告。(マブチモーターの広告だった。)

真ん中に万年筆一本と、むき出しのモーター(もちろんマブチの模型用モーター)
の写真が載っている。絵柄はそれだけ。

下に小さな字で、「あなたは一見関係ないこの二つをどう結びつけますか?」みたいな事が書いてあった。
さらに小さな字で、「機械の力で文字を書かせたい、という気持ちが電動タイプライターを発明させました」みたいなことが書いてあった。

今でも鮮明に覚えているのだから私にとって何らかの大きな意味を持っているのだろう。その広告から得た物は単なる数百円の模型用モーターという物の購買意欲だけではなく、人類の知恵そのもの(ほんの一部だけどね…)だった気がする。

電動タイプライターは、いつの間にかワードプロセッサーになりパソコンになっていく。また日本語変換プログラムや音声認識技術などにも繋がっていく。さらにはケータイにだってつながっていく。
−−何年か前、口頭で色んな指示してた時、メモをケータイに入力する人がいた。「間に合うの?」「はい、早いですよ。」−−

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何かが何かの足がかりになる。一つの事柄が次のエネルギーになる。そうやってより素晴らしい物を目指していく。それは「失敗は成功の元」ともつながる。

関連させ積み上げる事。
これは決してTSWの中だけの事ではない。同じ所にとどまるのではなく次のステップに行くためには世の東西・老若男女を問わず必須だと思うのだが。

もちろん、明日の練習でもさっそく問われ試される。気がついて欲しい。

3月
03

土曜の夜あたりから調子が悪く、たくさん寝汗をかいた。「風邪引いたかも」と、次の日は普通の風邪薬飲んで合同練習・会合・懇親会と朝から夜までめいっぱいに頑張った。さすがに帰り道はへろへろになっていてやっとの事で家にたどり着いた途端ダウンしてしまった。
体温計ったら39.5位まで上がっていて、どんなかっこうしていても体中痛くまともに寝られない。それでも朝方には38度を切るくらいまでには下がったので一日休んで寝ていたら大丈夫だろうと、ひたすら寝ることにした。
しかし、それから一向に下がらない。ずっと38度前後のまま。「やっぱり医者に行かにゃだめだわい…」と午後一番になじみの先生のところに行く。
「咳もくしゃみも鼻水も出ませんが…」
「インフルエンザじゃなさそうですねぇ。」
「一応調べてもらえませんか?」
「良いですよ」
「やっぱり陰性です。胃腸風邪ですね。」
との所見。
いただいた薬飲んで寝てたらすぐ熱は下がった。体の痛みも消えしばらくぐっすりと寝れた。

と、ここまではよくある話。

だいぶ楽になって、体温計ったらなんと34.7度。
何回計っても35度以上にならない。
思わず笑っちゃった。
元々体温高くない方だとは思っていたが、ここまで低いのか、と少々びっくり。解熱剤というのは無制限に体温下げるのか??

もう一晩寝て、今朝やっと35.4度だった。

変温動物になっちゃったかな。

2月
28
風土

は変えられんよ! と言われた。

うん。そう思っている人が沢山いると変わらないだろうな。
「別段これで不便は感じないよ」だとしたら、周りでどれだけ騒いでも変わらない。

変わる事が出来るのは、変えたい、変わりたい、という欲求があればこそ、だろうからね。
そうなりたい、そうなって欲しい、という欲求もかな。

ただこの欲求もバランスを欠いてしまうと少し厄介だから気を付ける。変える必要のないことだってあるだろうし。

変わりたい、と思うためにはまずは沢山の異文化を見て知る事が大切だろう。井の中の蛙にならないよう多様な価値観を見つける努力は失いたくない。
とは言っても、通常、人は自分にとって異質な物は見たくない事が多いだろうか…。まだ10代だというのにそれまでに身につけた(ほんのわずかな)価値観の鎧に閉じこもって異質な物を排除したがっているように見えることがある。もったいない。
異質か異質でないかの判断とは既に自分の中に有る一定の価値基準による。その一定の価値基準のほとんどは後天的なものじゃないのかな。であれば、きっと変える事はできるはずだ、と思うのだが。

まずは個が変われば、そして変化できた個が沢山集まったら、風土でさえも変わると思うのだけれど。
机上の空論かな?

長い時間かけて積み上がってきた物を、簡単に変えられるはずはないだろうから、難易度は高いことは間違いないけれど。

まずは異質な物でも拒否しない許容力の大きな人(好き嫌いは別問題)になって欲しいと思う。結局それはインプット性能だろう。

2月
23
オトナの都合

に振り回される、という表現が良いのかどうか解らない。

確かにどうしようもない場合もある。
苦渋の決断をしなければならない事はそうそう頻繁にあったら嫌だけれど、「これはしょうがない」と納得できることもあるもの。しかしあくまでも「苦渋の決断」であって欲しい。気まぐれの身勝手我が儘ではなく。
 

やっと自身の中からやりたい事やるべき事を見つけ(ここではそこに至るまでですらとても大変なのに!)、その実現に向けて困難に立ち向かおうとし始めているところで理不尽に水を差されてしまうと、今まで構築してきたこと全てを否定されてしまったような気になってしまう。それが単純な誤解であったとしても思春期な人たちにとっては致命傷になってしまうんじゃないか?

まだ幼くて、どう転んでも自分のコントロール下にあるうちは「やりたいようにやりなさい」と言っておきながら、意のままに操れないくらい成長すると「言うことを聞きなさい!!聞かないと△△だからね」と様々な手段を使ってでも従わせようとしているのではないか、と思ってしまう事がある。
「言いたいことあればちゃんと言いなさい」と言われ勇気を振り絞って言ってみると「生意気言うんじゃねぇよ!」と一喝される、というような事もある。

理屈じゃないんだ!という声も聞こえる。
そういったこと経験してオトナになっていくんだ!というのも解らないではない。

でもね。10代の心からは、それまでちゃんと鍛えてもらっていない事に加えて、しなくていい苦労をしこたま背負い込まされて、声にならない悲鳴が聞こえてくるよ。
みんなものすごく苦しいんだと思うよ。

今、目の前にある1つ1つのの小さなトラブルの奥には、それぞれ私では到底太刀打ちできない深くて大きい問題が潜んでいるようだ。

単なる吹奏楽馬鹿な私に何が出来るんだろう?
音楽というミクロコスモスにユートピアを見いだし、そこに逃避しているだけじゃないのか?

2月
21
卒業式

予餞会・卒業を祝う会・卒業式が、全日制、定時制の両課程で終了した。
それに伴うそれぞれのリハーサル、練習などなどもあった。
我がTSWは忙しくハードな三日間だった。

毎回、本番前はどうなるかと冷や冷やさせられるの勘弁してほしいなぁ。間に合わないかもしれないという綱渡りは本当に苦しい。予定通りに練習が出来たとしても怪しかったのに、全体リハーサルの延長やら、式典の他の練習やらでどんどん練習時間と場所が限定されてしまったから、さらに苦しい練習になった。
演奏だけではなく、予餞会ステージの出ハケが全然組み立てられずとてもみっともなかった。
間に合いそうもないと思ったので、結局、口を出し指示をしてしまった。我慢強く充分待てないんだなと反省しきり。

そんなこんなではあったが、拙いながらも何とか誠意を込めて卒業生を送り出すのに失礼ではない演奏にはなったったかと思う。外からの刺激・圧力で緊張感を高めるのではなく、自身の中から余裕を持って緊張感を出せるようになったら、と願う。
 
−−
TSWみんなの先頭に立って一生懸命部活動をしていたのにパタッと私の前から姿を消した生徒がいる。
その彼女がこの卒業式で学校を巣立っていった。

TSWから離脱するにあたり何も感じなかったわけではないと思う。
その後、私たちの練習はいつも聞こえていただろうし。
卒業式の演奏だって間近でTSWの音を聴いたのだ。
万感胸に迫るものはあっただろうと、この先力強く生きて行けよ、なんてつらつら考えながら答辞を聞いていた。
ただでさえ、立派な答辞で感心していたところ、ある不意打ちを食らい見事私の心に命中したのだった。
思わず涙が一筋流れた。
熱い感情が徐々に胸に込み上げてきて、のようにドラマチックなものではない。突然、つっと一筋流れてしまった。

式後、友だとたちと屈託無く笑い喜び合っているのを見て、私の心の中にあった重い物が取れた気がした。
心の底から嬉しく思い、ひとりでに笑みがこぼれてきて困った。
一瞬こちらを見た気がしたので思わず声をかけようとした。が、止めた。
プライドの高い彼女のことだ、自身の感情をコントロールしようとして無理をさせてしまうだろう、と思ったから。
結局そのまま何も言わず見送った。でもやはり私は一人でにやけていたような気がする。

何にせよ良い卒業式だった。
こんな卒業式に立ち会えることが出来たTSWの諸君は幸せだろうと思う。
その直後に行った吹奏楽連盟の会でも「立ち会った生徒たちは本当に良い経験してるよねぇ!! 吹奏楽部だけの特権だよねぇ!!」と話題になった。

日誌にこんな感想があった。
「全日制よりも、定時制の方が「自分たちは卒業するんだ!!」ってオーラ!?がギラギラっぽかったです。どうせ卒業するならあんな風にしたい!!と思います。」
4年間生き延びた末の卒業なんだもの。そりゃ、うれしいだろうさ。

答辞の一節。(これは記憶…)
「普通の高校生ではない道を選択したがためにお父さんお母さんに重い荷物を背負わせてしまいました。ごめんなさい。」
いやいや、謝る必要は全く無いと思うよ。立派に卒業したじゃん。

いつもは挨拶しても見向きもしてくれない金髪アンチャンに「おめでとう!」って通りすがりに声をかけてみたら、小さな声で「うん…」って応えてくれた。心の底から喜んでいることがヒシヒシと伝わってくる。

皆さん、卒業後も立派な人生を歩んでください。自分の生き方に自信を持って下さい。誰の物でもない自分の人生なんだから。

2月
17
毎年の事ながら

この時期は苦しい。

このくらいは出来るだろう、という想定がことごとく覆される。
伸び率が止まる、という感覚ではなく、急激に後退しているようにさえ感じる。

こちらの気分としては定期演奏会に向けて全開にしたいのに、そうするとたちまちあちらこちら負荷に耐えられなくなって故障し崩壊する感じだ。

原因は良く解らない。良く解らないから困る。本当に困る。
三つほど原因を仮定してみた。

資質で片付けて良いのか?
何か方法が間違っているのか?
別の大きな力に飲み込まれてしまうのか?

しかし、どれもしっくりこない。
 

「どの子も育つ、育て方ひとつ」というスローガンが有名なシステムで育った私。
そのシステムに特別な感情を持たないが、しかし「誰でも可能性はあるんだ」という気概は持ち続けたいと思っている。
「育て方」、すなわち教える側の責任において、育ったり育たなかったりするんだ、だから私が気を抜いちゃいけない、のつもり。
 

今日ネットをさまよっていて「感受性」は教えられるか?という一文に出くわした。

>>教育によって感受性のすべてを育てることは到底出来ない。しかし、補足修正の可能性はある。資質の開発可能性は教育が決定する。

そりゃそうだと思う。でも大切な事が解らない。
どうやって?

いろいろ策を巡らせ手を打っているつもりなんだけれどな。全くの力不足だ。
どうやって?

聞く耳持たなかった人たちが、人の話を聞こうと自ら耳を傾けるのを待つしかないのか…?