2月
13
なんだこりゃ?

つい最近HERMANN SCHERCHENという人の指揮したチャイコフスキーやらを聴いた。中身は1812年。ロミオとジュリエット。ハチャトリアンのガイーヌ。ムソルグスキーの禿げ山。たまたま準備室で生徒が聴いていたのが耳に入ったのだけれど。

ぶっ飛んだ!なんだこりゃ!
CDの解説読むと「名演」って書いてある。名演の定義って何だろう?

私は単純に破綻している、と感じた。もしくはふざけているのかとも。
オケはウィーン国立歌劇場管弦楽団。個々のプレーヤーは確実にうまい、と思う。特に金管。
しかし、それが演奏のクオリティには何ら反映していない。
木管は音程が酷い。
打楽器は酔っぱらっているんではないか、と思うくらいやる気がない。
みんなたまにロストして落ちる。
テンポが合わない。
バランスなんか関係ない。(これは録音のせいかも?)
 ……。
何より音楽が運んでない。メロディーが、リズムが。

全体的な印象としては、演奏者が指揮者に辟易して
「めんどくせーなぁ、仕事だからさ、しょうがないからさ、あんたのやりたいようにやってやるけどな、でもな、それじゃ音楽にならんのだぜ、あーあ。不毛だ、早く仕事終わらんかな…。」
簡単に言うと、やけくそな感じ。
オケの問題ではなく、まさしく棒の悪行。

一番最初に耳に入った時は小音量でCDラジカセから。
聞こえてくるその演奏は、まさに日本のアマチュア吹奏楽コンクール地区大会の音楽。ガイーヌなんか特にそうだ。そばにいた生徒に、それどこのコンクール?って聞きそうになった。
アマチュアはそれでも許される。技術はなくても一生懸命さは偽りがないからね。単なる下手は罪じゃない。
でも、プロフェッショナルな方々はそれじゃまずいでしょ、と思うんだけどな。

気になったので後でじっくり腰を据えて聞き直してみたが、感想は前述の通り。

さらに先ほど少し調べてみた。
現代音楽の初演に力を入れていたんだって。へぇー。
デビュー当時のクセナキスを絶賛したんだって。へぇー。
「音楽の本質」という著書があるんだって。へぇー。(ぜひ読んでみたいゾ。)
 
 
それまで私の車の中ではゲルギエフの悲愴とロミジュリがずっとかかっていた。ゲルギエフの演奏も意見が割れるのではないかと思うが、私は大好きだ。それこそ本質が見える、と思う。
それと比べるまでもなく「なんだこりゃ?」だった。笑うしかない感じ。
世の中にはいろいろな物があるもんだ。

2月
10
市役所

にある申請をしに行った。

昨年も行ったし、また別の件でも何度も行っていたので、用件自体は簡単だし書類は完璧に揃っているしすぐ済むと思ってた。
で、やっと時間が出来たので行くことにした。
豊川市役所一宮支所の玄関入った瞬間なんやら「おやっ?」と思った。嫌な予感を感じつついつものように2階に上がったが、目的の部署はなかった。水道局(?)だった。
もう一度1階に下りて案内板を何度も確認し、やはり見つからないので近くの方に尋ねた。
「ああ、それは去年までここにあったけど、今は音羽支所だよ。」
…えっ!音羽って全く反対方向。遠いじゃん!
やっぱりちゃんと調べてから来ればよかった。
うわ、今から音羽まで行こうと思うと時間がないぞ。
ナビ様にお伺いしたら「高速道路でいけ!」との思し召し。
なるほどそれなら何とかなるかも、と音羽に向けて再出発。
15分後無事到着し、用件そのものはものの5分で終了。何の問題もなし。

ちゃんと調べなかったこちらが悪いのはわかっているが、知らないうちにあちこち移動するのはなぁ、と。(私はここの住民じゃないから何の情報源もないんだな。)
でも、用事が終わってから落ち着いて回り眺めてみたら、ここの支所はホールと同じ施設内だと気がついた。
市町村合併でよい良い環境を、と考えたらこうなるのは当然かもしれない。

行った部署は教育委員会生涯教育課。内容は豊川市教育委員会へ演奏会の後援依頼。

第4回定期演奏会はもうすぐやってくる。

2月
06
卒業式

関連の合奏レッスンが始まった。
当然、予餞会、卒業式だから現3年生は参加しない。

記録によれば、昨年は予餞会ですら3年生の演奏参加を打診している!
今年はその発想を持たなかったけれど、いずれにしてもこの時期まで3年生に頼らなければならないのは本当はまずいと思っている。もっと早い段階で先輩離れして後輩達が自立せねば…。

1、2年だけで、編成は少し(だいぶ)変則。
でもしょうがないよな。無い物ねだりしてもダメなことは重々承知。
現在持てる力で最大限の力を発揮するために工夫し努力する。

ある程度普通の形に整えなければ、と思う(だから3年生に頼ってしまう…)反面、本質を損なわなければ形などこだわらない、という気概(次に向けての覚悟…)もある。

TSWは人数が少ないとはいえ、複数の人が集まってアンサンブルをする。一定の指向を持った集団だとは思うがそれでも1人1人違った価値観を持っている。集団として何処に線を引くか、常に悩ましい。

が、前提は確実にある。進歩したい。進化したい。次に向けて。

2月
03
自信と誇り

さて。
自分たちTSWの事。先日の本番はどうだったか。

演奏の出来は?
舞台のお手伝いはこなせたか?
長久手まで行った成果はあったか?

一生懸命動こうとしていることは良く判ったよ。
「とっても助かりました」ってお礼の言葉沢山頂いたしね。
客席から見えていた部分でも「良く動いていたんじゃない?」との感想頂いたし。
でもな、欲は出る。
やらなきゃいけないから、ではなく、自然に動ける、とか。
逆に必要の無いときには邪魔にならないようにうろちょろしないとか。
ま、そういったことは経験を重ねたからこその「自信」が必要なのかも。
また、そういったことが出来るゾ、といったような密かな「誇り」とか。
さらにもう一段階上を目指そう。
 

演奏は?
あのリハでは全くダメだ。それぞれが自ら持っている緊張感の質が悪いんだな、きっと。
だから、大切なところで信じられないケアレスミスをする。
実はどう考えてもそれが理解不能だ。
なんで? この期に及んでそれ?
だから、しなくても良いダメ出しが雪だるま式に増える。そんなのは全て無駄な練習。
当然ストレスも激増する。疲れる。

本番はそれなりに(いつものように小さな事故はあるものの)TSWの音楽は出来たように思う。その時の条件の中で出来得ることはやった、と感じる演奏にはなった。
しかし!
本番がなんとか出来たからいいじゃん、ではダメ。
もちろん観客は結果オーライだろうと何だろうとそれしか聴かないわけだからそれでもかまわない。
しかしそれではTSWとして何も進歩しないじゃないか。
さらに高度な課題が次々と繰り出され、それをガンガン乗り越えていきたいのに、いつも同じところで足踏みする愚行はそろそろ終了したい。

ポイントは自信と誇りだ。
自信と誇りをたくさん持つような練習を日頃から積み上げなければならない。
辛抱・我慢し、必ず出来るようになる事を信じて、気の遠くなるような日々の練習を積み上げて、ようやくそれが自信に繋がってくる。そして「出来るんだ」という誇りが漲ってくる。
自信がつくと余裕が生まれる。その余裕があって初めて音楽の楽しみを感じることが出来る。そしてその楽しみが誇りになる。
そこまでやりきらなければ音楽なんてやる意味がない。

自信と誇り。次のステージだ。

2月
02
練習モード

文化の家での私の合奏リハーサルを見た人の感想。
「合同練習はドンドン音が変わっていくのが凄い!」
「マジックですね。」
「みんなを集中させる事が凄い!」
さらには。
「合同練習と豊川単独練習と練習の仕方が全く違う!!」
「豊川単独練習の緊張感は凄い!」
などなど。
怒号や罵倒に聞こえる指示と切れることのない緊張感が、合同練習モードのギャップと相まって相当なショックだったらしい。見てなかった人に「凄い」「怖い」「ピリピリ」など何とか伝えようと、躍起になって言葉を選んでいた。

確かに、モードは意識して変えている。
そうでなくても、そのバンドの現状からさらに良くしようとしたときに、何を課題ととらえるかで、当然練習モードは変わる。

でも、そのやりとりを聞いていたM氏はいとも簡単にこう言い放った。
「あんなの(前日夜の合奏)は全然怖くないです。怖いと思っちゃダメ。当然やるべきダメ出しをしてるだけです。それに引き替え、昔はあんなの比べものにならなかった。それはそれは怖かったですよ。ははははっ!」
彼は自分の練習の居残りをしながら久しぶりに私の合奏レッスンを聴いたらしい。
「なつかし〜」ていってた。
「でも、あれ(高校当時の厳しい練習)があったから今の僕があるんです。」

2月
02
吹奏楽フェスティバル

in NAGAKUTE
無事終了した。
良い小屋が、良い人と良い音楽で満たされた。
やっぱり、まず「人」だ、再度強く感じた。
そして「自分は?」

私自身は頑張りすぎたかなぁ。
体中バキバキいってる。
右腕が上がらない。首が回らない。下向けないし、横向けない。
例の、背中から首筋、頭にかけての痛みはまだましだけど。
両足太ももの付け根から足首まで動きが鈍い。
目も見えづらい。(眼鏡の度が合わないようになってきた?)
おかしいなぁ…、体がいうこと聞かない。

やっただけの成果はあったと思うし、関わったみんなにそれぞれ何かおみやげを持たせてあげることは出来たのじゃないかな、と思っている。TSWも、その他の団体も。

200人を超える合同バンドで指揮をしていると、メンバー全員の真剣なまなざしをストレートに受ける。私はそれをたった1人きりで受け取り、返さなければならない。残念だがたぶん全員には行き渡らない、返しきれない。当然不十分だろう。しかしだからこそ私の持ち得るエネルギーを全放出しなければその気迫すら伝わらない。
当たり前だが、伝えることが出来なければ返ってこない。だから伝えようと目一杯。そのやりとりがスリリングだ。

気持ちが返ってくると、だんだん音も返ってくる。揃ってくる。合ってくる。技術ではない。(…言い方がまずいな。それぞれが今持っている技術がフルに活用されるようになる、ということなんだけど。)

みんな気持ちも力もある。感性も技もある。ただ、出しきっていない。出し切ろうとしていない。
本人すら気がついていないかもしれないその隠れた力を存分に引き出すこと。
それぞれが持てる力を全開で出せたら凄いことになるんだから。
本番は「良き思い」で満たされなければならない。「感動」が満ちあふれなければならない。凄いことになったご褒美であるべきだ。
だから全力でいろいろな手を尽くす。それが私の役割。
今回、何とか出来たかな、と自惚れてみる。

次のステップは、何より継続すること。決して忘れないこと。
「嵐が過ぎ去ったからそれは過去の話」ではまずい。
積み上げなければならない。
重要なのはこれから。この先。
 
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さて。ゲストのみなさんや主催者スタッフとのお話。
「結局ダメなのは大人、子供達は何も悪くない」で盛り上がった。
さらに「それで育っちゃった、大人になっちゃった人が如何に大変か」で盛り上がった。

根は深い。
個人が太刀打ちできるような事ではない。
「でも、それぞれの立場でそれぞれが出来ることをやっていくしか手はないんじゃない」
「めげずに頑張りましょ!」
「続けることこそ大切だな」

十数年前の高校生(今のTSW諸君と同じ!全く何も変わらない!)が、現状の教育を憂い音楽を伝えようとし、人を育てようとしている。
自分に何が出来るか真剣に考え、それを職業音楽家としての使命と責任感でやろうとしている。
いや、そんなに堅い話でもないか。結局音楽やりたくてしょうがないんだ。音楽の喜びを伝えたくてしょうがないんだ。
私の周りにそんな勇士がたくさん集まってくる。
それが出来る場がある。
この瞬間は何物にも代え難い。心より嬉しい。至福だな。

TSW諸君がそれを心から感じるのは何年先だろうか?
いや、何年先でもいいんだ。いつか自分の花が咲けばいい。きっと咲く。

そのためには訳がわからなくてもとにかく、今、目一杯やることだ。
限界ギリギリ目一杯、だ。

1月
26
より良き物

を目指すために必要な事など。

・とにかく情熱。
・本質を見極めた目指すべきビジョン。
・そこに向かうための熟考された施策。
・ブレる事のない固い決意。
・しかし、それ以上の苦言を受け入れる謙虚さ。
・粘り強く諦めないこと。
・集中力。

うーん、他に何があるか。何か忘れてないか?

 #人のふり見て我がふり直せ。

1月
25
育てる

今日は、来週に本番がある合同バンドの練習会初日だった。吹奏楽フェスティバル in NAGAKUTE。愛知万博をきっかけに始まって今年で5回目のイベント。私は初回から関わっている。

練習終了後、高校生に「ボクはこのイベント好きです。今回で5年目です。」と嬉しそうに話しかけられた。中学校時代から参加しているらしい。「中学校の時、中途入部でこの本番がデビューだったから何より思い入れが強いんです。」とも。彼は「高校卒業しても出させてもらえますかねぇ?個人参加できますかねぇ?」と言っていた。

ある学校は、本番当日に他の本番(アンサンブルコンテスト県大会!)とダブルブッキングした。そちらの本番に出られるということはとても誇らしいことだし大切なことだ。だから、アンコンに全精力を傾け、こちらに出られない人がいてもしょうがないだろう、と当然思っていた。
が、しかし。アンコンの出番終わったら稲沢から駆けつけるという。「合同演奏には間に合わせます!」ということらしい。

うれしいな。「この本番に出たい!」という気持が嬉しい。

イベントとしてはとても地味。華々しく素晴らしい質の高い演奏会かどうかもわからない。無料だから営業収入もない。予算獲得難しく、継続することは実は難しいのじゃないかな。さらに苦労多くて担当者は大変な事ばかり。目立たないから評価もちょぼちょぼ。

しかし、育っているんだよ、確実に。人も。そして文化も。
一見無駄な事に見えるけれど、このことこそが大切なんだと思う。

最近こういった社会教育型な吹奏楽イベントに関わることが多いが、上手くいっている所の共通点がある。
関わっている人全て、特に大人(企画者、小屋(会館)の人、館付き舞台の担当(通常委託で舞台屋が入っている)、参加団体の引率者、などなど)が、みんな一生懸命。
中高生に対してとても積極的。指示するのはもちろん、タラタラしてたらド叱る、ボーッとしてたら仕事させる、上手くいったらどんどん褒める…。とにかく、関わろうとしているのが良く解る。
館付き舞台の担当者が学校名叫んで点呼しながら打楽器セッティングの指示なんか、普通しないよ。絶対あり得ない。
もちろんそれしないと良い本番にならないから自分のプライドが許せないのかもしれないし、なにより自分が楽できないということもあるかもしれない。

でもだからこそ、結果、人が育っている。
企画力や運営力ももちろん大切だけど、実際に動き出した現場ではその人のクオリティがモノを言う。幸田のコンサートでもそう思ったけれど、人としての魅力で人が育つんだな。

来週は、是非良い本番にしたい。中身は私が全責任を負うのだから。
今回は我がTSWも部として参加する。是非有意義にしたい。

1月
18
合同練習会

第4回定期演奏会スペシャルバンド練習会が始まった。

いきなり7曲通した。中学生諸君にとって午前午後5時間の大初見大会は少しきつかったかな。
しかし、回を重ねているからか、年々レベルが上がっているように感じる。
何度か繰り返すとすぐ吹けるようになって付いてくるし、少しのアドバイスでどんどん変わるし。
顧問の先生は「なんだかみんなやる気満々で…」っておっしゃってくださるし。
やっぱり継続は力なんだな。こうやってすぐ近くの中学校が少しずつ力を付けてくることがとても嬉しい。

これに参加してくれる中学生の皆さんがみんなTSWに入ったら良いのに、とちょっぴり(いや、本当は物凄く!!)思うけれど、でもそんなことより、この経験を元に音楽や吹奏楽を好きになってどんどん広がって行ってくれる方が、なんだかワクワクするんだな。何年も何十年も後で、「実は、あそこで一緒にステージ乗りましたよ」と奇跡の再会をしたらすごいことだと思う。
 
 

さて。
実際に練習で音出している時。
さして難しい練習ではないところで、ふと「定期演奏会」の匂いがした。何度も。
なかなか言葉では説明できない。
雰囲気というか、特殊な感情というか。
油断すると涙腺が緩んでしまうような、絶句するというか、全く違った次元にいきなり飛ばされてしまったかのような…。

今年もそれを感じる頃になったんだな。
第4回定期演奏会まであと二ヶ月余り。

1月
17
JAFRAアワード

今日は幸田町文化振興協会(幸田町民会館)の〜JAFRAアワード受賞記念コンサート〜本番だった。

 『JAFRAアワード』(総務大臣賞)
 この賞は、地域における創造的で文化的な表現活動のための環境づくりに特に功績のあった公立文化施設を顕彰し、全国に広く紹介することにより、公立文化施設のさらなる活性化を図り、美しい心豊かなふるさとづくりの推進に寄与することを目的として、平成16年度から創設されたもので、今年度が4回目の表彰となります。

ほとんどアマチュア寄せ集めの吹奏楽団・合唱団で11月から数回の練習で本番まで持ってくるのは、そこそこ大変。練習回数少ないのに毎回の練習がなかなか積み上がっていかない。
ある意味どうしようもないことは知っているけれど、有料コンサートだから「ま、いいさ」では済まされない。
だから色々な方向から攻めてみた。
一生懸命盛り立てて、励まして、メンタルなイメージで全然音が変わることを示し、アマチュアの良さを出す為に僭越だとは思いながら私の想いを語ってもみた。
少数だけれど、管楽器初心者コースの講師をしているような職業音楽家もいらっしゃるから、本番始まるまで「どうかなぁ?解ってくれたかなぁ、嫌気さしてないかなぁ?」と随分不安だった。

本番は、さしたる事故もなく無事そこそこ良い演奏が出来た、ほっとした、と私は思い感じた。
演奏した皆さんは、というと、沢山の方から、「気持ちが良かった!」「本当に楽しかった!」「ありがとうございました!」とお声をかけていただけた。別の展開を期待したいような声もお聞きした。
合唱の小学生お嬢ちゃんたちから「サインください!」と請われてとまどったりした。
私の想像以上に皆さん楽しんでいただけたようだ。私でもお役に立てたのかな、と嬉しかった。

でもそれは、決して私が何かを「してあげた」のではない。私がみんなに「助けられた」のだと思っている。みんなが少しずつ力を出し、それがいつのまにかとてつもなく大きな力になったのだと思う。お手伝いいただいたリズム隊3人にも大きな力を頂いた。
そしてその背景には「JAFRAアワード受賞」するような文化振興協会の地道な努力があってこそ。
こういったことの積み重ねが文化を育てるのだと思う。

文化なんて今日、明日では変化はほとんど見えない。しかし数年、十数年と重ねていくうちにいつの間にか大切な積み上げが出来て人が育ち文化が育ち地域が豊になる。
今日、いっしょに本番をやった小学生・中学生・高校生は、いつの日か必ず立派になって文化の担い手になるだろう。我々はそれを信じ、持てる力を全て使って、今やるべき事をやる。そのことは、実はとても幸せなことなのだ。
そんなことを再確認できた日だった。

みなさん、ありがとう。