12月
07
さらに)昔の

日誌。

2008年3月20日に開催された第3回定期演奏会直前。
前後の日付を見ると、どうも3月19日っぽいのだが、もしかしたら定期演奏会が終わってからかも知れない。

卒業するにあたって、引退するに部員に向けての内容なので、ここに書き出すには少し時期がずれているし、対象が限られているもののような気もするけれど。
ま、シリーズで書いてきた続きなので敢えてここに書いてみる。

日誌より。

(2008年3月19日 …と思われる)

〜前略

2年目はあっという間だった。
もっと色々なことを伝えたかったな。

練習がどんどんキツくなっていって申し訳なかったね。

〜中略〜

その瞬間に感じた事をほとんど動物的に言葉や行動にする。何かを感じてから言葉を発するのに1/10秒はかかっていないと思う。ほめる時も怒る時も。だからあれは私の生です。しぼりたて。
人によっては拒絶したい場合もあるだろうし。でもしょうがない。あれが私という人間の生なのだから。
人と人がぶつかる事を要求するのに、自分がぶつからなかったら何の見本にもならないから。だから醜いけれどあの合奏モードを多くしました。
悪かったな、と思いますよ。

で、2年いっしょにやりました。

私は本当に幸せです。怒る事も何もかもTSWで活動している事は全て幸せです。
あなたたちと一緒に音楽できたから。
最初に書いたような状況の中でTSWをはじめて、自分の生き方を考える場面があなたたちといっしょだった事は、私にとってほんとうに幸せだったのですよ。

〜中略〜

私は、このTSWの活動について人生を賭けているのです。
もしかしたら解雇されてしまうかも知れない危険を冒してもみんなに伝えたい事あるし、やりたい事がある。
もしかしたら学校の風習に合わない事やろうとしているかも知れないし、大きな無理をして、この先活動ができないようになるかも知れないし。

それでもあなたたちと活動したいと思う。それはたぶんこの先も同じ。
大きなリスク背負って、でもみんなに何か伝えたい。
結局それが私の生き方なんだろうーなと思っています。

もう一度みんなに気付かせてもらった。

私は私の道を自信を持って歩き続けます。
まよう事もあるだろうけれど、その時は、またみんなに甘えます。

〜中略〜

では。

これからが出発です。

何を言っているのか良く解らないところがたくさんあるかもね。
…”人生を賭けているのです” なんて大げさだなぁ…。こっぱずかしい!
この後、あまりこの言い方はしていない。”生活を賭けて” な感じが多いかな。

TSWで苦楽を共にし初めて世に送り出す人たちに向けた、出逢った時からを振り返った走り書きで、しかも9ページに渡る物の一部なので余りまともではありませぬ。でも、自分の覚悟の再確認はできるような…。

さて、3日後に試験明けて練習は再開。
第4回定期演奏会に向けてTSWは本格的に動き出す。

さらに何かを伝えたい。

この瞬間は今しかない。

12月
07
蕎麦屋

2週続けての土日お休み。
昼前に町内の農産物直販所に行った。
出来てすぐの時は、まだまだめぼしい物が無かったのだけれど。
久しぶりに今日行ったら随分にぎわってきていて、並んでいる物も充実していた。

そこそこの野菜やらタマゴやら手に入れてから「お昼ご飯どうしよう?」とそこを出た。
車で走り始めてすぐ、「あれ、こんな所に蕎麦屋が出来てる!」と気が付いた。
学生の頃からあった(うどん屋の)建物だけれど、改装して「十割蕎麦」と看板が出ているぞ。

即Uターンして入る。店の名前は「玄寿」だったか。
入ってすぐ左手に石臼と作業台が見える。
ある程度のクオリティは期待できそうだ。

メニューは基本的にもりそばとかけそば。それに蕎麦風ぞうにとご飯。何故かシフォンケーキセットなんてのもある。そのあたりの組み合わせバリエーションだけだ。
お値段はそこそこ。少なくともビジネスマンのランチの値段ではない。
AM11時開店でPM4時までらしいが、無くなったらおしまい。
少し気取った贅沢な蕎麦屋だ。

普通にもりそば定食(もりそば・蕎麦団子の雑煮・蕎麦の炊き込みご飯)を頼んだ。
「お蕎麦は黒いのと白いのと選べますが?」
「挽きぐるみと更級ってことですか?」
「はい。黒いのは挽きぐるみで田舎蕎麦ですね。白いのは更級ではありませんが…。」
もちろん「黒い田舎蕎麦で」

一口め。蕎麦のはかない香りがふわっと広がる。十割だけどきちんとコシがあり(むしろ硬い)うまい。

[後から付け足し]
かたさは越前蕎麦のような。ただしあんなに太くごつくはない。
むしろ十割にしては細身の麺じゃないのかな。
そういえばメニューに「おろし蕎麦」があった。次に行ったときは試そう。
越前蕎麦のように大根おろしと生醤油、だったら良いなぁ。

そばつゆは好みな感じ。甘くなく濃い。
雑煮も、ご飯も、丁寧な感じがとても良い。
ランクはわりと高めだな。
これだったらいつでも食べに来たい。が、普通に仕事してるときは無理だ。時間が全然合わない。

とはいっても自宅のすぐ近くでこんな蕎麦屋があることは嬉しい。
長続きすると良いのだが。

12月
05
期末試験中

なので、今TSWの練習はしていない。
しかし、音楽室や合奏室、準備室は開放してるから、そこで勉強したり気分転換に楽器吹いたりしている。
また、準備室では、学習したり、打ち合わせしたりのBGMで様々な音楽を流していることが多い。モーツァルトだったり、ピアソラだったり、兼田敏だったり。

先日聞こえていたのはヘンデルだった。
ピッチ悪いし、なんだかなぁ、下手だなぁ、ヘンデルにしては楽器の編成が変だなぁ。
「水上の音楽」かぁ?「王宮の花火」かぁ?どっちだぁ?と思いながら何となく耳にしていた。

しばらくぼーっと聞こえている状態が続き、

あれ、でもな?
不思議な感じだぞ?
音楽として破綻はしていないぞ?
何処の演奏だろ?

と集中して聞いてみた。
「おや、吹奏楽じゃん」

そのときになって初めて「もしや??」と、気が付いた。
そして、そばにいた人に「それって何処の演奏?」って聞いてみた。
「T高校ですよ」
うぎょ! やっぱり。

自分の演奏だった…。昔の…。
 

だいたい自分の演奏っていうものは出来ればその直後には聞きたくない。アラばっかり目立って平常心では聞けないからね。すぐ次々飛ばしてしまうか、再生機械を壊したくなる。
それでも自分の勉強で聞かなくてはいけないからとりあえず録音は取る。

以前、バンドがうまくいっていなくて、どうしようもなく下手くそな演奏会をしてしまった、と思ったことがある。やはりその録音を直後に聞く勇気はなかった。しかし、いつものようにその録音を親しい音楽仲間に配ることはした。

すぐにその録音を聞いた感想をいただいた。
「涙が出た。」
「聞いている最中止まらなかった。」
私としては「えっ? そんなに酷いのか」と金槌で殴られたようにショックだった。
「ごめん。変なもの送っちゃったね。」

「いや、違うよ。全く正反対。この演奏は奇跡だと思う。なぜならちゃんと音楽してるから。」
「どんなに達者な演奏でも音楽になっていないことが多い日本の吹奏楽の中で、この演奏は紛れもなく音楽だと思う。」
「確かに拙い技術だけど、その拙い技術でもちゃんと音楽は出来るんだ、という証明が出来ている。だから涙が止まらないんだ。」

というような会話だったと思う。
社交辞令をいう人ではないから文字通りその人の感想だとは思うが。
私としては「そういうものかねぇ」程度でにわかには信じられなかった。
 

つい最近、月日が経ってようやくその録音を聞き直した事になるわけだ。
過ぎた年月といい、勝手に音が流れてた状況といい、私にとってはほぼ理想的に、自分の演奏を客観的に聞く事が出来た。

確かに下手だった…。音程悪いし…。音外すし…。
しかし単なる音ではなく、音楽だった…。流れに淀みはなかった…。

かつていただいた感想の意味が少し解った気がする。
もっと自信を持とうと思った。
音楽の力は計り知れないのだから。

12月
02
忘れ物を取りに

職員駐車場まで行った。
天気が良いので、少し歩こうと思い遠回りして公園をぐるっとしてみた。

向こうの方で、期末試験を終えて早く下校してる女子中学生が二人、ご年配な男性につかまっている。
話をしながら私のほうをちらちら見るので近づいていった。何か悪いことではなさそうだけど、少し困った顔をしている。

「どうしました?」
「電話をかけてくれんかな?」
そうか、電話貸して、と頼んでいたのだ。
中学生に「ありがとう、あとはやるから大丈夫」といって無事解放。
再度「どうしました?」
「病院行って、歩いて帰ろうと思ったけど、やっぱりダメだった。迎えに来てって電話をかけたいんだ。」
「もちろん。良いですよ。番号言っていただけますか?」
相手の方が出て「もしもし?突然すいません、替わりますね」

お迎えの連絡とれたみたいで、良かった良かった。
「電話代です」
「そんなの要りませんよ」
「気持ちです」
「えぇ。…分かりました。それではお気持ち10円だけいただきます」

ぽかぽか暖かい日だまりの中、路端のフェンスに座ってお迎えを待つご老人。
これで一安心か。少しは役に立ったかな。

もし、私が遠回りの散歩しようと思わなかったらこの出来事はなかった。そもそも忘れ物しなかったら…?
この世の中、何処でどう繋がるか、不思議だな。

12月
01
久しぶりに

ゆっくり、まったり、休日を過ごした。都合3連休。
本当に久しぶりだった。

今日の午後なんか何となく正月な気分さえしてきた。まだ師走だというのに。
3連休がまずあり得ないし、さらにどこへも遠出しない、なんていうのは今までほとんど皆無だったからな。

普通なら毎週この土日のお休みがあるんだ。毎週連休だよ…。

何年か前は毎日がこれだった(気分的にはもう少し違った…)けれど…。

羨ましいようで、実は違う。逆のことを考えた。
休む暇もないくらい没頭することがあるという幸せ。
TSWのメンバーとBANDをする幸せ。

BANDは正直苦しいことだらけだ。
降って湧いたようには良い音楽は出来っこない。
毎日毎日、休み無く、地道に積み上げていくしか手はない。
だからこそ、本番で奇跡のように起こる一瞬の喜びは、他の何にも変えがたい価値がある。
それを共有する仲間がいるって事。
それを共有する時間や空間があるって事。

TSWのメンバーとBANDをする幸せ。
この三日間でかみしめたこと。

11月
30
聞く耳

修学旅行中、大人数で、少人数で、あるいは1人で、色々な形で生徒たちが人の話を聞く機会が多く、また、その状況を観察するチャンスがたくさんあった。
やはり、総じて人の話が聞けない事が多いようだ。

初めは話す人によって変わるのか、とも思ったがそうでもない。
内容によるのかとも思ったがそうでもない。
状況によるのかと思ったがそうでもない。
「話を聞く」という行為を知らないのでは、と思うくらいである。

今からの飛行機搭乗の説明をする添乗員さんの話。
バス中での教員の指示。
バスガイドさんの様々な説明。
ガマに降りるときガイドさんの解説や注意。
まさに今からやろうとしていることの説明。
etc.

自分勝手に何かしている。
隣の友達と関係ない話をしている。
ただ、ぼーっとしている。

うるさく喋っているのを注意して静かにさせることはできる。
顔を話している人に向けさせることはできる。
しかし、話している内容を理解しながら聞かせることが出来ているのかどうかとなると全くわからない。。何故かというと、理解しようとしているかどうかなどという各人の頭の中のことを他人が知る術など無いからだ。
聞いているような顔をしているが、本当に理解できているかなど、わかろうはずがない。
結果はその後の行動となってあらわれる。勝手にどこかへ行く者。何度も同じ質問を繰り返してくる者。何をして良いか判らないからそのまま止まっている者。その段階で注意しても手遅れだよな。

やはりインプットができないのだ。
様々なアクシデントのほとんどは正確な入力ができていないことが原因なのだ、と感じた。
「聞く耳を持たない」のだ。

そのくせ人と違うことになってしまうのを極度に恐れている。
今からで間に合うのか?救うことはできるのか?

「聞く耳」というキーワードで検索したらこんなページが出てきた。かみしめようと思う。

11月
29

今回の修学旅行でいくつか気が付いたことがある。

「気が付いた」ではなく「再認識した」の方が近いか。

昨年、次々と泊まったホテルにて毎食後、コーヒーを飲みたいと思った。
だからホテルの人に「コーヒーはありますか?どこかで飲めるところありますか?」と尋ねた。もし食事にコーヒーを含んでいないのなら自分でオーダーして飲むつもりで。
しかし、だいたいの所ではサービスでコーヒーを求められていると思うのか「しばらくお待ちください」と引っ込み、責任者らしい人が出てきて、普通はコーヒーはサービスしない旨の説明をしてから「特別にお出しします。時間がかかりますが少々お待ちください。」と、手続きがややこしかった。
その事を添乗員さんに、自分で払うから食後のコーヒーを手配してくれないですか、と話をしたりしたのだが、なかなかわかってもらえず結局全部自分でやった。

今回、最初のホテルで同じ事を望んだ。ホテルの方は「大変申し訳ありませんが修学旅行の場合、食後のコーヒーはサービスに含まれておりません。しかしコーヒーをお入れすることはできます。別料金になりますが。」と明確にしかし丁寧にお話しいただけた。「もちろん自分で払います。お願いできますか?」
大変スムーズだったことに気をよくした。
次の朝、何も言わなくてもコーヒーが出た。おっ!とびっくりした。それだけでない。別料金ではないのだ。
さらに。次のホテルでも、何も言わないのにコーヒーがある。さらに次のホテルでも、打ち合わせでコーヒーが出てきた。
先のホテルで「修学旅行の場合、どのホテルもコーヒーのサービスはしない」のだと明言されたのにもかかわらず。ホテルの対応が一律にサービス良くなったわけではあるまい。

===

長々とコーヒーのことを書いた。たかがコーヒー一杯。されどコーヒー一杯。
あの状況の中、コーヒー一杯が普通に出てくるには確実に誰かの配慮があるはずだ。誰かの指示であると考えた。誰だろう?
我々教員は無粋だからそんなことに気が付くはずはないし、気が付いたとしても一つ一つ指示する余裕は無いと思う。
たぶんこの場合、できるのは添乗員さんだけ。
今回同行した添乗員さんが、私が自身で払ってコーヒーを飲んだことをどこかで知って、先回りしたのではないだろうか。きっとそうだ。

このことだけをとってみても今回の添乗員さんの質の高さが解る。かゆいところに手が届くのである。
そうやって思い起こせば、気が付かないところでそういった配慮がたくさんあったのだろうな、と推測できる。
毎日の反省会の手配。
何かトラブル前に手を打ってある手腕。
クレームの処理。
事前の予知とその対策。
同行している部下への配慮。
素晴らしいと思った。

そういう意味で昨年は私自身、様々なことで随分イライラした記憶がある。
お世話になる(マリンスポーツなどの)現地業者さんと話をしたが、そちら側も同じようにイライラしていたみたい。結局、学校と現地業者の間で随分ギスギスしたやりとりになってしまったのは、間に立つ人の采配如何だったのだと思う。

結局「人」なのだ。

今回は添乗員S氏が素晴らしかった。
最後別れる時に「楽しい旅でした。本当にありがとうございました。」と心からお礼を申し述べた。
「この人だったら、次また何かあったときにお願いしたい。」と思った。
決して旅行会社に対して思うのではない。
この「人」に対して思うのだ。
少なくとも私はそう考える。この人だったら信頼できる。託そう!と。
 

バスのガイドさん運転手さん、タクシーの運転手さん、ガマでのガイドさん、ホテルの方々、様々なところで様々な「人」に関わって旅行は進んでいく。
お世話をしていただける「人」と、それを受け取る我々の「人」。
受け取る側、つまり我々(生徒)の「人」が未熟であることは重々承知ではあるが、しかし、ちょっとそれはないんじゃない、と思う状況は多々あった。
「人」と「人」が関わって物事が成り立っているのにそれを尊重できないことは、人としてとても貧弱だ。

特に沖縄で私たち修学旅行に関わっていただける人たちは皆、「平和について伝えたい」と思っていらっしゃる。 

その気持はとても強いのだと今回さらに感じた。

その思いをきちんと受け止めるだけの誠意は常に持ち合わせていたい。

結局は「人」なのだ。
「人」を磨くこと。

そして、かつての師匠の言葉がオーバーラップしてくる。
「音楽はな、人だぞ、人。 教育もな、人だぞ、人。  …技術じゃないんだ。」
教える側も教えられる側も「人」を磨かなければいけない。

どんなことがあっても忘れてはならない。

11月
29
修学旅行四日目

朝から快晴。
最終日にしてようやく。

朝一番で首里城見学をする。
昨年同様、修学旅行生でいっぱい。資料館ももっとゆっくり説明文読みたいしじっくり展示物見たいけれど、ぐりぐり後ろから押されてトコロテン式に動くしか手はない。
たまに横にそれていくつかの集団をやり過ごすが、後から後から押し寄せてくるので焼け石に水なんだな。
それでも、昨年工事中だったところ(書院の部分とか)を見ることできて良かった。真新しいから少し違和感があるものの。

後からガイドさんにお聞きしたら「これでも今日はすごく少ないですよ」ということらしい。

4日間の沖縄滞在を終え、一路セントレアへ、と思いきや、那覇空港で「ただいま中部国際空港は強風のため着陸できない可能性があります。その場合の着陸地点は東京国際空港か関西国際空港に変更になります。あらかじめご了承ください」などとアナウンスされている。
ま、着陸時の幸運を祈るしかないねと、ジャンボに乗り込む。

渥美半島が見えてきて、だんだん高度が落ち、「何だ、大丈夫じゃない?」と思った瞬間、エンジンが全開になり急上昇。「当機は着陸を試みましたが、当社規定の以上の横風が吹いていますので、再度着陸をするために上昇しています。」だとさ。
知多半島をぐるっと一周するような感じで旋回し、再度着陸態勢に。「今度は行けそうじゃん!」
しかし先ほどより若干高度が下がったところで、再度エンジン全開。「あぁ、だめだ。」
上昇しつつ、「あれ、さっきと景色がちがう、西向いてる!」
こりゃ関空に向かうか?もしそんな事態になったらどうすりゃいい?
「当機は再度着陸を試みましたが、やはり当社規定の以上の横風が吹いていますので、着陸中止し上昇しています。滑走路を変えて再度着陸を試みます。今しばらくお待ちください」
進入を逆にするんだ、南からではなく北から降りるんだと理解した。

ようやく3回目は無事に降りた。
少し到着が遅れたけれど、関空まで行かずに済んで良かったよ。
全体的にも特に大きなトラブル無く良い旅行でした。

もちろんこの旅行で色々感じること考えることありました。
それは近々また別の機会で。

11月
28
修学旅行三日目

本日は朝からタクシー研修。

スタートは大変スムーズ。ただ、タクシーに車椅子積むのに苦労するというアクシデント発生。なんとか対応していただき全車定刻より早く出発。

昼食は伊勢海老半身ウニ焼き定食。マグロ刺身付き。漁港の食堂にて。美味かったよ。
他のタクシーも、いつの間にか集合してきた。
食堂はスペースの半分。もう半分はちょっとした市場になっていてそそられる食材が色々有った。けどさすがになまものは無理だな。

ビオスの丘。植物園というか自然観察園というか。
密林の中の川で船に乗る。解説がとても愉快。ここも時間かけて見たいな。
蘭がたくさん。いたるところで咲き誇る。デンファレ一鉢200円。5つ買うとおまけ一つ。悩んだあげく諦めた。和蘭があったら無理しても手に入れたな、きっと。

この後那覇に向かう。
途中スーパーに寄るけど、店が小さすぎて目的のものは手に入らず。味噌三種入手。

夜、国際通りの公設市場で島らっきょ入手。大量購入で宅配の手配。
やっぱり美味い。自家製なんだな。おばちゃんの手作り。新ものの生をかじらせてもらった。甘い。エグくない。
さらに肉屋自家製ラフティなど。

だいたいの目的は果たしたぜ。

こんなことばっか書いていると、なんか仕事してないみたいだけど、これでも一応ちゃんと仕事はしてるんたぜ。目立たないところで。

明日でおしまい。このまま平穏にいくと良いな。

11月
27
修学旅行二日目

曇り。
瀬底島ビーチ。ほんの少しでも日が射せば、と願うが…。珊瑚の浜はきれいだが案外歩きにくいものだ。
パラパラと雨が降る。

昼食場所で「すくがらす」というものを見つけた。アイゴの塩漬け。
瓶入りで一目見た途端、アンチョビーを連想し美味いに違いないと確信した。豆腐にのせると美味いらしい。勿論即ゲット。

今帰仁城跡は一人もしくは少人数で行くのがいいな。鄙びた場所で物思いにふけりたいぞ。

あすはタクシー研修。スーパーの食材売り場に行けるかな?
公設市場は島らっきょを手に入れるためにかならず。

雨らしいが。