11月
25
修学旅行一日目

何故か雨がぱらつく。予報では晴れだったのじゃないの?

いつも思うのだけれども、時間が足りない。

ひめゆりもガマも平和祈念館も。もっと時間かけてゆっくりと見たい。
サトウキビ畑の中で風の音をもっと聞いていたかった。

飛行機到着から遅れ、全て詰めつめ。後ろが詰まっているからどうしようもないけれど。せっかくここまで来てもったいないな。

去年も思ったが、今回も平和についてもっと深めよう、勉強しよう、と強く思う。ボケちゃダメだ。

号車は違うのだけれど昨年のガイドさんに再会した。どうも覚えていただいてたみたい。
誇り高き平和のガイドさん。皆さん素晴らしいです。

明日もさほど天気は良くなる気配はない。私は晴れ男のはずだけどな。

11月
24
続々)昔の

日誌。シリーズでもう少し続くつもりです。

明日から修学旅行。昨年に引き続き再度沖縄。
PCを持って行こうか悩んだけれど、持って行かないことにした。だから、旅行中のWM更新は難しいと思う。ケータイでやれるだけやってはみるけれど。

ということで昔の日誌シリーズ、今書いておこう。
今回も以前(3月頃)、日誌に私が書いたもの。第3回定期演奏会直前だ。
年明けてから、運営も、演奏会の準備も、もちろん練習も、何もかも上手く進まずみんながジリジリ焦げついていた頃。

日誌より。

(2008年3月5日)
「先生の悩みってこれかもね」ってか。
ある意味あたってる。
でも意味は全くの逆。あなた達が邪魔な荷物であるわけがない。
そこまであなたたちを追いつめている自分が苦しい。
・もっと気楽にやればいいのに…!ってこえが聞こえる。
・もっとのんびりここのペースに合わせればいいのにって思う。

でも、それを許せず、私の思うレベルまで行きついてほしくて無理を言い、みんなは、なんとかそれに応えようとしてくれて、でもうまくいかず、追いつめられて苦しんでいる。

そう、原因は私だ。まぎれもなく私が悪いのだよ。だから苦しい。(私に会わなかったらこんな苦しみは知らないですんだのにね)
自分の目指す所にあなたたちを導いてあげられない能力の無さが最大の私の悩み。

あなたたちを「私の仲間だ」と言っておきながら苦しみのどん底につき落としている自己矛盾が苦しい。本当に苦しい。あなたたちを理解できない自分が情けない。

後略〜

直後にさらに書き加えている。
日誌より。

(2008年3月6日)
〜前略

さて。
人間難しい。人間難しい?

考え方を変えて変えてみよう。
「人間難しい」から困るんじゃない。
難しいのが人間なんだよ。

そんなに簡単に人間わかってたまるか!
難しいのが当たり前。

だから色んな失敗するしうまくいかないしハラもたつ。
難しいんだからしょうがない。

でも、だからこそ思いやりが必要で優しさが必要で助け合うことが必要なんじゃないか?

人間、みんな不完全。だから声かけあって痛い所もつつきあってみんなが少しずつそれぞれの足りない所を補うんじゃないのか?

人間だからこそできる事はそういう事なんじゃないか?

何度書いても書き足らないからもう一度書く。
私は120%君たちを信じたい。
だからうわっ面のごまかしの言葉はいらない。
だから心の奥底からの生の声だったらどんな声でも真正面から受け止めたい。
それが、仮に想像を絶するすごい声だったとしても。それを全て受け入れる覚悟はもう既にある。
無条件に120%信じたい。だから私のことも信じてはくれまいか?

この頃は本当に苦しかった。私もみんなも。
しかしそれを乗り越えて第3回定期演奏会の成功まで持っていったんだよな。
しかも、演奏会前日深夜まで(いや、…明け方まで…だったなぁ)とてつもない苦悩に悶絶していた。
それでも乗り越えられたんだ。
そしてついにこうなる。

信じること。奇跡を生むこと。この記憶しっかりと胸に刻む。

11月
23
本番三つ

昨日二つ。

いなり楽市。朝10時からいっぷく亭前。
朝一番で合奏してから、積み込み移動。
移動や準備の時間もぎりぎりでなく。一つ一つ私が指示をすることもなく。なんとか想定通りの動きが出来てた。そう言う意味では随分進歩したと思う。
しかし、寒かったな。音程はシビアに合わせるの無理だよ。でも、本番で音出しながら少しずつ合わせようとする努力はもう少しあっても良いと思う。

11時直前に終わってすぐ移動。いなりの中で11時30分から本番だから、ここはギリギリだと思った。出来るかな?
車で運ぶのではなく人海戦術の方が早いと思い、何往復かして運ぶように指示。
どうしてものものだけ車で運ぶ。人出やイベントでにぎわっている中、なんとか境内に入り込み下ろす。
何とかなったか?と思って自分のスコアと棒を持って出ていったらもう既に総合司会が始まっていて、時計を見たら11時29分。
さらに我々のMCも開始された。定刻スタートだ。
素晴らしい。

先刻よりは随分マシな演奏になる。ただ観客が遠いので一体感はあまりなかったかな。

お世話していただいた方のお孫さんはH丘でバンドやっていたそうだ。どうりで詳しいわけだ。
その方が、終わった後、ポソリと「しかし上手くなったなぁ…」とおっしゃった。私に対してではなく独り言のようだった。少し嬉しかった。
精進料理をおいしく戴いて学校に戻り次の日の本番の練習。合奏。
ああ、忙しい。

で、今日一つ。
新城に行った。初めての小屋。ピットの張り出しステージだが、全体が反響している。
演奏中に響きの悪さは感じなかった。むしろ気持ちよい。客席ではどうかな?

ただ、響くホールは怖い。響きに生音が埋もれてしまう傾向があるようだ。
実力の差が如実にでる。上手いと響きが助けてくれる。下手だと響きに負ける。
何度かこの小屋で練習してみたいな。

演奏は、「ま、やることはやった」感じ。決して悪い印象ではない。もちろん課題は山積み。これから一つずつ潰していかねば。

本部のモニターでしか聴けなかったけど11人のAN高校のバンドは好感が持てた。1人1人が誠実で一生懸命な音がしていたと思う。見習うべき事はたくさんあるだろう。

最後に舞台係をした。こちらもまだまだ課題はあるが進化は認めらた。
一度に全てを望むのは難しいのは解っている。一つずつ確実に自分の物にしていこう。

何事も「出来る」と信じることから始まる。
「自分は出来るんだ」と信じる事できなくて辛い事もあるだろう。
逃げ出したい時もあるだろう。
でもそれは、出来ないことから逃げるのではなく「自分はできるんだ」と信じることから逃げるのだと思う。

逃げ出したいのは、今まで信じたことがないから、信じてもらったことがないから、なのかも知れない。

でもTSWでは信じることが出来るのだ、と思う。
信じたいと思うことが出来るのがTSWだ、と思う。
だから少しずつでも進化できるのだ、と思う。
TSWにいさえすれば。

11月
22
続)昔の

日誌。

前の続きがある。

日誌より

(2008年1月31日)

〜前略

疑いを持ちつつ信じるのは辛い。それは誰だってそうだ。
じゃ、なぜ疑うのかな? 何を信じるのかな?

昔々こんな事があった。
あるクラスで盗難事件があった。何人もの被害者、かなり高額だった。
調べていくうちに何人かが疑われた。そのうちの1人にバンド部員がいた。確かにそいつは素行も悪く、約束破る事も多く部活やっていれば他の事はどうでも良い、みたいなやつだったから、指導部も担任も「ほぼ黒だろう」と疑ってしまうのはある意味しょうがないと思った。
クラスに行けないようになってずっと音楽準備室に入りびたり、そこで色んな話をした。もちろん本人は「やってない」と言う。さらに「ある事を知っているがそれは言えない。人を裏切る事になるから」と言う。だから「私が疑われている事はそれで構わない」のだと言う。他の先生に言ったのかと聞くと「そんな事学校のセンセイには言えません」「だったら何でおれに言う?」「先生はセンセイじゃないから…」…なんか良く解らんな。

その時私が何を考え決断したか。
やつの家庭はわりと大変で親とうまくいってない。約束やぶる事多いから友達も半信半疑な感じ。もちろん指導部や担任は疑っている。
どこまでが本当かわからないけれど私に対して色々話してくれた。たぶんそれは本人の気持ち。
やつは今誰からも信じてもらっていない。だからこの世の中で1人くらいこいつの事を信じる人間がいても良いんじゃないか。それなら私がその信じる人間になろうと思った。そして、そうした。
殺人をしてしまった息子を「それでも本当はあの子はそんな子じゃない」と信じる母親のように。
「信じる」という事は無条件なんだな。
その時気付いた。信じる、とか、疑う、とかはその人の行為に対してではなくその人そのものに対してなのだ、という事を。より本質を見定めようとすればその行為の奥に何か別の物がある事に気付く。それを見ようとする努力は常に必要だという事を。

〜中略〜

盗難事件の真犯人であったかどうか、それは今でも解らない。もっと時間がたったらおしえてくれる事もあるかも知れないが…。
それよりもヤツがその時何を考え何を悩み何を苦しんだか?そしてその事が年を重ねた今どう生きているか?
そこに少しだけど関わってしまった私が何を信じたのか?さらにその事がヤツの生き方に少しでも役に立っているか?

 なんてことが私にとって大切な事なんだな。

裏切られるのがこわいのならはじめから信じなければよい。
信じたいと思うのなら裏切られる事を含めて全てを信じなければならない。

信じる、という事は 自分の決意 自分の覚悟。
人のために信じるのではない。自分のために信じる。
全て自分の責任において。

その意味で究極の自己中、と言う事なのだな。

こんな事書いているからか、「さすが永遠の23歳!わかいですな!」と、口の悪いかつての生徒から励ましのメールをいただいた。ありがとう。
そうそう、私は弱冠23歳の未熟者だからね。まだまだ青いのです。

11月
22
昔の

日誌。何となく読み返したくなってね。
TSWに来てから3年経ち、日誌もだいぶたまってきたから、どれがどれだったか探しながら、ああ、あのときはこうだったなぁ、と思い出しながら楽しんでいる。

今までこのWIND MESSAGEで紹介した日誌はTSWのメンバーが書いものだったけれど、私自身が書いたものもそこそこある。
メンバーが書いてきたものに対して応える場合もあれば、私から話題提供する場合もある。走り書きの場合が多いから少々脈絡がない事もあるけれど、その当時の生な声だと思う。
今日はそれを少し書き出してみることにした。
「人を信じるって辛いんですかね」という問いかけ(だと思う。自問自答かも知れないけれど…)に応えた形になっている。

日誌より

(2008年1月30日)

信じることは辛いか?って。 辛いかもね。 でもなぜ辛いの?
信じているその瞬間が辛いか? たぶんちがうね。
信じている事、信じていた事が無意味だと感じたときが辛く感じるときだよね。
あるいは「無意味だと感じるときが将来あるかも」という事を予想しているときも辛いかな。でもこちらは「…かも」という仮定の話だからもしかしたら無意味じゃないかも知れない。その時は別に辛くないよな。

 
という事で「信じる事は辛いか?」の問いに対して私の答えは「No」
信じる行為は辛い物ではない。しかし信じる行為が無意味になった時、すなわち信じたのに裏切られたりした時が辛い。という事だと思う。

〜中略〜

私にとって信じるという事は100%か0%のどちらか。中間はない。作らないようにしている。
信じよう! と思ったら無条件で100%だ。
自分の心の中だもの自分でコントロールできる。何がどうなっても100%信じる。
相手がどう?じゃない。自分の中、心の内部の決意だね。
「認められる」とか「信じてあげる」とかじゃない。自分と相手の関係の中で「信じる」のではなく、とにかく自分が信じる。それで良いんじゃないか。と思うが…。というよりそれしかないんじゃないのか。

〜中略〜

自分の中で何をよりどころとしているか、自分がどう考えているか、が問題で、個々の相手1人1人が現在良い人間かどうかなんてあんまり関係ない。その意味で自己中という言葉は文字通りそうだと思う。むしろ、それで何が悪い?と開き直りたくなる。

11月
19
昨日から今日

今日から明日。
僅かずつでも動いている。
一日一日は同じではない。
かけがえのないその日々が、さらにその先の大切な一日一日に繋がっていきたい。

1つ1つの「音」を大切にし、それがお互いに尊重しながら積み重なり、次々と連なっていく。「音」が「音楽」になり得る重要な鍵だ。
はじめは1つ1つの音の大切さを良く判っていないこともあろう。音楽の流れなど気にもとめないかもしれない。
しかし次第に、まずはそれぞれの「音」(個)がなければ「音楽」(全体)の流れをつくることなど不可能なことに気がつき、さらに大きな「音楽」(全体)のうねりの中でこそ1つ1つの「音」(個)が生きる事を感じられるようになる。
音楽の、アンサンブルの、一番の醍醐味だと思う。

人との繋がり。

そしてそれが一瞬ではなく、時間とともに流れてゆく。
緊張と緩和。
ストレスと解放。
ドミナントとトニック。

音楽の幸せ。
 

日誌より

〜前略

今日は久しぶりの合奏でした。
昨日もしたけど、そのときは11人。
やっぱり人数が多いっていいなと思いました。
人数ってよりもみんながいるって良いなって思いました。
みんながいるとすごい安心する。
存在がとかじゃなくて、音にすごい安心する。
まぁ、存在してないと音は出せないから、存在になのかもしれない。
でもただいるだけじゃ意味がないから、やっぱり音だ。
みんなの音があるから自分も安心して音が出せる。
ただ人数がいれば良いってことじゃなくて、このメンバーだから安心できるんだと思う。
だから1人でもいないと不安だし、だからこそ1人1人がすごい大切な存在。いないと困る。
TSWの中に必要のない人なんていないと思う。
TSWって良いなって思いました。

TSWの中に必要のない人なんていない。
全くその通りだと思う。

11月
16
たまたま

ネットをさまよっていたら、知っている人のブログに行き着いた。
もしかしたら20年近く前の記憶しか無いかも知れない。

しかし当時の彼女のことは鮮明に覚えている。3年間一緒にバンドをやった。
コンクール東海大会の帰り際のこと。動き出したバスの窓から身を乗り出し隣のバスに向かって泣きじゃくりながら「私たちの方がちゃんと音楽してたからね!」と叫んでいた。隣のバスは一つ前の記事の学校で、彼女の親友がそこに居たのだろう。もちろんその学校は全国大会まで駒を進めていた。良いライバルがいて、青春して、幸せな奴だなぁ、と密かにもらい泣きしたのを覚えている。私だって渾身のヒンデミットを演奏した後の結果で悔しかったのだ。

懐かしくていくつかの記事を読んだ。
他愛もない記事をいくつか読んだ後にハッとした。

つい何週間か前に自ら命を絶とうとしたらしい。
その事について記述があるのだからあちらには召されずに無事御存命なのだと思う。
良かったと思った。心の底から。

私は学生時代から友人知人でそういうことは多く、実際に天に召された方をたくさん知っている。
まじめに自分の奥底を覗こうとするからか、もろく壊れやすい繊細な心の持ち主なのか、なんだか良く解らないけれど。

でも、生きててなんぼだよ。
おまえはまだ早すぎる、って言われたんだね。
ここに書いても届かないかも知れないけれど、でも、書くよ。

「いつも心に音楽を!」

11月
16
研修2

研修二日目はA-M高校の吹奏楽の実践発表および練習見学だった。

何よりびっくりしたのは年間の予算のこと。
ここは大きなホールでしかも2部制で定期演奏会をやるからその利益が多い。それ以外でも年間何十本の依頼演奏本番(ま、営業ですねぇ)があり、顧問の先生の言葉によれば「儲かってしょうがない」ということ。
で、生徒からの部費徴収は無いらしい。あの活動内容からすると信じられないけれど、そういえば昔からそうだったような気がする。

もちろん学校からの予算も桁違い(普通の吹奏楽部からするとたぶん二桁違い!)で有るそうだ。遠征なども全て学校持ち。すごいな。逆に楽器の個人持ち率は90%を越えている(打楽器以外は全て、くらいの数字じゃないか?)というから、各個人のお金のかけどころが違うだけなのかもしれないけれど。
前日の合唱部事例では、どうしても音楽はお金がかかるから生徒からもだいぶ徴収しています、だったので、伝統と実績のある所とは随分差があるなぁ、という印象だ。

その割には合奏する部屋は昔と何ら変わらなくてとても懐かしかった。音の乱反射防止にパンチカーペット引き詰めてあったり。
150人が音を出すので学校内だけでなく近隣(普通に街中)に向けても騒音対策は必須だと思うけれど、そのあたりはどうしているのだろう?
ほぼ建物一棟が練習場のようではあったが。

練習は、生徒による基礎合奏と、アルメニアンなど何曲か通しで聴かさせていただいた。やはり個々の楽器技量はさすがだな。上手い。このあたりまで目指さなきゃダメだと再認識。
音楽的力量は開発中な感じかな。自発的、積極的な表現と、それをアンサンブルでどう処理するかなどは、どこのバンドに行っても共通の課題のようだ。特に最近は。
午前中の研修で話題になった「日本はこれだけ吹奏楽が盛んでスクールバンドは世界的にもトップレベルにあるのに、なぜか世界に通用するプロの管楽器奏者が生まれない」の答えがそこにあるような気がした。
技術力と表現力がとてもアンバランスだと思った。
残念ながらTSWは全然その域まで達していないので、まだまだひたすら技術を磨かねばなりませぬが…。

いずれにせよ、じわじわじわじわと「おぉ!バンドやりてぇ!」と心から思った二日間の研修だった。
行って良かった。ホントに。

11月
12
研修1

今日は創部3年目にして全国大会出場を果たした名古屋市にある私学の高校合唱部についての実践報告とその学校の練習見学に行ってきた。

顧問は情熱の塊だった。

指導については、「をぉ!すげぇー」と思ったけれどすぐに私も負けてはいないと思い直した。さらに年の差を考えると永遠の23歳はそこそこの良い線だと思う。

怒鳴り散らし、罵倒し、睨み、威嚇する。説明は早口で聞き取れないことも多い。同じ事の繰り返し。
それに必死で食らいついていく生徒。本気で体を動かし声を出す。目一杯の反応をし、変化しようと惜しげもない。情熱の塊の指導者とそれに目一杯応えようとする生徒たち。
ここまで持ってくるのにさぞかし労しただろうよ。でもここまできたらそりゃ全国大会行けるようになるよなぁ、と感じた。

しかも意図的なのか結果的にそうなのかは解らないけれど、政治的にも成功しているとお見受けした。
さらに彼はそのアピールが本当に上手いな。その手法も努力も。

たとえば、今日の研修資料はB4横で70ページにもわたるものだった。初めから全て読むことを考えていない。(他にも紀要のような論文のような資料が2冊あった。研修では全く使わない。)そのボリュームだけで圧倒してくる。この資料を作る労力を考えただけでゾッとする。エコロジーなんてとんでもない。紙の量がすごいのだから。そして研修が始まる前から到底出来そうもないことをやる奴だ、という印象を与えることに成功しているワケだ。

私は自分で言うのもなんだがそういうことは下手だ。見習わなければ。

明日の研修は違う学校のバンドだ。楽しみ。

11月
10
私学連合音楽会

三河地区私学高校、しかも音楽関係者の集まりだから、どうしても評価が厳しい場合が多い。音楽に対しても、言動に対しても。

しかしそんな中でも我がTSWに対して手厳しいものは無かったよう。ほっと胸をなで下ろす心持ちだ。

あの人数で良くあんな音が出るねぇ!
みんなの気迫が良く伝わってきたよ。
楽しませてもらったよ!

久しぶりにお会いする方々も多く、本番の評価だけでなく、本番終わった後の様子など演奏以外での行動や、別の本番やマーチング大会のことなど様々な場面の感想などもいただいた。

随分てきぱき動けるようになってきたねぇ!
生徒に少し話しかけてみたけど、きちんとしてるね、態度も話し方も。
マーチング大会良かったよ!もう少し人数欲しいねぇ。
ほとんど何もないところから初めて今一番大切な時だ。きっと良いバンドになるよ!

何か少し吹っ切れてきたかな。
少しずつ道筋が見えてきたかな。
そんな感じがした本番だった。

もちろん決して油断してはいけない。
これからがさらに大切なのだから。