11月
08
アルピニストの言葉

アルピニスト野口健公式ホームページにある
野口健の『環境問題って何?』
から抜萃
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 99年に25歳で七大陸最高峰の登頂に成功した登山家は、今このように、環境問題に取り組んでいる。このモチベーションは何処からくるのだろうか? 僕が、彼に聞くとこんな答えが返ってきた。
「人間が生き延びるためだよ」
そう、野口の環境保護は、あくまで人間社会のためなのだ。
「環境問題は、美しい緑を守りたいとか、動物がかわいそうとか、そういった感情的な視点で捉えられることが多い。でも、極端な話、環境を完璧に守りたいのなら人類が滅びればいい。本当は人間が生き延びるための、環境保全なんだ。昔と変わらぬ機能的な生態系サービスがなければ、人類は生き残っていけない」
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次のは野口健氏が少し前にテレビで言ってたの聞いたやつ。
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「無理しないで」と「頑張って」は自分にとって意味がない。
無理しなければエベレストなんか登れるわけないし、いつも頑張っているからこれ以上頑張りようがない。
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決して妙な感情論ではない。
頂点を目指す人はそれを当たり前に思っている。
見習わなければ。

11月
08
せろり

毎日帰宅し玄関の鍵を開けて中に入ると必ずそこで出迎えてくれる。
予想に反する時間だと、少し離れた場所で様子をうかがっていることもあるけれど。
「今まで寝ていたな」と言うような寝ぼけた顔の時もあるけれど。

じっと目をそらさず、しっぽを最大限の速さで振り回し、頭を撫でてくれと迫ってくる。ふんふん鼻で鳴いている。
飛びつくと怒られるので飛びつきたい気持を一生懸命押さえて、「スワレ」と言われるから一応座っているけれど、でも高まる感情を抑えきれずに「この気持どうしたらいいかわかりませーん」と地団駄踏んでいる。

もうすぐ11歳のゴールデン、雌。顔の毛の色もだいぶ白くなってきた。
ほとんど人間の言葉がわかっているのではないかと思うくらい、いつも人の話を聞いている。
気になる単語やフレーズが出てくると、遠くで寝ていてもわざわざ確認のため足下まで来る。
こちらから働きかける言葉もほぼ理解できているようで、「ゴメンなぁ、お留守番しとってな」と言うと、それまで「お出かけだぁ!!」と思い切りはしゃいでいても、「あっ、そう…」とすぐにふて寝を始める。

生後1ヶ月で我が家に来た。親と離れるのが少し早めだったので、犬としての社会化がきちんと出来ず、もともと気の強い性格とあいまって躾に苦労した。「飼い主は群れのリーダーになろう」というアルファ理論全盛の頃だったがそんなことではうまく行かなかった。ありとあらゆる本を読んだ。訓練士にも相談した。そこで出会ったのがこれ。私にとっては犬の事だけでない沢山の事を教わった。今でも読み返す。重要なのはコミュニケーション。心には心で返す。(犬語は解らないからね!)

…今では当初苦労したことが嘘のように穏やかだ。
今日も出迎えてくれた。私は首を抱き頭を撫でほおずりをする。するとせろりは私の顔をなめ仰向けにひっくり返り至福のダンスを始める。しかも鼻で歌いながら。覆い被さってさらにほおずりをすると、おとなしくなって目を閉じてしまう。

この関係はたぶん恋人どうしのようなものではないと思う。
もちろんアルファの確認すなわち服従の儀式でもない。

だいぶ老犬だが、この関係はせろりが先に逝くまでずっと続くだろう。いや続いて欲しい。
 

少し前、「カッパのくーと夏休み(だったかな?)」というアニメ映画を見た。そこに出てくる「おっさん」という犬を見ていろいろ考えちゃったんだな。
そう、せろりとの関係、しあわせだよ。

11月
05
戻る

人が戻った。

少しずつ見失っていたものが戻ってくるか?
手で掴めるものも、そうでないものも。

このまま見失ったままになってしまうか?
見えないものだからこそ、見ようとしなければ。

それぞれのものが、あるべき時あるべき所にあること。
そんな普通の事がなんと大切なことか。

 
少しずつ見失っていたものが戻ってくるか?

11月
02
昨日今日

久しぶりに合奏している。
いろんな都合で出来ない日が続いたが、休日になってようやく落ち着いた合奏になった。
ほんの少しだけだど、出てくる音に何かしら変化があるように感じた。そのほんの少しの違いが大きな差になるんだ。

みんな様々な壁にぶつかって苦悩し、乗り越えを試み、失敗し、傷つき、落ち込み、しかし、再度立ち上がって立ち向かう。
今、失意のどん底の人も、一筋の光が見えてきた人も皆TSWだ。皆でTSWだ。

音楽をやろう。音楽をやりたい。
そのために私の持っているもの全て伝えたい。たいしたものではないがそれでも伝えたい。音楽の幸せを伝えたい。

なんだかんだとトラブルやアクシデント続出だが、この3年で随分登ってきたと思う。しかしそのために今まで色々な意味で少しずつ無理をしてきた。大きな行事や本番が少ないこのあたりで少し一息つこうか。そして今までやってきたことの整理とこれからの準備。気力も体力もフル充電しよう。

日誌から

〜前略

合奏は音楽的なことをしていただきました。
やっぱり、楽しいよなって思いました。今日はなぜか分からないけれど、いつもより、皆の音が聞けたと思います。聞かなきゃっ!っていうより皆の音が聞きたいって思いました。皆とやれることを大切にしたいって思いました。だから聞けたし、合うと嬉しいし、違うと「ん?」って思うし、何か違う気がするけど、そう吹くなら、合わせよう、合わせたいって思いながら吹いたりとか、この瞬間ってこんなに大事なものだったんだって思いました。それでも人足りないよなって寂しくなりました。

人がいて自分がいる。自分がいるから人がいる。
うちを生むことができるのは、うちの親しかいないんです。そう思うと家族ってすごいよなって思います。
その人がいい、じゃなくてその人じゃなきゃだめなんです。
TSWの皆もそうです。皆一人一人じゃなきゃだめなんです。
かけがえのない一人一人なんです。この人なんです。あなたなんです。
だからこそ、一人一人が責任をもって自分の譜面を正確に吹かないと大変なことになっちゃうんです。
皆が、それぞれ自分のすべきことやって1つのものをつくるんです。
皆が同じ事をやるんじゃなくて、メロディーがいてハーモニーがいて、リズムがいてベースがいて、皆別々のことやっていてfの人もいればpが吹く人もいて、だから別々の道を歩いているんじゃなくて、皆それぞれの役割をしながら、一緒に同じ方向歩いているんです。
同じことやればいいだけじゃないです。

〜中略〜

皆違っていい。だけど関係し合わなかったらただの違うものでしかないと思います。

11月
01
右耳

何か奥の方で、ゴボゴボ音がする。
痙攣するように急に始まり、しばらく続く。
だんだん消えて無くなっていくが、調子の悪いときはそれが何度も続く。
外の音が聞こえなくなる程ではないが。

今までの右後頭部から肩下にかけて鉄棒をつっこまれたみたいな痛みが進行し、それが痙攣して耳の機関にでも干渉しているのだろうか。

そういえば喉の痰が絡むのも最近ひどくなってきた。声が出ないぐらいのこともある。

だいぶ体がくたばってきた。

だからって止まってしまうわけじゃない。
なんたって永遠の23歳だからね。

10月
31
パンク

今朝、通勤しようと車に乗ったら、なんやらごろごろ音がする。
寒くなったからエンジンの調子悪くなったかなぁ、とか思いながら少し走った。
しかし、高速道路通勤だから、念のため道路の端に車を止め降りてぐるっと見てみた。

お見事、左後ろのタイヤに空気が入っていないぞ。
車に載ってるスペアタイヤは使えるのかどうか確認したことがない。しかし家にはスタッドレスがある。こりゃ、引き返しタイヤ交換するしかない。

朝から大変。途中で大事故するよりはよっぽどマシだが。
タイヤのパンクなんか今までほとんど無かったが。
帰りにスタンドで見てもらったら、何かが刺さったとかではなく、バルブの調子が悪かったみたい。バルブの横から漏れてた。

走行距離が尋常ではないからしょうがないか。

10月
29
今までの中で

一番苦しい時期だと感じている。
メンバーみんなも苦しい思いをしていることだろう。渦中まっただ中にいるのでとにかくそこから逃げ出したい一心に違いない。

しかし、決してただ苦しいだけは無い。
目には見えないが、少しずつ何かが変化し、少しずつ何かが準備されている。「僅かに」でも書いたけど。

きっと新しい局面への陣痛だ。今までもそうやって1つずつステップを登ってきた。歯を食いしばりながら、満身創痍になって登ってきた。

実は私もここ数日めげそうだった。奮い起こす勇気と気力がどうしても見つからなかった。

が、これを書いている今は気持ちに変化がある。変な言い方だが、変化を感じている自分の感覚を信じよう、と思い直している。

みんな、前に進もうとしているのだ。必ず出来るのだ。信じる。

日誌より

〜前略
ここの部活は、たくさんの考え方があると思います。でも、それはただ「あるだけ」です。その考え方が良いとか悪いとかじゃなくて、「あるだけ」。自分の考えを固定しているから、「あるだけ」。いろんな理由がありますが、まだ、誰もたくさんの中の1つの考え方も取りに行けてないな、と思いました。とくに私の場合は、よくがんこって言われます。それは、やっぱり自分の考え方が固定されているからじゃないですか?だから何か他の考えにぶち当たって、嫌だと思うと、絶対逃げてしまっています。でもそれでは他の誰かの考えはいつまでも、ずーーっと取りに行けないままだと思います。
 音楽だって同じだと思います。誰か他の人の音楽を取りに行かないと、1つにはならないんじゃないかと思います。
後略〜

10月
28
相談

悩んだり行き詰まったり、人の毎日は一筋縄では進んでいかない。

そんなときは身近な人に意見を求めたり、ネットを検索しまくったり、本や新聞読んでみたり、何か参考になること無いかな、と藁をもすがる気持ちでさまよう。

しかし、本当に未知の「何か」を探していることは少ないような。
大概の場合、(はっきり自己認識があるかどうかは別にして)あらかじめ自分の中に何かしらの回答があり、自分の回答を裏付けてくれる「何か」探している場合が多いような。

そして、誰かに相談しても自分に「しっくり」くる回答が得られなかった場合、「参考にならなかった」とせっかくの意見を打ち捨ててしまうことがある?
もしかしたら、そこに解決の鍵があるのかもしれないのに、自分の予想していた回答と違うと「私のことを真剣に考えてくれない」「その話意味ないね」と全く耳を貸さない事がある?

もし相談された側だったら、一生懸命悩んで考えた事をこともなげにスルーされたら、悲しくなるどころか腹立たしくなるだろう。
「だったらはじめから相談するなよ!」と。
「お前のために真剣に考えたのに!」と。

自分が持っていない価値観や方策を得るために、他人の知恵に頼っているはずなのにね。
自分の殻を破り、枠を外すことは、エネルギーが要る。そのエネルギーが不足しているからこそ他の力が必要なのだけれど、他を受け入れるエネルギーも必要だと言うことかな。

10月
27

時には必要な嘘もある。
時にはやむにまみれぬ嘘もある。
だから、全ての嘘が悪ではない、と思う。

しかし、麻痺すると怖い。
嘘が嘘を呼ぶ。嘘の罠から逃れられなくなる。
ドラッグと似てる。堕落。

一線を越える前に気が付き引き返せると良いが。
自分には嘘をつきにくいから、一番よく知っているのは自分自身だろう。取り返せるのは自分しかいない。誰も手伝えない。

10月
27
混雑ピーク時の

ファミレスで食事した。

自分の席からちらほら見え隠れするテーブルに若い夫婦と子供1人が座った。子供は2、3歳くらいだろうか、向かい合って座った夫婦の横手に子供用のイスを用意してもらった。つまり、子供を挟んでコの字に座っているということだ。 子供の反対側は相席で他のお客が食事をしている。

その幼い者は、しばらくおとなしく座っていたようだが料理が運ばれてくる頃になるとイスの上に立ちだした。さらに背もたれに座ったり立ったりを繰り返すようになった。
「ま、子供だからごそごそするのはしょうがないかも知れないな」と思いながら、「もし転んでイスから落ちたらどうするんだろう」と思いながら、「子供がケガしたらまずいじゃん、危ないじゃん、と思わないのかな」と思いながら、「その時はこけるようなイスを提供した店が悪いとか言い出すのかな」と思いながら、想像した一つ一つに冷や冷やしながら見るともなしに見ていた。
で、あることに気が付いた。この両親はその子供の行動について一切何も注意しないのだ。子供は存在しない、自分の邪魔をされたくない、と決め込んでいるかのごとく無関心。いや、ちょっと待て。母親は違うぞ。そんな子供に「あーん」してご飯を食べさせている。しかし、立ったり座ったり行儀の悪いことには一切触れないみたい。
そのうち、その幼い者イスから脱却し、テーブルの上に正座しだした。レストランという公の場の、しかも食べ物がが並んでいるテーブルだ。すぐ隣には別のお客だっているのに。
それでも、母親は何の注意もせずに「あーん」させて食べさせている。相変わらず父親は我関せず自分の食事に没頭している。

この両親は、10年後このその幼い者が成長したとき、様々な難問を抱えて大変な目に遭うんだろうな、その時じゃもう既に時遅しだよな、するべき時にするべき事をするってことは本当に大切だよな、などと話していた。
そしたら、おもむろに今まで全く無関心と思われた父親がその幼い者を抱き上げた。「えっ?子供が嫌いなんじゃないんだ!」「親としての自覚は一応あるんだ」とほっとしようとした。が、すぐにそれは違うと直感した。

とにかくそのときに自分のやりたいことをやっているだけなんじゃないか。その父親は、一番やりたいこと、すなわち「自分の食事」が「終わった」のだ。だから次に自分がやりたいこと、すなわち「子供をあやす事」を「始めた」のだ。
いや、それとも、ようやく食事が終わって手が空いたから仕方なく幼い者の世話をする気になったのかも。

無邪気にはしゃぐ幼い者の罪のない顔と一見幸せそうに見える2人の大人を見比べながら、こりゃ大変だぁ、このつけは誰が払うんだぁ、と苦しくなる食事だった。