9月
24
創部何年?

今年は本校創立80周年記念の年だ。様々な記念事業が執り行われてきたが、よく考えてみると80年という年月は簡単に積み上がるものではないだろう。

さて、TSWは創部何年なのだろう?正確には不勉強で不明のままだ。
蔵書を見るとそこそこ古い楽譜がある。私が中高生の頃流行ったものもあるので最近ぽこっと出来た部活では無いようだ。
とはいえ、私の知っている範囲では約3年ほど。今はそれ以前に遡る必要を特に感じないので、前を向いたままでいる。

前任者も定期演奏会の回数をリセットして第1回から始めたんだし。ま、いっか。

有名な学校バンドの歴史が少し気になった。
T邦の創部は昭和4年だ。ここはスクールバンドの草分けだと思われるのでずいぶん特殊かもしれない。80年近いのだから本校の歴史とそんなに変わらない。
A工大M電は創部50年と言っていたな。日本の実力校の歴史は30年から50年くらいなのだろうか。しっかり調べたわけではないが。
それだけの年月を重ねたら良くも悪くも様々な伝統や習慣が出来上がっているんだろうな。改めて確認するまでもない細かな約束事が脈々と息づいているんだろうな。

われわれTSW-NGOは3年目。
もちろん、今できることを目一杯やる。今いるメンバーで出来る限りのことをやる。それが私の役目だ。3年目だろうと30年目だろうと関係ない。今すべきことは間違いなくい今すべきなのだ。
今無いものは、伝統だろうと習慣だろうとこれから作っていけばいい。
そして、将来の夢や目標も忘れてはいけない。今日の、明日の、一週間後の、一ヶ月後の、一年後の、五年後の、十年後の、…。
TSWとしてももちろん。そして各メンバーももちろん。
それぞれの夢や目標をしっかりと。

自分がTSWのメンバーであること(あったこと)に誇りを持ち続けることが出来るバンドでありたい。胸を張って「3年間ここで活動したんだ!」と言い切れるバンドや人であり続けて欲しい。

9月
20
曼珠沙華

必ず秋の彼岸には曼珠沙華が咲く。
今日、あるジュニアバンドの練習に行ったとき、その窓から見える土手いっぱいに咲いている事に気が付いた。
帰宅してからの犬の散歩中、畑の土手や田の畦にやはり咲いていた。
毎年必ずこの時期になると正確に咲くものだ。もちろん、だから彼岸花なんだろうが。
 #どんな仕組みなのか気になる。日の出日の入り時間を計っているのかな?

先日の中秋の名月は天気が悪くて見れなかった。雨だったな。団子を食べただけ。玄関前にあるススキはとても良い感じに穂が出ているのに。
昨日は台風だった。このあたりは特にひどい事にはならなかったが。練習が無くなったりしてスケジュール的には元々タイトなのにさらにタイトになってしまった。(大会前でなくて良かった…)

今晩は開け放した窓のカーテンを勢いよく揺らしさわやかな良い風が吹いている。
秋の虫が鳴いている。コオロギ、スズムシ、キリギリス、カネタタキ、マツムシ、クツワムシ、…賑やかだ。
いつの間にかもう秋なのだ。

私自身、自分の中で様々な事が動き出しているようだ。今までずっと蓄積してきた経験がどうやらいっぱいになって溢れ出してきたらしい。
TSWの次のステップに行くために、何か新しい風も吹きそうな気がする。
人に変化を求めているのだ。自分も変化しなければ。
そのためにはまず勉強。推察、考察。企画、そして実践。

急ごう!時間がもったいない。

9月
19
ゴクラクハゼ(2)

別宅で過ごしているゴクラクハゼ。全部で5匹。

クロメダカやヌマエビを食べてしまうので致し方なく別居中だ。その住処は確かに居心地は良くないだろうと思う。箱は小さいし水の浄化は限界があるし隠れるところないし。

でもだからといって自分から飛び出して床に落ちるような自殺行為はしないほうが良いと思うぞ。
新天地を求めているのだろうか…?それともやむまみれず発作的に飛び出してしまうのか…?それとも単なる事故か…?

一匹は床に落ちていたのに気づき水槽に戻したら、今のところなんとか泳いでいる。手遅れにはならなかったようだ。
もう一匹は棚の後ろのほうに落ちていたのでしばらく気がつかず、気がついたときにはだいぶ体表が乾いていた。ぴくぴく動いていたので水に戻したが時既に遅し、先ほど絶命した。
いくら乾きに強く少々水から上がっても平気で大丈夫なハゼ科の魚でも限度が過ぎるとダメだよ。

誰かが気づき、手遅れにならないうちに戻してくれたら(自分だけでは決して元に戻れないから)、当事者は「良い経験をした」という事なのかもしれない。
しかし誰も手を貸してくれなかったり、気がついても手遅れだと、残念ながら即そのまま昇天だ。

自由を求めるのも良いがリスクは高すぎる。
飛び出すのは自分の意志かもしれないが、飛び出した後、自分では到底対処できない現実が待っているのだから。

9月
17
我が身を置き換え

というキーワードで検索した。

どうも「我が身を置き換える」ことが不得手な人が多いように感じたからである。
どうやってそのことを説明し実践させ実感させるか、何かヒントがないかなぁと。

実際には「我が身を置き換えた」結果の記述がたくさんヒットするだけで思うようなものはなかなか見つからない。
まだまだ検索語を変えて再トライする価値はあるだろう。

しかし、一つ興味を引くものを見つけた。
ここ。タイトルに親しみを感じた。まだ全部読んでいないけれど、特にここにあるこれなどは私にとって多くの示唆を含む。今、う〜〜〜んと唸りながら考え込んでいる。いやいやしかしTSWは曹洞宗を背景に持つぞ、とか、宗教なんか考えたこともないくせに、などと思いながら。

リンクご自由にどうぞ、だったので直リンクしました。「風の便り」さん、ありがとうございます。でもケータイでは見づらいかも。(私のでは何とか表示できたけれど…)

さて、話は戻って「我が身を置き換える」。
気のきく人になって欲しい。そのためには「我が身を置き換えて」人の気持ちを理解しようとすることが大切だと思うのだが。

「自分の気持ちをわかってよ!」の前に「あなたの気持ちをわかろうとします!」
それが幸せな音楽やマーチングの第一歩じゃないかな。

9月
16
3年計画第3章

は単なる演技タイトルにとどまらない

文字通り、3年計画の3年目という意味だ。
3年間でやりたいことを当初に予定し、その完成年度。…あれ?当たり前か。

この3年間では、TSWの形を作り上げ、短い期間ながらも伝統を作り、実績を作り、ある程度のレベルまで引き上げる事を目指した。

しかし、マーチングコンテストで終わったわけではなく3年目はまだまだ続く。実はあと半年もある。
まだまだやれる。やるっきゃないね。

そうして順繰りに、次の年や第2期3年計画に繋いでいくのだ。
人は入れ替わるが、それぞれの人の心の中にはTSWである(あった)誇りは永久に残る。それぞれの行動や対応は時々で変わっていくが、その根底にあるスピリットは変わらない。
そして、それらが蓄積されてTSWの想いになり伝統になる。

常に変化し更新するが、常に変わらず有り続ける。

これに応えているつもり。

そのことを確認出来たマーチングコンテストだったと思う。
本当にみんなよくやったよ。大変な思いを乗り越えて。誰がなんと言おうがTSW-NGO。俺の誇り。

だからこそ「次」だ!
息つく暇無く本番の波状来襲だが、一つ一つ丁寧に確実にみんなで取り組んで道を切り開こうぜ!

9月
14
明日だ

練習は今日一日。

以前、ここに書いた。

次の3年目。3年計画の第3章。

〜中略〜

もちろん当然私はそこにいる。TEAM NGOスタッフも揃ってそこにいる。(OB、OGもここにいる)
TSW諸君も揃っている。
これ以上の布陣はない。

誰がなんと言おうとTSWは劇的に動き出す。
感動的な活動を展開する。

TSWがどんなバンドを志向しているのか世の中に知らしめるチャンス。
あなた達次第でどうにでもなる。
音楽は、マーチングは、自らが喜びに満ちて初めて表現になる。
苦しみや悩みを乗り越えて、心の底から喜びに満ち溢れた演奏演技を期待したい。

練習は今日一日。
本番は明日、泣いても笑っても一回限り。どうせなら心の底から笑いたい。

9月
13
メダカ(2)

かつては、童謡「めだかの学校」にもうたわれたように、小川にメダカが群れて泳ぐことが見られるのはごく普通だった。

しかし、様々な要因により野生のメダカが各地で減少している。1999年2月には、環境庁(当時)がレッドリストを発表し、その中の絶滅危惧II類(VU)(環境省レッドリスト)(絶滅の危険が増大している種)にメダカを記載した。これにより、メダカは2003年5月に環境省が発表したレッドデータブックに記載され、絶滅危惧種に指定された。

これは、種としてのメダカが日本から絶滅することが危惧されたというよりも、地域ごとに遺伝的に大きな多様性を持った地域個体群の、局所的な絶滅の進行が危惧されたことによる。 メダカの生息水域ごとの遺伝的な違いは詳しく研究されており、遺伝的に近いグループごとにまとめると、北日本集団と南日本集団に大別され、これらは生息している水域ごとに約10種のグループに細分されている。さらに、これらの水域ごとの遺伝的に異なる個体群には、それぞれ相互に異なる環境適応の構造が検出されている。

減少の主な原因は、農薬の使用や生活排水などによる環境の悪化、護岸工事や水路の整備などによる流れの緩やかな小川の減少、繁殖力の強い外来種であるカダヤシとの競合に負けたことなどが挙げられている。また、メダカは水田のような一時的水域に侵入して繁殖する性質が強く、近年の農地改良に伴う用排分離により、用排水路から繁殖時に水田内に進入することが困難になっていることが特に致命的となっており、メダカの繁殖力を著しく削いでいる。そして、この事がカダヤシとの競合をさらに激しくしてメダカを窮地に追いやっていることも指摘されている。

皮肉なことに、絶滅危惧種に指定されたことは、メダカの遺伝的多様性を減少させ、遺伝子汚染を起こさせる引き金の一つとなっている。 絶滅危惧を指摘されたことで、にわかに保護熱が高まった結果、遺伝的な違いなどへの配慮をせずにメダカ池やビオトープ池を作り、誤って本来その地域に放流すべきでない他の地域産のメダカや、観賞魚として品種改良を施された飼育品種であるヒメダカやシロメダカを放流した例が多数ある。ひどいところでは、誤ってカダヤシをメダカのいる池に放流してしまった例もある。これらは、明らかに本来の遺伝的集団の破壊行為である。そのため、誤った知識に基づいてメダカを放流するのは、喜ばしいこととは言えない。

また、近年では発光遺伝子を持った「光るメダカ」などが台湾などから輸入され一部の業者で販売されているが、これは明らかな人工操作であり、これらが放流されてしまうことでの遺伝子汚染が危惧されており、現在販売を取り締まっている。

2007年8月のレッドリスト見直しにより、絶滅危惧II類(VU)の指定が「メダカ北日本集団(Oryzias latipes subsp.)」と「メダカ南日本集団(Oryzias latipes latipes)」の2つに分けて記載された。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
======

たかがメダカ。
されどメダカ。

本来あるべき(完成された)ものが無くなり、人為的に作られた(不完全な)物に取って代わっていく。

時代の流れ。
そんな簡単な言葉で片付けて良いの?

本来あるべきもの。あるべき姿。すなわち本質。
我々の本質って何だろう?
吹奏楽って?
音楽って?
高校生って?
部活動って?
教育って?

==かつては、童謡「めだかの学校」にもうたわれたように、小川にメダカが群れて泳ぐことが見られるのはごく普通だった。==

9月
13
ブログを読む

たったそれだけのことなのに。
内容を全て理解し共感しなさい、ではない。
WEBにアクセスして一通り目を通して自分の記憶に留めていくこと、だけだ。

なのに、これだけのエネルギーを使わないと君たちは行動しない。いや、現実にはいまだに出来ない人もいる。普通は「一日一回くらいは読んでおけよ」と一回言うだけで済むことだろうに。

今日の練習開始時に、この記事を読んだかどうかお互いに確認してみると良い。
「最新の記事は何?」ってさ。

ここに書いたこと、どのような気持で読み理解したのか友達どうしで、パートで、たまたま顔を合わせた人どうし、お互いに確認し合い意見を言い合ってみると良い。なかなかじっくり話している時間がないなら日誌に考えを書けばいい。自分のWEB日記に書けばいい。(書き忘れてた!)なんなら この記事に直接コメント書けばいい。上の方にコメント書く方法書いてある。ずっと以前にそんな話したことあるし、実際にコメント書いた人もいるだろうに。

メモリー(記憶領域)は極端に少ないし、保存はすべて上書き保存だから以前の情報なんかこれっぽっちも覚えていないのかもしれないけれど。なんなら探してごらんよ。書いた人さえも覚えていないかもね

人の話を聞きその事について考え意見を言うことが出来ないから私たちはこう感じてしまうわけだ。少なくとも顧問やスタッフの話や書き込みは君たちにとって「ふーん」で終わる話ではない。それを元に考え行動することが求められる。

◇暖簾に腕押し
◇糠に釘
◇豆腐に鎹
もしくは
◇馬耳東風
◇豚に真珠
◇猫に小判
もしかしたら
◇TSWに音楽  だったりして…。
いやいや、いくら何でものそこまで酷くはないでしょうよ。心ある人たち居るでしょうよ。

あと二日。
変わる事出来るかな?

9月
12
打てば響く

打てば響・く

すぐ、その反応・効果が現れる。
「―・くような返答」

WEB辞書 大辞林 第二版 (三省堂)

反応がない事は、ものすごいストレスがたまる。

例えば…、
◇ケータイで文章作るときに漢字変換が遅い
◇リモコンのボタン押してるのになかなかチャンネル変わらない
◇店の前に立ったのに自動ドアが開かない
◇ファミレスで呼んでるのにいつまでたってもオーダー取りに来ない
◇文字どおり叩いても音のでない太鼓
◇吹いても音のでない管楽器

機械の不備でさえも不快だ。
さらに、それが人の怠慢によるものだとわかったときは怒りに燃えることさえ。

たぶんみんなもそうだよな。

打てば響く。
いつでも気持ちよく響いて欲しいと思うのは欲張りか?

9月
11
伝統と継承

3年計画第3章。本番はもうすぐ。9月15日。

さて、我々TeamNGOはTSW3年目で、ある程度の伝統を造ることが出来たか?
この豊川の地でNGOのスピリットの種をまき自然に株が増えていくまで育てる事が出来たか?

実は思うようには進んでいないぞ、というのが実感だ。
当たり前すぎて確認することすら忘れているような事、TSWに参加する以前に当然出来ている、出来るはずと思っていたことが、ことごとく我々の思惑から外れて出来ていないようなのだ。
例えば、バーゲン品の割引支払い計算を考えているつもりなのに、実は九九を知らなかった! のような感覚だ。

今回表面化したTSWの誇りや、メンバーとしての自信の問題(すなわち、それはTSWへの愛着度の大きさだと思うのだが…)なども全く想定外であった。
毎日毎日顔をつきあわせて決して楽ではない練習を積み重ねているにもかかわらず、各自の心の中でのTSWメンバーであるという意識の希薄さは驚愕でさえあった。他に混じったときに即埋もれてしまうような実に脆い意識であることが証明されてしまったのだ。
どんな時もTSWのメンバーである事を忘れないという一番の大前提で当たり前の意識ですら、欠如している事が顕在化してしまった。
「他の人たちはいざ知らず、我々TSWはいつでもどこでもきちんとやるんだ」という誇りに満ちた行動は皆無だったからな。

結局、TSWの活動を続けていくための大前提から丁寧に一人一人理解させ確認させないとどうにも進まないということなのだろう。
砂浜に撒き散らしたビーズ玉を一つ一つ残らず拾い上げていくような、気の遠くなるような作業をしなければ活動の大前提が成立出来ないのだろうか。

勤務から帰るとき高速道路のサービスエリアで眠気を覚ましながら深いため息をつく。何度も。
ここで様々な指示のメールを打ち続けた。そんな奮闘の甲斐もなく、TSWの誇りは造れなかったのだ。

今のままではダメだ。それこそ1年さらい続けてもできあがりは良くならないだろう。

この3年間、臨界に近いエネルギーを放出し続けてきたつもりだ。
これでダメならさらにパワーアップしなければならない。
果たして私にそのエネルギーが保ち続ける事が出来るだろうか?
果たして私にその時間を与えられているだろうか?

メンバー一人一人がほんの少しずつで良いからエネルギーを出そうとしてくれたら状況は変わるかもしれない。
藁をも掴む気持ちだが…。

「気持ちはあるつもりなんですがどうやったらいいかわからないんですぅ」
「やろうとはしてるんですが、気持ちだけ焦って上手くいかないんですぅ」
って言い訳してるうちはダメだろな。だって結局やってないんだから。
本当にやってるやつはそんな愚痴は言わない。弱音は吐かない。

なんとしてもやりきる。
絶対に間に合わす。
意地でもやり通す。

このような強い気持ちを期待されるのは負担ですか?
このような伝統を造るのは人に任せたいですか?