がついた、と思う。
いつもの事ながら苦しかったな。ホント命縮めてるよ。何やってんだか。
でも、やっぱりウワッツラのキレイ事がどうしても耐えられないんだな。
どうしようもなく心の底から湧き上がってくる、コントロール不可な生々しい感情。
しかし、なぜか、みんなそれを表に出さないように頑なにガードする。
恥ずかしいのか。知られるのが怖いのか。なるべく見せないように。知らない振りをして。
何とかしてそれを引き出したい。生な素直な気持ちを少しでも表出させたい。
そのことが、多分これから先の活動に大きな影響を与えるから。自分自身の生き方や考え方がより深くなるから。一度出てしまうと楽になるしね
それでもなかなか出てこないんだよ。色々な手を使ってもこちらの意図と無関係なことになっちゃう。
すぐふたをする。ふりをする。
だから捨て身の真剣勝負。出たとこ勝負。
絶大なる覚悟と瞬間瞬間の判断力の世界。
こちらも大きなリスク背負わなければフェアじゃない。
とてもスリリングだ。
今回は特に苦しかった。しかし、どうやら抜けたようだ。
格段にパワーアップしているに違いない。
明日からが楽しみだ。
よくがんばったぞ!
今、様々な問題を抱え混乱し、一見収拾が付かないような状態である。
当事者達は何をどうして良いか分からず、何から手を付けて良いか分からず、何をどう考えて良いか分からない。一言で言えば支離滅裂な状態。
みんな、もだえている。苦しんでいる。叫んでいる。そして、撃沈している。
決して高みの見物をしているわけではなく、相当苦しい。昨日も苦しかった。今日も苦しかった。明日もきっと苦しいに違いない。
たった20人前後の集団なのに全員の現状を把握し切れていない。把握しているつもり、なだけだ。次々と問題が勃発する。私は、せいぜい何人かと決着を付け少しずつだがサルベージを開始しているだけだ。
しかし、そんななかでも育つ。それぞれほんの少しずつだが昨日とは違う。よろけながら、こけそうになりながら(実際にこけてる奴もいる!!)、訳が判らなくなりながら、涙でくしゃくしゃになりながら、それでも憑いたように進もうとする。
そう、そのパワーだ。若さあふれる絶対的なパワーだ。検証は後からできる。今はがむしゃらに前へ進むときだ。それは必ず次で生きる。
めげるな。
なげるな。
とまるな。
必ず抜け出せる。抜け出して爆発的にパワーアップする。
今に見ておれ!
今日は卒業式。ここに来て二年めではあるけれどある意味初めての卒業生を送り出す。
6人の誇り。心からおめでとう。
良くも悪くも私と出会ってしまった事が何か意味を持つことになる。感慨深い。
私にとってのこの仕事は、関わったみんなにこの先があるから、私の元を離れて全く音信不通になるとしてもそれぞれの未来が確実にあるから、意味があるのだと思っている。
一緒に過ごした時だけでなく。
この地でもそれが始まった。
しっかりと自分の足で大地を踏みしめて歩んでいって欲しいと思う。
かつて私にこんな事を言った奴がいた。
「自分の存在価値なんてものは自分で測ることなんか出来やしない。相手の記憶の中にどれだけ長く大きく居続けられるかで決まってくるんだ」と。
予餞会のための各部合同のリハが予想通りのペースで進み、そのあおりをくって時間のやりくりが上手くいかず、変則的な練習形態になった。
リハ終了後無理を言って練習室に戻らずそのままの場所で卒業式(予餞会の、ではない!)の練習を試みた。
しかし、自分たちも気が利かない。
どんな練習になるかある程度予想していたら(本当は指示が出ていたはず)一連の楽譜はあるだろうに。
合奏できなくても自分がさらわなければ、と思っていたらその準備はするだろうに。予餞会の準備だけで卒業式の準備がない。直後にある保育園本番の準備がない。
それでもやらないよりはマシだろうと練習開始した。しかし最大の問題は別にあった。
会場内が騒々しい。いくつかの部活動がそこに残っている。残っているのは構わないがうるさい。とんでもなくうるさい。
練習するなとは言わないが、もう少し気を利かせて考えられないか?
打ち合わせするなとは言わない。が奇声を発する打ち合わせはそうはないだろう。
信じられないのはどちらも生徒だけではないということだ。しかるべき指導者がその場に居合わせている。
しかもその声もでかい。僕らの練習に合わせて鼻歌まで歌ってる。
そりゃ、これでは人は育たないよ。見本ができてないんだもの。馬鹿にされてもしょうがない。
そう言えば何ヶ月か前、同じような光景に出くわした。
体育祭アトラクションでマーチングをやるから、前日その場所で練習していた。
後から来た部活が(たぶんいつもの通りなんだと思うが)練習を始めた。
我々がマーチングの練習をやっているエリア内でだ。しばらくは練習の様子を見ていたはずだから、どこから何処までの範囲で我々が練習しているかは一目瞭然だったはず。(ポイントだって打ってある!)
本番前最後の通し練習最中だった。あたりまえだが衝突を避けフォーメーションは崩れ、音楽も合わせられなくなった。向こうだって衝突しそうになれば自分たちの練習が出来なくなって困ったに違いない。
確かに我々はその時だけの外様だよ。よそ者は邪魔だ、と思われたのかも知れない。うっとおしいと思っただろうとは思う。でも、気が利いた人なら何らかの対処は出来たはずだ。
その時もやはり、すぐ側に、その部活動の監督はいた。
悪いのは生徒ではない。大人だ。
だから、人のふり見て我がふり直せ。
自分にもその類の事がないか細心の注意をすべきである。
久しぶりに夜を徹した。
自称23歳の私だが、もう少し若かった頃は二日三日と睡眠を取らずに仕事をしていた。
日中は普通に仕事に従事しているのだから、そこでは出来る事と出来ない事がある。
週末に、というのはダメである。私の仕事に週末はない。休みはないのだ。
月月火水木金金。いくら世の中が週休二日になっても変わらず。
すると、どうしても家で、しかも夜中にやらなければならない仕事が増えてくる。
さらに、締め切りが近づくともうどうしようも無い。徹夜だ。
体調が悪くなると悲惨だ。徹夜すら出来ない。締め切りは迫る。
それでもやらなきゃ。辛いね。
我がTSWの諸君も同じような思いをしている人たくさんいそうだ。でもな、やるしかないんだよな。
そのときに必要なのは、他でもない体力。知力でも感性でもない。
体力無ければ元気は出ず、元気でなければ良い仕事は出来ない。
どうしても体がついて行かない、ということであってもやるしかないんだよ。
自称23歳はそれでも徹夜して何とかしてきた。今はとにかく体力が欲しい。
だから、いま猛烈に眠い。これ書いたら寝よう。誰がなんと言っても寝よう。
数年前から煙草を一切吸っていない。
それまで二十年近くに渡って毎日二箱以上、しかもきつめのやつを嗜んでいた。いわゆるチェーンスモーカーだった。
しかし、止めるに当たって大した苦労をした記憶はない。「今日からしばらく吸わないでおこう」と思っただけ。
きっかけは、お小遣いが乏しくなって「もったいないあなぁ」と思ったこと。健康については考えてないと言ったら嘘になるけれど当時はさほど重要なポイントではなかったように記憶する。
#今は少しばかり健康上の理由もある。
さすがに初めの数日は煙が恋しかったが、強く「吸いたい!」とは思うことなく、周りで吸うのも気にならず。
あれだけ吸っていたのに案外大丈夫なんだ、と自分でも意外だったり。
後々、煙草を止める話題になる度に「どうやって止めた?」と聞かれる。特に何かしたわけではない、と応えると、大概の人は「すごいなぁ、意志が強いなぁ」と感想をもらす。
「どんな禁煙対策したの?」と聞かれ「いや、別段特別なことをやった訳じゃないですよ」「事の成り行きですよ」と説明するのだがなかなか、本気にしてくれない。
私が「吸わない」と思うから吸わないだけ。もし「吸おう」と思ったら躊躇無くまた吸うだろう。自分の中ではそんなに難しい事だとは考えていない。
これって「意志が強い」ってことなのか?
普通なことに考えているんだけど。もしかしたら「頑固」かも知れないな、とは思うけれど。