毎回の合奏が練習にならない。
大いに反省すべきであると思いつつも、どうしても、何とかして、ほんの少しでも良いから、伝わって欲しい、と思ってしまい、しゃべりすぎる。
なんでだろう、と自分でも思うよ。
何をそんなにかたくなになるんだ、と思うよ。
それが伝わったからって、ただの自己満足じゃねぇのか、と思うよ。
とにかく音出して練習せねばいかんのに!
時間がもったいないのに!
そろそろ合奏で何とか曲を形にする、という図式を壊さなければならないだろう。
個人練習やパート練習が上がっていなかったら、何も出来ないまま、すさまじい本番になってしまうことを体験せねばなるまい。そろそろ自分が何もしなかったら顔から火が出るほど恥ずかしい思いをする、ということを知るべきだ。
とは言っても、実は私自身、その覚悟が出来ないでいるのだ。
T邦を去るときに捨てたはずなんだけど、まだどこかに見栄とか要らぬ誇りとかがあって、たまに顔をのぞかせる。まさに今がそうだ。
私が棒を振っているのにそれなりの演奏が出来ないバンドが許せない。
それは、同じレベルまで目線を下げ泥まみれになってみんなと格闘する勇気をどこかにおいてきてしまったからかも知れない。
だからスタッフに甘え、3年生に甘え、来年度の新入生に甘え、いろんな場面で様々甘えているのが自分でも良く判る。
今日、たまたま第一回定期演奏会のDVDをちらっと見た。
一見「お、そこそこ人数いるじゃん!」「そんなにすさまじい音していないぞ!?」
だけどよく見るとトラだらけのステージ。私の知らない人たちがいっぱいステージにのっている。(自分も棒を振ったのに!全然見知らぬ人たち。)
なんだか痛くてすぐ見るの止めたが、今も胸にとげが刺さったままだ。
その演奏が「痛かった」のではない。そのステージに音楽ではなく人の業を垣間見てしまったのだ。そしてその業が今の私を直撃したのだ。
自分はいさぎよさを忘れている。これじゃダメだ、と直感した。
人数が少ないから、技術が未熟だから、編成が揃わないから、何とかそれを誤魔化して形にしよう、と思うのはよそう。
カバーして誤魔化してもTSWの音楽レベルは上がらない。後々自分が恥ずかしいだけだ。
正直にきちんと出来ることを少しでも増やそう。そのために時間を費やそう。エネルギーを使おう。
具体的にやるべき事を伝えよう。みんなに説明しよう。手始めに「今後どう打開していけばよいか」部長に少し話をした。
TSWのみんな、申し訳ない。
いま、なかなか上手く事が運んでいかないのは他でもない私の努力が足らないのだ。そう肝に銘じる。