ストレスと開放。
緊張と緩和。
急と緩。
ドミナントとトニック。
「出来るだけストレスを受けないようにする」ではなく、「どうやってストレスを超える開放へ導く」かが大切なのだと思う。
トニック(主和音)だけの音楽はつまらないからね。
吹奏楽の世界(いや、吹奏楽に限ったことではないかな…)でよく使われる「サウンド」という言葉。その考え方。確かに大切だけど、そこには時間的経過の概念が無いように思うことが多い。
「良いサウンドだね」という褒め言葉は私にとって「音は良いのに音楽になってないよ」という厳しい批判に聞こえることがある。音楽は時間の流れが無ければ成り立たない。という事はひとつの「サウンド」が次の「サウンド」に推移していくことに大切なカギがあるのじゃないか、その瞬間瞬間が良い「サウンド」をしていてもその連続性が無意味なものだったら「音楽表現」としては成り立たないのじゃないか、と思うからだ。
開放の喜びはその前にストレスを感じているからこその喜びなのではないか。音楽の和声の考え方でトニックの前には必ずドミナントがあるように。
さて、私たちの毎日はいつも平穏ではない。危機はいつでも訪れる。誰にでも訪れる。来ないで欲しいと思っても無駄だ。油断するとなおさらダメだ。予想通りだったり、不意打ちを食わされたり。
(日誌より)
〜前略
今日レッスン受けていろいろ思った。メンバーの中くらい、いろんな姿見せてイイって。先生も言ってたけど、かっこつけなくていい。一緒に曲を作ろうとしている、アンサンブルしようとしてるメンバーならケンカたくさんして言い合いもたくさんして…。遠慮なんかいらないと思った。
今までの練習じゃ進まないよね。変わンなきゃ本当いけないよ。甘いんだね。1人1人が…。1人1人が変わんなきゃこのまま成長はしないね…。頑張ろ。
とりあえず1つ1つを丁寧にだ。本当基本がダメダメ。もォ〜自分が情けない。悔しい。落ち込む…。けど落ち込んでてもしょうがないカラ今出来ることを確実にやるしかないね。
後略〜
次から次へと危機はやってくる。でも立ち向かうのは、他の誰でもない自分自身だよ。
(日誌より)
最近、波乱の毎日ですね。そのせいか、涙腺が弱くなっています。内心、すごく焦ってる。バスの中も、旅館にいるときも、あわせなくて大丈夫なのか??今自分がやるべき仕事はないのか??頭の中で色々な事がぐるぐる回って一人でじたばたしてるような感じでした。あまり落ち着けなかった。色々なトコで時間を無駄にしている所を見つけ、そのたんびにやるべき事を見付けられない自分がはがゆくて、イライラしました。あ”ー、もう!!
後略〜
次から次へと。本当に嫌になっちゃうね。でもねそこでへこたれちゃいかん。ゆっくりでいいから、少しずつでいいから何かをしないと。
(日誌より)
~前略
反省することがいっぱいある。
言われてからじゃないと動けないのを、自分で考えて、自分から動かんといかん。
自分の中で思うことがあっても、自信が無くて、間違ってたらどうしよう、ていう自分がいる。だめだなぁ…。
これを直さんと前に進めんのに。
自分に自信を持って…頑張ろう!
そうやって、踏ん張ってなんとか持ちこたえるとピークを超えたところで喜びが来る。渦中では絶対判らないような大きな開放が来る。それが自信につながる。次への活力になる。
決して諦めない事。
次の手を考えること。
捨てないこと。
失敗を恐れずに何でもやってみること。
なりふりかまわず。
白状すると、決して、毎日の指導を綿密な計画の下に、しかも自信満々にやっているわけではない。ほとんどの場合が思ったようには行かず、進むべき方向やその方法など修正、修正の繰り返しである。その瞬間の判断で持っていく方向がまったく変わってしまう事だって良くある。
その一方で、その瞬間に自分が感じたり考えたりしたことを率直に受け止め行動しよう、と心がけているのも確か。それが良いのか悪いのかそれすら解らないけれど、いくら突拍子も無いことであってもその時自分が感じたり考えたりしたことは自分自身にとって事実に変わりないので、ありのままに振舞うのがいちばん嘘が無いはず、と、とても身勝手に思っている。
もちろん、もっと長期なスパンで、私と関わった(わっている)人たちが将来こうなって欲しいな、という強い希望は持っている。
とはいっても、これもあくまでも私の「希望」なので、私の身勝手をみんなに押し付けることになるかもしれない、のは承知の上。
だから、いつも迷うし悩む。教え育て指導することと、自分の価値観を強要することの一線を見失いそうになるから。
その迷いを振り切り自分を前に進めてくれるのは他でもない、目の前にいる生徒たち。
私の発言に一喜一憂し、一生懸命応えてくれようとしている。
(日誌より)
〜前略
ぶっちゃけた話、うちはこんな人生送るつもりなかったです。
〜中略〜
部活だって吹奏楽には入ろうと思っていたけど、そんなに真剣じゃなくて、それより、高校生だから、いろいろな憧れがあって。でも豊川高校に入ってみたら部活は大変だし勉強もやれッて言うし、
〜中略〜
色々なものに挟まれて挟まれて、うわぁーッてなった時もあった。うちはもっと楽に生きるつもりだった。なんとなく楽しく生きるつもりだったんです。でも、ここに来て本当の楽しさいっぱい知れました。本当の辛さもいっぱい知れたし、大変さも耐えることも、沢山人生の勉強をして、毎日楽しいです。毎日幸せです。でも、多分もっと違うかもしれん。まだ本当は知れてなくて、もっともっと楽しいことも辛いことも、違う楽しさも辛さも、まだまだもっと知りたいと思う。部活でもだけど、それだけじゃなくて、もっと色んなこと経験して色んな所で、知っていけたら良いな。自分の世界を広げたい。最近は苦しいことが楽しいです。苦しいけれどもう嫌だッ!てなるけれど本当は嫌じゃないです。適当に生きなくて良かったって思う。こんなに夢中になれることがあって、こんなに目標に向かって頑張っていける場所があってこんなに良い仲間と友達と先生方に囲まれて世界一ではないけど、今までの〜〜〜〜一幸せです。でも、この先もっと幸せなことが訪れるといいな。
後略〜
まだまだもっともっと頑張らなければ、と思う瞬間。
迷っている暇なんか無いよ、応えなければ、と反省する瞬間。
私がやっていることでも、何かしら意味がありそうだ、やらなきゃダメなんだ、と確信する瞬間。
日誌があってよかったな。
なかなか面と向かってしゃべるの難しいもんな。
書いてくれてありがとう。
私が何か豊かに感じる瞬間をありがとう。
日誌とは各学年に1冊ずつ回っていて、日替わり当番が思ったことを書いて毎日顧問に提出することになっている冊子。書いてあることがどこまで本音か判らない時もあるけれど、大概飾らずに本音を書いてくれていると思っている。根拠は無い。私の直感。
人は皆、自分と同じではない。
よく考えてみれば判っていることなのに、なぜかそのことをすぐ忘れる。
違って当然。そこが出発点だと思う。
(日誌より)
みんなで話したことがちがったってことかな??それとも期待してた答えがかえってこなかったってことかな??バラバラってことはあると思う。十人十色みたいにみんな同じこと考えていないし。
ミーティングをやった後、自分の望むような話し合いにならなかった不満に対して応えている。
さらに、別の人がそれに応えて、
(日誌より)
話し合いなんてバラバラであたり前だと思うのだけど。
先ず、話し合いってのは「結束力の確認」ではなくて、「結束力が足りないと感じたからこそ、ぶつかってでも結束していくもの」では?答えなんて期待通りに返ってこないもの。だからこそ話し合いするんじゃない?
と。
そうそう、どんどんぶつかってください。
逃げずにぶつかってください。
疲れてへろへろになるまでぶつかってください。
一年最後の日に今までを振り返り、これから先を確認してみる。
特に今年の後半(夏休み以降)はTSW部員にとって厳しい要求をしてきたのだろうと思う。
今まで考えたこともなかったようなことを「自分で考えろ!」と言われ、今まで経験したことのないような緊張の中で音を出すことを求められただろう。
そして、その要求に応えようとはするものの、上手くいかず気が滅入り、自信がなくなっていく。やる気が削がれ、練習から逃げたくなる。その気持ちを指摘されさらに落ち込む。ずっとその連続だっただろうと推測する。
辛かっただろうと思う。苦しかっただろうと思う。リタイアしてしまった仲間も少なくない。
私自身も皆と同様に苦しかった。相当な無理をした。そして自分で自分の首を絞めているような感覚に何度も襲われた。
しかし我がTSWが次のステージに進むため、どうしてもある一線を越えたレベルまで引き上げなければならないと考えていた。この段階では、TSWの組織力を引き上げるべき最優先のものと設定していた。
バンドは(TSWは人数は少ないけれど)単独行動ではないのだ。様々な人がいろいろな立場でバンドに関わる必要がある。何事も人任せではダメだ。なぜなら「表現」とは他の誰でもない自分自身がするものだから。
自身が何かを一生懸命やらなければならない、ということは理解し行動できるようになった。
自分以外の人に対し「関係ないね」ではなく「自分も何か関われないか?」と考えることも少しずつ出来るようになった。
次はその思いを個人だけで動くのではなく「全体としての具体的な行動」にすること、すなわち積極的に自分以外への働きかけをして、さらに一つにまとめ全体の方向性を整える事が課題だと考えていたのだ。
しかしこれがなかなか難しかった。いじめられるから、はじかれてしまうから、という理由で人と違うことをすることを好まず、他人と衝突することを極度に恐れている君たちに対し、「自分の考えをきちんと他人に要求する」というのは最初はほとんど不可能だったよ。
(ただの我が儘かも知れない)という一見立派な反省からか、(人と違ったらいやだな)という恥ずかしさからか、(意見がぶつかったら明日から一緒にやっていけないかも知れない)という恐怖心からか、どうしても具体的な行動に繋がらなかった。
それでも 「喧嘩していいんだよ」「言わなきゃ知ってもらえないだろ」「もし間違えたと思ったら素直に「ごめんなさい」って謝る気持ちを持てばよい」と言い続けてきた。
特に今年最後アンサンブルの練習をしているときに強調したよな。「他人行儀じゃだめだ」って。「もっと人に対してつっこんで行かなきゃ」って。「このメンバーの中だったら少々取り乱したって受け入れてくれるって信じなきゃ」って。
少し時間がかかったけれど、なんとか理解できたのかなぁ、と思うようにはなってきた。とは言ってもどこまで君たちに響いているんだろうか?心の片隅ではまだ何かの拍子に少し不安に思ったりもする。
今まで何もなかったところ(いや、否定的な感情から始まっているからスタートはむしろ負だ…)に新しい価値観をもたらすのだから、かなり積極的にいろいろ努力せねば先に進めないよな。
「人と関わる」こと、来年もぜひ深めて欲しい。「アンサンブル」しよう!
そして来年は次のステージ。次なる最大の目標は個々の技量アップだ。「まっすぐでくじけない気持ち」と「正しい練習」があれば必ず伸びる。今までは「気持ち」を整えることに重点を置いてきた。正しい練習を行うための環境作りだ。来年はその上にひたすら練習だ。技術を身につけよう!
これからが貴方たちの正念場だ。へこたれるな。必ず出来る。そして身につけることの出来た技術は一生自分の宝になる。
2008年は3年計画3年目。TSW飛躍の年にしよう!!!
皆に期待する!!!
いよいよ明日大晦日。
今日は日頃出来なかった掃除をたくさん。
洗車して、仕事部屋も片付けて、と欲張っていたが、昨晩から不調だったこのBLOGのメンテナンスが結局朝までかかってしまったので寝坊してしまい、断念した。
午後セロリの散歩中、雪が降ってきた。しかもボタ雪ではなく、直径5mmくらいの丸い奴。すぐにやんだけどね。同じ愛知県だけど勤務地との天候の差は著しい。
夜は友人夫妻と石狩鍋。火の通ったイクラの食感は初めてだったが、なんやらおもしろかった。
その後餅つき。残念ながら臼と杵ではなく、以前オークションで手に入れた餅つき器がゴロゴロやってくれる。
普通の伸し餅と、餅米とうるち米が半々のたがね餅をついた。合計四升。
たがね餅は三重県の風土らしい。なかなかこのあたりでは聞かないようだ。
友人が好きなのでこのところ毎年ついている。うるち米のプツプツと、餅なのにあまり粘らない感じが私もきらいではない。
しばらくするとTVで「イカ天」の特集をやっていた。
おおぉっっっっ!懐かしい!
平成元年〜二年のことなのでもうずいぶん前だよ。そういえば毎週「明日の練習にひびくなぁ」と思いながら深夜の放送を見ていたよ。出演したバンドは案外覚えているものだ。「ああ、知ってる、覚えてる」ってなる。
改めて聞くと、今も鮮明に記憶に残っているバンドは上手い。格段に上手い。
素人でもこれだけのことが出来るんだね。
さあ、明日一日で今年は終わる。2007年の締めくくりは何をやろうか?