1985年度卒 尾関達也
6月1日の演奏会は、皆様お疲れ様でした。
この演奏会が企画され、参加の集約の声がかかったときは、まだ稲垣先生もご存命で「もう一度先生の指揮でマイウェイを吹きたい!」と思い参加を決めました。
その曲だけ位の軽い?気持ちで練習に参加していましたが、曲が増える度にブランクの長い私には難しい曲が多く、正直諦めてバンドを去ろうと思っていました。
鳴海での懇親会の時に長尾先生が、スカビートの曲をしたいと伺い「ギターで一曲出るのもありかな?」「でもな~」と考えたり。
その後何度か練習に行く度に、「やっぱりついてけないから辞めよう」と葛藤してました。
そうこうするうちに、スタッフに松井君から、インスペクターのサポートを頼まれました。
お気付きにならない方もみえると思いますが、私は最初からスタッフではなく、途中から裏方をやらせて頂いてます。
そのサポートスタッフの誘いを期に「よし!トロンボーンは今回は吹かない!その代わり裏方で皆さんをサポートしよう!」と決めバンドを去ることを踏みとどまりました。
毎回出来るだけ練習に参加し、皆さんの演奏を聴いてると、ギター1曲ならもう少し弾くか?と考え最終的に4曲参加させて頂きました。
今思うと、コンサートホールにギターで出たのも、貴重な経験だったと思っています。
演奏でもスタッフとしても、あまり貢献出来ませんでしたが、沢山の方々と出会い、繋がる事が出来ました。
ALL TOHO WINDSに参加し、演奏会の一員として同じ舞台に上がれた事は、本当に貴重な経験になりました。
また皆さんと一緒に音楽やりたいです!
このご縁を絶やさず、今後ともよろしくお願いいたします。
色々とご迷惑をお掛けしましたが、ありがとうございました。
尾関先輩、大変ご無沙汰しています。
職業柄名前は伏せさせて頂きますが、定演の写真で前3人と自分は同級生です。
入学式から数日経ったある日、意を決して音楽室に行った時に最初に声を掛けてくださったのが尾関先輩でした。
田舎の中学でトロンボーンを吹いていたことをお伝えすると「吹いてごらん」と笑顔で先輩の楽器を吹かせて頂きました。思えばあの日がヤマハ以外の楽器に触れた初めての瞬間でしたね。
その後の正式入部で楽器が変わることになり先輩にご挨拶に伺うと「良い音だったのに残念だなぁ」と社交辞令?のお声がけを頂きました。
あの日の出来事は38年たった今でも鮮明に覚えています。
当時は上級生と下級生に明確なラインがあったのですが、先輩は自分には分け隔て無く本当に優しく接して頂けました。
時には練習後に食事をご馳走になったり、1年の時の思い出となっています。
いつかお会いできればと思っていますので、それまではお元気でお過ごしください。