OLD WIND MESSAGE 1
NGOがT邦吹奏楽部時代に書いたものを再掲載します
最近、会議だ、出張だ、と忙しく、みんなとゆっくり話しをする機会が少ない。特に一年生には申し訳ないと思う。しかし、100人を越える集団が成り立つためには、申し訳ないでは済まされない事だ。そこでこんな物を作ることを考えた。何号続くか解らないが…。
まず手始めに、以前特定の部員に対して書いた物をそっくり載せることにした。私の東邦高等学校吹奏楽部に対する思いの一番根元的な部分である。
以下、その一文である。(原文は、ほとんど思いつきの走り書きなので、読みにくい文章であることをご勘弁下さい。)
結局自分自身が何かを判断し、決定する、という経験が貧しい(全く無い、とは言わない)人があまりに多すぎるのでしょう。
そうなると……
1) 人の情報のみを頼る。 → 情報量が多い → 何が必要な情報なのかわからない。 → 思考停止する。
2) 人の情報のみを頼る。 → 情報量が多い → 何が必要な情報なのかわからない。 → とりあえず自分に都合の良い情報だけを取り入れる。 → それ以外はみんなまちがっていると(自分は正しいと)思い違いをする。 → 視野がどんどん狭くなる。
3) 人の情報のみを頼る。 → その情報によって行動する。 → 失敗する → 情報の(情報源の人)のせいになる。 → 自分は悪くないと思い違いをする。 → すべて自分は正しく、他人が悪いことになってしまう。
4) ………
要は、自分が考えもせずに人に与えられたものだけで生きていくと、人が人として生きていく上で大切なものをどんどん失ってしまうという事。
・自分に対する責任感
・人に対する思いやり
・権利と義務の概念
・etc. いろいろ
その事を僕はとても危機的に感じ、考えているのだけれど、なかなかその気持ちをうまく表現できずに、こまぎれで前のページに書いたような事しか書けない。
もっともっと強く言いたい事があるのに…。
すごいジレンマがある。
1つだけはっきりわかっている事は、僕の生き方にしろ、音楽にしろ、考える事にしろ、ある中心となるべき考えがあって、すべてそこから放射状に広がっているという事だ。
その中心となるべきものを言葉で説明するのにいまだうまくいっておらず、みんなに伝わっていかない。だから逆にその放射状に広がっている諸々の事(音楽の事、星の事、魚の事、色々すべて)から、その中心を見つけてほしいと思う。それは、人が人として生きて行く上で何が一番大切か、という事を含んでいる(というより、それのみ)
パリ・ルカップラリーでパジェロが優勝する事と、ここのたこ焼きは食べない方が良いと思う事と、長良川が死んでしまうかも知れない悲しさと、良い音楽を聴いて涙する事は、すべて自分の中にある一点に集中していく。
大人とか、子供とか、男とか、女とか、そんなものすべて越えてしまった所にある人間のすばらしさを見てみたいと思い、その人間も、もっともっと大きくて深い自然の一部なんだと思い、そんな地球の中で宇宙の中で生きる、敬愛に満ちた素晴らしい世界で、人間らしい人間になりたいと思う。
そして、私にとって人間らしい人間に少しでも近づく手段が、たまたま音楽なのである。
と、ここまで書いてみたものの、やっぱり他人が読んだら意味不明なんだろうな、と反省する。
一番はじめに書いたように、自分で判断し、決定することの大切さ、そしてそれが無いことによって発生する色々な問題は、日常的に痛切に感じている。その事がどんどん人間自体の首を絞めている、という事実に気づいてほしいと思う。
少なくとも音楽を好きな君達だったら何とか気づいてもろえるだろう、と思うのだ。
音楽を好きになるという気持ちを大切にし、どうしてなのかと考えてゆく。そんなことを繰り返していくと、「自分」という人間が少しづつ解ってくる。自分が解ってくるともっといろいろなことを考える。そのうちに自分なりの価値観が生まれてくる。他人から与えられた情報ではなく自分だけのオリジナリティのある価値観を持つことが出来る。
それが真の意味での個性だと思う。それを知った人たちが(持った人たちが)、人間が人間らしく生きてゆく資格を持つことが出来ると思う。
与えられたものだけを、ケージ(鳥かご)の中に入っているブロイラーのように食べ続け、卵を生むために必要ないと足を切り取られ、見えるものは目の前に流れてくる水と餌だけ。毎日、毎日少しでも多くの卵を生むように、という事だけを考えて生まれてきた鶏たち。
個性などあるはずもなく、(本人たちは、ある、と思っているかも知れない。「隣の奴より私の卵は大きい」とか、「私の卵はきれい」とか…)規格品のように卵を生まなくなったら次のと取り替えられ、(たぶん鶏本人はそれも運命だ、と考えるのだろう)…。
そんな人間になってほしくない!!!
(何度も書くが)少なくとも音楽が好きな人間、心から音楽を愛する人間だったらそんな事にならないと思う。してはならない、と思う。逆に、そんな人間らしさのない無い人間に音楽などできるはずが無い!!
音楽の表面だけを考えると、今クラブでやっている事の中には全然+にならない事、と感じる事があるかも知れない。正直言ってなかなか進んでゆかない。
コンクールなんか考えるとトテモとてもヒドイもんだ。(註 あまりにも表面的すぎて)
しかし押さえるべき所を押さえず、音楽の上っ面だけ追っかけても真の音楽を知ることにはならない。
真の音楽を知るという事は、たぶん、人間というものをよりよく知る、という事につながる。
クラブを、吹奏楽を、やることによって真の音楽に近づくことが出来たら、その人は、より、人間らしく生きる事ができるようになる、と思う。
東邦高等学校吹奏楽部とは、そんなクラブであってほしいと思う。