WIND MESSAGE

by NGO

OLD WIND MESSAGE 2

1993.5.28

NGOがT邦吹奏楽部時代に書いたものを再掲載します

 時期的に5月というのは、どこの学校の吹奏楽部もコンクールに本腰を入れる時期になってくる。いや、コンクールの準備はもっと早いところが多いかも知れない。
 我が愛すべき東邦高等学校吹奏楽部でも、そろそろみんながコンクールを意識し始めている。
 我がクラブにおけるコンクールの位置づけは、他のスクールバンドとは違っている。しかし、その事について、今までも明確にクラブ員全員の意思統一を計った事は無いような気がする。暗黙の了解のようなもので事は進んでいき、何となく釈然としない人もいるのだろうと思う。

 そこで今日は私のコンクールに対する見解を書いていきたいと思う。
 '91年、'92年と愛知県高等学校吹奏楽連盟は、コンクールの改革について随分会議を重ねてきた。変更点としては、詳しいことは省くが(なにせ2年もかけて来たことだ。ここだけではとうてい語り尽くせない。試みてみたが…)とにかく小編成に課題曲を課すことになった。
 そのコンクールの論議の中で私が感じたこと。(決定された事ではない。念のため。)

・コンクールはあくまでもコンクールとしての存在意義を感じる。
・従って演奏に優劣がつき代表になれたりなれなかったりする。それも当然。
・しかしそれだけにこだわるのはナンセンスだ。吹奏楽=コンクールでは無い。
・コンクールはたくさんの音楽(吹奏楽)活動の一部に過ぎない。
・音楽の優劣に人数は関係ない。小編成も大編成も同じ土俵にすべきだ。

 とにかくコンクールを論ずる時に表に出てくることは、自分の学校が良い成績を取る為にはどんな形がよいか、という事のみで、その中でどんな音楽するのか、なぜ音楽するのか、音楽することはいったいどんな意味があるのか、といったような一番大切な事を全く考えていない。上手い、下手、人数の多い、少ないに関わらず、ほとんどの学校が、自分の利権を守るためだけのコンクール論議になってしまっている。
 吹奏楽のコンクールの中から真の音楽を感じることは、どうも絶望的である。

 その状態の中で、東邦高等学校吹奏楽部だけは、ささやかな抵抗をしてきたつもりだ。いや、東邦高等学校吹奏楽部といったら君達は怒るかも知れない。
 少なくとも私は、その訳の解らなくなってしまったコンクールに対して、かなり大胆に、しかも目立たないようにアプローチしてきた。いずれは解ってくれるだろう、誰も解ってくれなかったらコンクールやめよう、とひそかに思いながら。
 5年続けた。時には、自分に自信が無くなることもあったが…。そうしたら、やっぱり解ってくれる人々はいた。解って下さった方々は、皆、立派な音楽家であった。専門家、という意味でなく、人として尊敬できる素晴らしい人たちであった。
 私のやってきたこと、またこれからもやろうとしていることは、吹奏楽を、コンクールというとても狭い世界に閉じこもっていることから解放し、真の音楽としてもっと広い世界に押し上げる事である。
 その事を、私の全然知らない人たち、東邦高等学校吹奏楽部ほほとんど知らない人たちが、私たちのバンドの音(決して上手な訳ではない)を聴いただけで理解して下さっている。
 その事の意味を君達は解ってくれるだろうか?

 コンクールの時期になるといつも、私自身と君達部員の意識のギャップについて悩んでしまう。特に東邦に来る以前にコンクールに燃えた(もっと端的に言えば、コンクールの表面的な事のみ、即ち金賞を取ること、代表になることをもっとも意識した)部員諸君については私の言っていること、やっていることがあまりにも理解し難く感じるのだろうと思う。
 かく言う私も、金賞だ、代表だ、打倒何々、と燃えていた中学、高校時代があるが、いま思えばなんと浅はかな小さな事にこだわっていたと、とても恥ずかしい思いが強い。
 だからこそ君達には、そんな小さな事ではなく、もっともっと大きな吹奏楽を、音楽を知ってもらいたい。感じてもらいたい。そのためのコンクールであってほしいと思う。
 最後に、何年か前の卒業生が残してくれた一文を紹介しよう、コンクールについて大変もめた年があった。その時お互いに激しくぶつかりあい、音楽とは何か、コンクールとは何か、真剣に考え、悩んだ。結局その年も、私の思っている事を思っているとおりに実行し、コンクールに臨んだ。その後、卒業間近になって振り返った感想である。

 …前略…
 音楽に点数つけるのはまちがいです。私はそう思います。
 コンクールの反省会の時泣いてしまいました。コンクールには賛成できない、なんて言って良かったのでしょうか…。ちょっと反省しています。あの場ではいうべき事ではなかったかもしれません。
 でも1年生が、”金賞とって、全国へ行きたい”って言っていたのを聞いて、ちょっと悲しかった。もちろんその子は本当に全国大会にあこがれているにちがいないし全国をめざそう!というくらいなら、技術だって上がるし、それはそれでいいんです。でも、もっともっと大切なことがある。ゼッタイ、賞なんて関係ない。コンクールなんかはねとばしてしまう大切なもの。あの子はそれを知っていたんだろうか…。たぶんよくわかっていないでしょう。
 私は、コンクールに出るよりも、その練習にあてていた時間を出張演奏や演奏会にあてたい、と思っていました。その方が私のやりたい音楽にずっと近いからです。だって、こんなに楽しいこと、自分たちだけで味わっているなんて、もったいないと思いませんか。吹奏楽の存在さえ知らない人もいるんです。いろんな所へ出かけていって、たくさんの人に吹奏楽の楽しさ、音楽で感動することなど伝えたいです。教えてあげたいです。
 …中略…
 先生がただの点取りコンクールマシンみたいな人じゃないことは知っていました。本当に音楽が大好きなんだなぁ、と思っていました。(にじみ出てますよ!)なのに、どうしてあのとき反抗してしまったんでしょう。
 たぶん、私も負けないくらい音楽が大好きだから意地になっていたような気がします。大切なものは誰にもゆずりたくなかった。←ワガママ
 でも、いったん受け入れてみると案外すんなりといってしまった。不思議なことに。結果なんかより、良い演奏をしよう、と必死の私がいたのでした。
 受け入れることは大切だと思います。自分の大切なものを守っているだけじゃあダメですね。
 もしかして、何年も、何十年もたったとき、”あのときの先生の言ったこと、わかる”って思うかも知れません。今はまだ無理ですけどね!今は、やっとわかりかけた自分の音楽を大切にしたいんです。
 …後略…