あの日

コンプリートした大判コミック全8巻を、何度目になるかわからないがもう一度最初から読もうと、目の前に積み上げ、炬燵に入り、1巻の数ページ目を読んでいる時だった。

我が家がミシッミシッといいだす。食卓の上のペンダント灯がゆっさゆっさと揺れ、タナゴの入っている60cm水槽の水がちゃぷんちゃぷんしてる。
地震だ!長いぞ。大変だ、こりゃ大きい。
とっさにテレビをつける。
2011年3月11日昼過ぎの事。

この日この時間以降全てのテレビ放送はしばらくCMが全く無くなり、全局必死に地震関連情報を報じた。津波もリアルタイムで映像を見た。原発もどんどん大変なことになってゆく。世の中とんでもないことになっている。
ずっとテレビから離れられなかった。冷や汗をかきふるえながら凄まじい映像を見続けた。
そして、「一体オレは何をやっているんだ!」と強く強く思った。
渦中の人たちや即座に動き出す回りの人々は、このとんでもない災害を前に全精力をかけて立ち向かおうとしているのに、自分は「音楽の理想」だの「教育の力」だのと立派なこと言いながら、けれど結局何もやってないじゃん!さらに、それこそ被災地に飛んでいって何でもいいから活動し、なにかしらの力になる、という行動すら出来ない自分がいた。
被災者のため、のみならず自分のためであっても何も出来ていない自分がとてつもなく情けなく恥ずかしかった。

数日切れ目無くテレビを見続けて動揺していた心が少しずつ落ち着きだし、前に進むにはどうしたらよいか考えることができるようになった。
そして、「自分がやるべき事を、必死に精一杯やること」が今の私ができること、とごく当たり前の回答に行き着いた。
それからいくつかの事柄を心に決め次々実行した。
どうなるかわからないが、とにかく動き出さなくては話しにならない。
体裁なんか構わない。なりふり構わず行動すること。やるしかないのだから。

もう後戻りはできない。決死の覚悟で前に進むのみ。

しかし、随分回り道をした。

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