9月
17
我が身を置き換え
というキーワードで検索した。
どうも「我が身を置き換える」ことが不得手な人が多いように感じたからである。
どうやってそのことを説明し実践させ実感させるか、何かヒントがないかなぁと。
実際には「我が身を置き換えた」結果の記述がたくさんヒットするだけで思うようなものはなかなか見つからない。
まだまだ検索語を変えて再トライする価値はあるだろう。
しかし、一つ興味を引くものを見つけた。
ここ。タイトルに親しみを感じた。まだ全部読んでいないけれど、特にここにあるこれなどは私にとって多くの示唆を含む。今、う〜〜〜んと唸りながら考え込んでいる。いやいやしかしTSWは曹洞宗を背景に持つぞ、とか、宗教なんか考えたこともないくせに、などと思いながら。
リンクご自由にどうぞ、だったので直リンクしました。「風の便り」さん、ありがとうございます。でもケータイでは見づらいかも。(私のでは何とか表示できたけれど…)
さて、話は戻って「我が身を置き換える」。
気のきく人になって欲しい。そのためには「我が身を置き換えて」人の気持ちを理解しようとすることが大切だと思うのだが。
「自分の気持ちをわかってよ!」の前に「あなたの気持ちをわかろうとします!」
それが幸せな音楽やマーチングの第一歩じゃないかな。
僕もやっぱり人の気持ちがわからなくては、本当の音楽〔アンサンブル〕やマーチングができないと思います。
実存主義。
このことには俺も悩んでいます。
とくに無神論者である自分には、より利己的にならないよう…。
「我が身を置き換え」、「人の気持ちを理解する」には最低限のことでしょう。
が、それでもそれを認識するのには自分の気持ちを介さなくてはなりませんし。
やはり、受け取る自己の「心の発達」が不可欠なんでしょうね。
では、心を発達させるためには…
「理解できるだけの経験を積む」
これでしょうか?
それから、人を理解するためには「相手になりきる」このことも心掛けたいですね。
いとけんさん
>やっぱり人の気持ちがわからなくては、本当の音楽〔アンサンブル〕やマーチングができないと思います
最終的には他人の気持ちが十分わかるかどうかは不明です。でもわかろうとする心がけは必要ですよね。そして分かり合えたときの幸せは何物にも代え難いです。なおかつそれで音楽出来たら至福だよ。
クロさん
>「理解できるだけの経験を積む」これでしょうか?
経験はとても大切だと思っています。それが読書や映画などの疑似体験だったとしても。
しかしその経験の中で「我が身を置き換え」るきっかけも何かしら必要だと思います。そのきっかけをどう作ったらよいか、が私の当面の課題です。