9月
28
オネゲル

なんだか急に書きたくなったので書く。

アルテュール・オネゲル (Arthur Honegger,1892年3月10日 – 1955年11月27日)
フランス近代の作曲家。フランス6人組のメンバーの一人。
私が大好きな作曲家。

一番始めにオネゲルの曲を聴いたのは、冨田勲のシンセサイザーアレンジのパシフィック231だった。確か中学2年の頃だ。ぶったまげた。本当に機関車が走り出し疾走し急停車する有様が手に取るように見えたから。そのシンセアレンジも秀逸なのだ。銀河鉄道を彷彿とさせるファンタスティックなものだった。

その後、どうしても原曲(管弦楽)の演奏を聴きたくなりレコードを買いに走った。スコアも見つけ、なけなしのお小遣いで買い込んだ。バス代が無くなり長い距離を早くレコードを聴きたい一心で急いで歩いて帰ったのを記憶している。

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《パシフィック231》は、パシフィック231という蒸気機関車を描写した作品であると解釈されており、オネゲル自身はそのような通説に抗ってきたが、オネゲルの機関車好きはつとに知られたところであった。「私は常に蒸気機関車を熱愛してきた。私にとって機関車は生き物なのであり、他人が女や馬を愛するように、私は機関車を愛するのだ」と語ったことでも有名である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(「オネゲル」でググってみてください)
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『わたしは作曲家である』という自身が書いた本にあるパシフィック231の解説の部分で、
「テンポがどんどん落ちていくのにスピード感がどんどん増大する曲を書きたかっただけだ。曲が出来上がった後にたまたまパシフィック231というぴったりの題名を思いついたのだ。」
のようなこと書いてあった。(記憶を頼りに書いてます。違ってるかも知れない。)
作曲家の純粋な着想や発想と、出来上がった楽曲のイメージは必ずしも一致する物ではないのだ、と妙に感心した。

そしてそのレコードのB面にあったクリスマスカンタータを聴いてまたもや涙した。なんと強い音楽だろう。
ちょうどその頃は作曲の勉強を始めた頃だ。聴く音一つ一つが私の心に取り憑いて離れない。音楽の将来を悲観していたオネゲルの遺作だと知ってなおさらこの曲が好きになった。単純なのに全く隙が無く、飽きない。そしてフィナーレが希望に満ちているのだ。苦悩の末に行き着いた喜びってこんなに素晴らしいんだ、と。

高校生の頃、弱小ではあるものの吹奏楽部の部長だった。2年生の時(創部3年目。その部活にとってそれがコンクール初挑戦)でコンクール指揮をし、3年では私の大好きな曲、オネゲルのパシフィック231をやろうとアレンジも全部書き上げた。部員は20人ぐらいだったと記憶している。結局、それは実現せずそのアレンジはお蔵入りになってしまった。楽譜は大切に保存している。

東邦4年目に全く新しい私のアレンジでパシフィック231のコンクール演奏をしている。そのアレンジは特殊だけど案外気に入っているんだ。その演奏(正確にはコンクール直前のホール練習の音)は今でも聴ける。

 

23歳の私にだって高校生の時があったんだぞ、その時にはこんな事を考え、あんな事をしていたんだぞ、とつらつら思い出していたのだ。
純粋に音楽に憑かれ、やりたい事をやりたい放題やっていた。思いっきり夢を追いかけてたんだなぁ、と考えているうちに、私にとってオネゲルがとても重要だった事を思い出したのだ。

吹奏楽部の活動の為に、音楽以外の事でも色んな事やってた。今考えると生意気で恥ずかしい事ばかりだけど。それはまたの機会に書く。

私の青春を支えていたのがアルテュール・オネゲル。
今、初心に返ってオネゲルを全部聞き直そうと思う。