レオナルド・ディカプリオのロミオとジュリエットを見ている。
日本語吹き替えで見てるし、原作もきちんと読んだこと無いから確信はないが、全編シェイクスピアの原作どおりの(あるいは原作に近い?)台詞なのではないか?
何度か繰り返して見ているうちに、言葉の持つ計り知れない力を再認識し、改めて言葉について考えている。
映画の中で後から後からこれでもかこれでもか、と実にたくさんの言葉が紡ぎ出されてくる。しかも役に関係なく誰の言葉も美しい。シェイクスピアなのだから当たり前か。
実生活で話すには少し現実離れしているかもしれないがとにかく美しいと思う。一つ一つ暗唱して、もし日常で使える場面があったら使ってみたい衝動に駆られる。
言葉の豊かさ、大切だ。
決して流行言葉の是非ではない。語彙の豊富さのことを豊かさ、と言っているつもり。
みんなは、今まで感じたことの無いような気持ちになったとき、今まで見たことの無いような景色を見て感動したとき、うれしいことも楽しいことも悲しいことも悩めることも、自分気持ちに変化が起きたときにそれをあらわし人に伝える言葉が見つからないことが多すぎないか?
「なんだか良く説明できなくて判らないんですが…」
「こころには何かあるんですが言葉に出来ません…」
「もやもやしてイライラします…」
そのものずばり当てはまる言葉はなかなか見つからない。
そりゃそうだ。それが出来たらみんなコピーライターになれるゾ。
それでも、少しでも近い表現になるように言葉を考え、紡ぎ、話してみる。上手く伝わらなかったりニュアンスが違うならまた工夫し違う言い回しを考える。
また、会話はリアルタイムだから、タイミングを逃すと話題から遅れてしまうこともあり、出来るだけちょうど良いタイミングで適切な言葉を選ぶ必要もある。
いまTSWでは、適切に動き適切に声を出すことが出来ない人が多いように感じる。
言葉が見つからないのか、見つけても言葉が適切かどうか判断できないのか、と言うようなことも原因かも?
ディカプリオのロミオとジュッリエットを、この台詞「次自分で使ってやろう」「この言い回し覚えたいな」と思い覚えながら見てみると良い。具体的な言葉や言い回しが自分の糧になっていく。
もちろんこの映画だけでなく身近にあるいろいろなことが全てお手本だ。言葉だけでなく、考え方や、行動や、もしかしたら生き方も。
そうやって自分の五感全て使って自分の中に宝物を取り込んでいく。
良い景色を見、良い香りをかぎ、素晴らしい音を聞き、旨いものを食い、手触りの良いものを触る。良い本を読み、良い絵や映画を見、世の中の音に耳を澄ます。
たまには嫌なものにも触れ(好んで触れることもないだろうが)、「良いもの」にあらためて感謝する。
そうやって言葉の型や動きの型をどんどん自分の引き出しに取り込み整理していく、そして活用する、でいきたい。
シェイクスピアの台詞がおもしろ半分でも良いから日常の友達同士の会話に出てくるようになると少し楽しい気がする。
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