10月
28
相談
悩んだり行き詰まったり、人の毎日は一筋縄では進んでいかない。
そんなときは身近な人に意見を求めたり、ネットを検索しまくったり、本や新聞読んでみたり、何か参考になること無いかな、と藁をもすがる気持ちでさまよう。
しかし、本当に未知の「何か」を探していることは少ないような。
大概の場合、(はっきり自己認識があるかどうかは別にして)あらかじめ自分の中に何かしらの回答があり、自分の回答を裏付けてくれる「何か」探している場合が多いような。
そして、誰かに相談しても自分に「しっくり」くる回答が得られなかった場合、「参考にならなかった」とせっかくの意見を打ち捨ててしまうことがある?
もしかしたら、そこに解決の鍵があるのかもしれないのに、自分の予想していた回答と違うと「私のことを真剣に考えてくれない」「その話意味ないね」と全く耳を貸さない事がある?
もし相談された側だったら、一生懸命悩んで考えた事をこともなげにスルーされたら、悲しくなるどころか腹立たしくなるだろう。
「だったらはじめから相談するなよ!」と。
「お前のために真剣に考えたのに!」と。
自分が持っていない価値観や方策を得るために、他人の知恵に頼っているはずなのにね。
自分の殻を破り、枠を外すことは、エネルギーが要る。そのエネルギーが不足しているからこそ他の力が必要なのだけれど、他を受け入れるエネルギーも必要だと言うことかな。
最近、
「恐怖」の対義語は「理解」ではないかと考えます。
分からないものは怖いから、受け入れられないのでは?
少し、言葉を訂正します。
「理解」ではなく、「許容」と。
クロさん
いつもコメントありがとうございます。そしてその都度コメント返すこと出来なくてごめんなさい。
いつも力をもらいます。
ありがとうございます。