日誌。シリーズでもう少し続くつもりです。
明日から修学旅行。昨年に引き続き再度沖縄。
PCを持って行こうか悩んだけれど、持って行かないことにした。だから、旅行中のWM更新は難しいと思う。ケータイでやれるだけやってはみるけれど。
ということで昔の日誌シリーズ、今書いておこう。
今回も以前(3月頃)、日誌に私が書いたもの。第3回定期演奏会直前だ。
年明けてから、運営も、演奏会の準備も、もちろん練習も、何もかも上手く進まずみんながジリジリ焦げついていた頃。
日誌より。
(2008年3月5日)
「先生の悩みってこれかもね」ってか。
ある意味あたってる。
でも意味は全くの逆。あなた達が邪魔な荷物であるわけがない。
そこまであなたたちを追いつめている自分が苦しい。
・もっと気楽にやればいいのに…!ってこえが聞こえる。
・もっとのんびりここのペースに合わせればいいのにって思う。でも、それを許せず、私の思うレベルまで行きついてほしくて無理を言い、みんなは、なんとかそれに応えようとしてくれて、でもうまくいかず、追いつめられて苦しんでいる。
そう、原因は私だ。まぎれもなく私が悪いのだよ。だから苦しい。(私に会わなかったらこんな苦しみは知らないですんだのにね)
自分の目指す所にあなたたちを導いてあげられない能力の無さが最大の私の悩み。あなたたちを「私の仲間だ」と言っておきながら苦しみのどん底につき落としている自己矛盾が苦しい。本当に苦しい。あなたたちを理解できない自分が情けない。
後略〜
直後にさらに書き加えている。
日誌より。
(2008年3月6日)
〜前略さて。
人間難しい。人間難しい?考え方を変えて変えてみよう。
「人間難しい」から困るんじゃない。
難しいのが人間なんだよ。そんなに簡単に人間わかってたまるか!
難しいのが当たり前。だから色んな失敗するしうまくいかないしハラもたつ。
難しいんだからしょうがない。でも、だからこそ思いやりが必要で優しさが必要で助け合うことが必要なんじゃないか?
人間、みんな不完全。だから声かけあって痛い所もつつきあってみんなが少しずつそれぞれの足りない所を補うんじゃないのか?
人間だからこそできる事はそういう事なんじゃないか?
何度書いても書き足らないからもう一度書く。
私は120%君たちを信じたい。
だからうわっ面のごまかしの言葉はいらない。
だから心の奥底からの生の声だったらどんな声でも真正面から受け止めたい。
それが、仮に想像を絶するすごい声だったとしても。それを全て受け入れる覚悟はもう既にある。
無条件に120%信じたい。だから私のことも信じてはくれまいか?
この頃は本当に苦しかった。私もみんなも。
しかしそれを乗り越えて第3回定期演奏会の成功まで持っていったんだよな。
しかも、演奏会前日深夜まで(いや、…明け方まで…だったなぁ)とてつもない苦悩に悶絶していた。
それでも乗り越えられたんだ。
そしてついにこうなる。
信じること。奇跡を生むこと。この記憶しっかりと胸に刻む。
呼んでいて何故だか涙がでてきました。
胸が苦しくなりました。
信じるということ…。
単純なはずなのに難しくなってしまっている…。
最近、わからなくなってきていることなのかもしれません。
呼んでる→読んでる
人間どうしても、辛いことからは目を背けてしまうもんなんね。
特に、人なんて生きているだけで辛いもんだから
現実をなかなか直視できない。
だから、ただ信じるってだけでも覚悟が必要だし、
逃げ出してることにもなかなか気付けなかったりする。
ただそれだけでいいのだから、少しも難しい事なんて無いのにね。
普通の大人でもそれは大変みたいで…。いや、大人だから大変なのか。
だけど「先生にはその覚悟がある」それだけは100%×TSWのメンバーの数だけ信じます。
とても臆病になっていたと思います。
信じるすごさは
第三回の定期演奏会で実感されてから
とても心に残っています。
忘れれません。
信じられてることを裏切っておいて
勘違いで なぜ信じてくれないのか全然わからず
それぞれがひねくれて 信じていただろうことすらひとつにできなかった
昔々のそうだった時を思い出しました。
いいですね 先生が日誌を書くのって。
みなさん>
コメントありがとうございます。
私がここに書いたものは過去の日誌ではあります。
でも、それに対する皆さんのコメントは今現在の心情が中心だと思われます。(今書いたのだから当然といえば当然ですね…。)だからなんだか心苦しいです。
しかし、いつでも誰でも通る道であるべきだとも思います。どんな時でも起こり得ることだと思います。
・そもそも何を信じたらいいのか分からない。
・信じたいけれどどうすればいいか分からない。
・信じてみたもののこれで良いのか不安。
・信じてみたものの自分も信じてもらえているのか不安。
・信じ続けることがこんなに辛いとは思わなかった。
・しかし、ある時いつの間にか「あ、これかぁ?」と気がつく。
・信じることの凄さに感動しびっくりする。
皆さんのコメントは、それぞれがそれぞれの段階で今現在悩ましい、ということでしょうか。
もちろん、私自身の悩みの深さは変わらないどころか、さらに混沌としていることは事実ですが、それはそれ。
受け入れる覚悟は全く劣化していない。と思う。
Fi-fiさん>
ホツホツと、段々と鮮明に思い出しています。あの頃も随分苦しかったな。でも逃げ腰ではなかった様な気がする。むしろ喧嘩腰だったかと。