12月
27
一番

恐れていると思われることは、自分を受け入れてくれないこと、かな。
そりゃそうだろうね。誰だって自分の存在価値を認めてくれなかったら苦しいからな。

そんな状況になりそうだと、自分を受け入れてくれない相手を受け入れることができず、まずは自分を受け入れるべきだと自己主張と要求を繰り返し、気が付くことのない自己矛盾と、取り残されてしまうかも知れない恐怖に苦しむ。そして次第に、認めてくれない相手に敵意を抱き攻撃を開始する。そしてさらに受け入れてくれなくなり、受け入れの要求が激化する。
この悪循環の連鎖は断ち切れるのかな。

その際、認めてくれない原因が自分自身にあるかも知れないという可能性は全く考慮されないことが多い。あるいは、単なる思いこみだったり、勘違いだったりかもしれない。もちろんそこに真実があるかも知れないが、たまたま小耳に挟んだ根も葉もないうわさ話かも知れない。もしかしたら意図(悪意の場合だってある!)を持って吹き込まれてしまったかも知れない。

いつの時代でもそうなんだろうけれども、特に現代の若者たちにとってそんな状況は多いのだろうなぁ…。あちこちWEBを徘徊しているとネット上でそういったやりとりをよく見かける。ヴァーチャルだからデフォルメされてるかもしれないけれど、それはとってもしんどい生き方だと…。

何が大切で、何が真実で、何が本質か、見極めるのはどうやっても自分自身だ。他人が決めることはできない。だから「自己責任」で片付けてしまうのは簡単。
しかし、翻弄されることなくその見極めが正しくできるように鍛えていくのが教育なんだろう。初めから正しく見極めなんかできないから様々な事例を通して少しずつ学んでいく仕掛けが要る。…果たしてできているのだろうか。

何もしないでいると、本人は知ってか知らぬか、一つ一つの小さな積み重ねにより次第に大切な物(受け入れてくれる人)を失っていき、気が付いたときにはもう取り返しがつかなくなっていく。
引き返せるところで(不本意であっても)声をかけてもらえるうちはまだ良い。うっとうしいと思える人がいるのは幸せだ。誰からも何も言われなくなったときに「自由になった」と思うのは大きな間違い。誰も相手にしてくれない究極の不自由を手に入れたことになると知るべきだ。

ネットのマナーでよく言われるでしょ?
「荒らし」に対しては「反応せず」「削除し続けること」って。
それって本当はとても悲しいことだと思うよ。だって自分の発言を削除し続けられてごらん?