in NAGAKUTE
無事終了した。
良い小屋が、良い人と良い音楽で満たされた。
やっぱり、まず「人」だ、再度強く感じた。
そして「自分は?」
私自身は頑張りすぎたかなぁ。
体中バキバキいってる。
右腕が上がらない。首が回らない。下向けないし、横向けない。
例の、背中から首筋、頭にかけての痛みはまだましだけど。
両足太ももの付け根から足首まで動きが鈍い。
目も見えづらい。(眼鏡の度が合わないようになってきた?)
おかしいなぁ…、体がいうこと聞かない。
やっただけの成果はあったと思うし、関わったみんなにそれぞれ何かおみやげを持たせてあげることは出来たのじゃないかな、と思っている。TSWも、その他の団体も。
200人を超える合同バンドで指揮をしていると、メンバー全員の真剣なまなざしをストレートに受ける。私はそれをたった1人きりで受け取り、返さなければならない。残念だがたぶん全員には行き渡らない、返しきれない。当然不十分だろう。しかしだからこそ私の持ち得るエネルギーを全放出しなければその気迫すら伝わらない。
当たり前だが、伝えることが出来なければ返ってこない。だから伝えようと目一杯。そのやりとりがスリリングだ。
気持ちが返ってくると、だんだん音も返ってくる。揃ってくる。合ってくる。技術ではない。(…言い方がまずいな。それぞれが今持っている技術がフルに活用されるようになる、ということなんだけど。)
みんな気持ちも力もある。感性も技もある。ただ、出しきっていない。出し切ろうとしていない。
本人すら気がついていないかもしれないその隠れた力を存分に引き出すこと。
それぞれが持てる力を全開で出せたら凄いことになるんだから。
本番は「良き思い」で満たされなければならない。「感動」が満ちあふれなければならない。凄いことになったご褒美であるべきだ。
だから全力でいろいろな手を尽くす。それが私の役割。
今回、何とか出来たかな、と自惚れてみる。
次のステップは、何より継続すること。決して忘れないこと。
「嵐が過ぎ去ったからそれは過去の話」ではまずい。
積み上げなければならない。
重要なのはこれから。この先。
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さて。ゲストのみなさんや主催者スタッフとのお話。
「結局ダメなのは大人、子供達は何も悪くない」で盛り上がった。
さらに「それで育っちゃった、大人になっちゃった人が如何に大変か」で盛り上がった。
根は深い。
個人が太刀打ちできるような事ではない。
「でも、それぞれの立場でそれぞれが出来ることをやっていくしか手はないんじゃない」
「めげずに頑張りましょ!」
「続けることこそ大切だな」
十数年前の高校生(今のTSW諸君と同じ!全く何も変わらない!)が、現状の教育を憂い音楽を伝えようとし、人を育てようとしている。
自分に何が出来るか真剣に考え、それを職業音楽家としての使命と責任感でやろうとしている。
いや、そんなに堅い話でもないか。結局音楽やりたくてしょうがないんだ。音楽の喜びを伝えたくてしょうがないんだ。
私の周りにそんな勇士がたくさん集まってくる。
それが出来る場がある。
この瞬間は何物にも代え難い。心より嬉しい。至福だな。
TSW諸君がそれを心から感じるのは何年先だろうか?
いや、何年先でもいいんだ。いつか自分の花が咲けばいい。きっと咲く。
そのためには訳がわからなくてもとにかく、今、目一杯やることだ。
限界ギリギリ目一杯、だ。
長久手本番お疲れ様でした
それぞれの立場でそれぞれができることをやっていく…
具体的にやっていることは違っても、最終的に目指すところは皆同じで、立場は違っても同じ事で苦しんでいるのかな?
考え方ややり方などは違っても、同じ目標(というか、信念!?)を持つ人がせめて自分の周りだけにでも影響を与えることができたらいいのに なんて思いますし、そうありたいです
難しいのは、ダメな大人といっても悪意が無い場合が多いということだと思います。
むしろ何らか信念を持っていることのほうが多いのでは?
だから、そんな人になかなか「それではダメですよ!」と言えないことが多いし、言ったとしても聞く
耳持ってくれないことがほとんど。(聞く耳持ってくださった時点で「ダメな大人」から解放されると思うし。)
関わってくる大人を子供自身が選ぶことは難しいと思うから、出来るだけこちらから働きかけ、多様な価値観がある事を知る機会を増やし、それにより可能性を少しでも広げることができれば、なんて思います。
「焼け石に水」とめげてしまわないで、やり続けること。
継続の重要性は特に最近強く感じています。続けていれば必ず人が集まりそのコミュニティが出来ます。そう信じています。