2月
17
毎年の事ながら
この時期は苦しい。
このくらいは出来るだろう、という想定がことごとく覆される。
伸び率が止まる、という感覚ではなく、急激に後退しているようにさえ感じる。
こちらの気分としては定期演奏会に向けて全開にしたいのに、そうするとたちまちあちらこちら負荷に耐えられなくなって故障し崩壊する感じだ。
原因は良く解らない。良く解らないから困る。本当に困る。
三つほど原因を仮定してみた。
資質で片付けて良いのか?
何か方法が間違っているのか?
別の大きな力に飲み込まれてしまうのか?
しかし、どれもしっくりこない。
「どの子も育つ、育て方ひとつ」というスローガンが有名なシステムで育った私。
そのシステムに特別な感情を持たないが、しかし「誰でも可能性はあるんだ」という気概は持ち続けたいと思っている。
「育て方」、すなわち教える側の責任において、育ったり育たなかったりするんだ、だから私が気を抜いちゃいけない、のつもり。
今日ネットをさまよっていて「感受性」は教えられるか?という一文に出くわした。
>>教育によって感受性のすべてを育てることは到底出来ない。しかし、補足修正の可能性はある。資質の開発可能性は教育が決定する。
そりゃそうだと思う。でも大切な事が解らない。
どうやって?
いろいろ策を巡らせ手を打っているつもりなんだけれどな。全くの力不足だ。
どうやって?
聞く耳持たなかった人たちが、人の話を聞こうと自ら耳を傾けるのを待つしかないのか…?
イメージの共有ができない…悲しいです。
何をするにしてもイメージは必要。人はそれにそって動くのだから。
だからこそ他人と何かをするためには、共通のイメージを持たなくては。
でも、それが伝わらない。
自分はきっと、各自自分のイメージがあって、それを伝えないからには他人のイメージを受け取れないのだろうなあと思い、先ず相手が持ってるイメージを受け取る所から常に入ろうと心掛けている。
なので、とりあえずイメージを受け取るが、そのイメージ、一つのイメージを作るのには多々抜け落ちているところがあり少し要領を得ない。
それも踏まえた上で自分の中でイメージを再構築しその相手に受け取ってもらおうとする。つまり、相手のイメージも取り入れたイメージを相手に返しているつもり。
でも、なかなか理解されない。
(きっと、相手は自分の言ったことを理解されてないから違った返事が返ってくると感じているのだろうなあ…よく考えればそれも含まれていると思うのに…いや、反対意見も否定意見もそこに含めるからいけないんだろうか…)
だから、その発言もそこで殺されてしまう。
(中には、それを理解しようと努めてくれる人もいるけど…)
もしくは、それを受け取ったふりをして全く違ったアクションが帰ってきたりする。
(あれ?…俺そんなこと言ったか?と思う。)
きっと、俺の伝え方が、表現が、下手だからなんだろうなと思いつつも…やはり悲しい。
そんな感じです。
(自分も、受け取り切れてないなあ…ともよく感じますが、それは反省の対象です。)