3月
12
高校の記憶

先日、なぜか突然、高校時代のある一コマが急に蘇った。

前にも書いたかな?
私の通っていた高校はマルトウ訓練なる物をやる、いわゆる「管理教育」を全面に打ち出した学校だった。校則は理不尽で力任せ。生徒は人間扱いされていない(ように感じていた)。それでも新しい学校だからか、とりあえず生徒は従順だったなぁ。この事件までは。

確か2年の時だったと思うが、授業中、急に廊下から激しいやりとりが聞こえてきた。全員がほとんど授業を上の空で聞き耳を立てている。
声の主は一人の生徒指導部教員と一人の生徒。その生徒は、教員相手に激しくやり合うことなどにわかには信じられないような成績学年トップ、スポーツ万能(剣道部だった)、人望も厚く先生も生徒も皆が認めるリーダー。同級生だ。
だから「何であいつが?」って、みんな固唾を飲んで聞き耳を立てている。
次第に事態が判明してきた。内容は、授業中校則違反をしている彼をとがめて廊下に連れ出し指導し、それに対して猛烈に反論している、ということらしい。
たまに(今では問題になるよ…)殴られているであろう激しい音がするが、彼は全然そんなことにはひるまない。

校則違反とは靴下の色が学校指定と違う、ということ。…その場をしのぐには脱ぎさえすればいいのに…。

今思うと、彼は自分がリーダーであることを十分自覚した上で、理不尽な指導に対し、全生徒の代表として断固意思表示をしたのではないか。決して独り合点の我が儘では無かったと思う。
次の日、自発的に集まったたくさんの生徒の前で事の顛末を説明し、改めて自分の主張をした。「その校則はおかしい。その指導は間違っている」と。「みんなに迷惑かけて申し訳ない、しかしどうしても許せないのだ」と。

ここで書いたような事と同時期だったと思う。こんな事件があったからこそ、私もそれに呼応して動いたのだったんだ、と思い出した。
 

TSW諸君、あなたはどう思う?
「すごいな、見習おう!」かな。それとも
「先生にタテツイタらダメ!なんじゃないの?」って思うかな。
「適当にやり過ごせばいいのに…」か?

我が儘と自己主張って何が違うんだろう。

自分の気持ちを表現する、ということは、それを阻害する物を打ち破っていくエネルギーが要る。「叩かれたら止めとこ」程度だったら全く説得力無い。だから行き着くところまで行こうという意志が要る。けれども無理矢理押し込んでいけばいいという訳でもない。それでは理不尽な先述事件と何ら変わらない。一定の理解と容認が無ければそのエネルギーはただの暴挙にしかならない。絶妙なバランス感覚はとても重要だ。

しかし、今はとにかくその力が欲しいのだよ。TSWに。
全くのパワー不足で何も出てこなかったら表現も何もあったもんじゃない。
 

「他律の中から自立は生まれる」というキーワードが最近気になっている。この場合少し意味が違う(反面教師)かもしれないけれど。
結果、理不尽な校則という他律の中から、それはおかしいんじゃないかという(ある意味正義感的な)自立が生まれたのかもしれない。

押されたら押し返す。そんなことでも良いじゃないのか。
とにかく「若さ」という無尽蔵なエネルギーが欲しい。

第4回定期演奏会は目前だ。