4月
10
スクールバンド

の指導方針について最近二つの話を聞いた。

その一。

現在ある程度の人数が揃って、地域での演奏活動や演奏以外でも盛んに頑張っている中学校バンドがある。きわだって達者な演奏が出来る訳ではないが、それでも音楽を好きになって経験を豊かにして欲しいという願いを充分感じられるバンドである。スクールバンドとしての役割は十分に果たしていると思う。
しかし、訳あって指導者が代替わりしていく必要があるらしいのだが、その代替わりの条件を少しお聞きした。
・人数を半減させること。
・コンクールまでの時期ですべての出番をキャンセルさせること。
・一つの部屋でひたすら揃って基礎練習をさせること。
等々。

 絶句した。たぶん音楽(管楽器)を専門に勉強してきた人だと思うのだけれど。
それぞれ、
・(下手は要らない!という)人材の切り捨て!
・(余計なことやって悪影響受けたくない!という)喜びの切り捨て!
・(すべて指示通りやれよ!という)個性の切り捨て!
だと思うぞ?
大会の成績はもしかしたら上がるかもしれないけれど、確実に音楽は嫌いになるんじゃないか?
じゃ、誰のための大会の成績なんだろう?
 

その二。

ある中学校バンドはコンクールに出てこない。
ま、色んな考え方があるから、コンクールにこだわるのを嫌う、事もあろうかなとは思う。
しかし、出ない理由を聞いて驚愕した。
・そのメンバーだと決して良い演奏が出来ない(良い成績にならない)から、自分(指導者)のプライドが傷つく。
ことらしい。では、良い演奏が出来るようになるために日ごろ鍛錬するかというと、
・資質がないから教えても無駄。
と思っていらっしゃるらしい。

こちらも音楽を専門に勉強した方と聞いた。
音楽教育って何だろう?
スクールバンドって何だろう?

もちろん、伝え聞いた話なので話半分としたい。
だとしても、あまりにもショックだよ。
音楽やりたいな、と思ってそこに集まってきた生徒達があまりにも不憫だ。しかし、それしか知らない生徒達は音楽とはそういう物だと思うようになり、そしていつの間にか世代が変わり、気がつかないうちに同じ事を繰り返すのだろう。
それが「風土」というものになっていくのだな。

これでは決して文化は育たない。不毛だ。
どれだけ水をまいてもまいても、乾いた大地に即座に吸い込まれて蒸発してしまう。
文化の温暖化は思ったより酷いようだ。
しかもこのあたりはきっとオゾンホールだぞ。