7月
02
今までに

数多くのバンド(吹奏楽)に関わってきた。
様々な関わり方があるが大別して二つ。
自分が責任を持って運営する場合(自分もメンバーもそこがメイン)と、頼まれて外部講師として指導する場合。

もともとスクールバンド指導が主だから中学校や高等学校の部活動に行くことが多いが、外部講師として出かけて行くと、色んなバンドに出会う。
伝統が有る・無い、部員が多い・少ない、楽器が揃っている・揃っていない、練習を積んである・練習のやり方が判らない、躾が出来ている・出来ていない、等々。「お、上手いじゃん」だったり、「うわっ!とんでもないぞ」だったり。

本当に千差万別いろいろなバンドがあり、いろいろな問題があるけれど、そのほとんどは大人(指導者だったり教育環境だったり)に有る事が解ってきた。バンドのメンバー(部員生徒達)に問題の根本がある事は少ない。
演奏が上手いとか、ド下手とか、そんなことは全く関係なく。

今までの中で一番頭を抱えた例。

その高校バンド30人程度。コンクールで地区大会銅賞しかも、最下位かその次、が伝統だという。しかしみんな仲が良くて明るい。一生懸命さも一級で私が要求することはすぐこなそうとするし、実際出来るようになってくる。

ある年のコンクールの事。自由曲を有名な大曲にした。Aダンスの1。そんな選曲するくらいそこそこ吹けるメンバーもいるのだ。今年こそ脱銅賞と、意気込みが良く伝わる。
音楽のセオリー通り音達が縦横きちんと並んでいけば地区大会の銅賞は脱出できるはずだ。月に数回の練習だが、一つ一つ形を整え音楽の運びを伝え、みんなでアンサンブルできるように練習を進めていった。
そして最後の仕上げの合宿。
本番の棒振りは私ではないから、私の仕事は曲のかたちを整えて、メンバー同士のアンサンブルで自分たちの音楽が出来るように。生徒達は素晴らしく頑張って「これなら脱銅賞いけるぜ」と嬉しくなる。
その午後、実際のコンクール棒振り先生がいらっしゃる。
練習を見て愕然となった。数ヶ月かけてやっと作り上げてきた音楽を、文字通りたたき壊すかのごとく練習が進んでいく。
演奏不可能なテンポだが「わしはこのテンポが好きなんだ、出来ても出来なくてもこれで行くぞ!」
せっかくバランスを取った和音を「ここはトランペット聞こえないと嫌だなぁ、何でも良いからもっと出せ!」
「そこの入り方が判りません」という生徒の声は聞いているみたいだけど「いや、入れるはずだろ!」
彼の一振り一振りでメンバーの表情がどんどん悲愴になっていく。午前中までに創ってきた音楽は幻と化した。
見ていて痛くてどうしようもない。しかし本番の棒は私ではない。もう1人の顧問の先生に「この状態はとてもまずいです。棒振り氏を何とかしてあげなきゃ生徒がかわいそう!」と言ってみた。しかし状況は良くなることはない。我慢できずたまらなくなって、図々しくしゃしゃり出た。
「先生、それでは生徒がかわいそうです。ここはこうしましょう。こうやって棒の指示をしてみて下さい。」「みんなはこれを見ながら、コンマス(クラリネットの1番)の合図で出るんだぞ!」などなど。

次の日再度午前中私がレッスンを付けた。たちまち前の状態に戻っていく。「そうそう、良いじゃん!大丈夫だよ、ちゃんと今までの成果は出ている!」「みんなで助け合ってアンサンブルするんだぞ。」
昨晩、棒振り氏ともう1人の顧問氏はいろいろ話をしたみたいだ。だから「私の出来る限りの事はした。これ以上踏み込むのはやめよう」と見守ることにした。
しかし。
結局午後の練習は昨日と同じ事になり、私はそっと外に出た。居たら怒り狂いそうだったから。

でも、生徒達は判っている。
明らかに指導者の責任である。しかしこの棒振り氏だって意地悪しているのではない。一生懸命やっているのだ。色々言いたいけれどこれ以上言ったら申し訳ない。だからこの棒で演奏するしかないと。もしかしたら今年の私たちは脱銅賞出来るかも知れなかったのに…。その可能性が見えた、と言うことだけで無理矢理満足させ、3年間の吹奏楽青春は終わって行くのである。