偉そうなこと言ってるけれど、私も救いようのないダメなバンド指導者だったことがある。
(あれ?いつもか…?)
ある中学校でのこと。
バンドの顧問にはなったけれど、全く練習を見ないと決めたことがあった。
理由はあるのだけれど生徒にとっては関係ない話。
それがコンクールに出たい、と言ってきた。
悩んだあげく付き合うことにした。しかし日頃から全く指導していないから楽譜の読み方すらおぼつかない。
簡単な楽譜でも音は当たらないしリズムは楽譜無視。当然それぞれの楽器奏法なんかはめちゃくちゃ。
それじゃ合奏なんか出来るわけ無いよ、と思いつつ、しかし、やり出すと止まらない自分がいた。
「違う!もう一回」「違う!もう一回」「違う!もう一回」「お、できたじゃん、念のためもう一回」
「あれっ、さっきは出来たのに…」「違う!もう一回」
延々その繰り返し。
「こんな要求無茶だよ、まともに楽器の吹き方知らないんだよ、勘弁してやろうよ」という心の中の声と、もう一方では「出来ていないのに出来たような顔するのは嘘だ。失礼だ。だから褒めるためには必ず出来るまでやる必要がある。」と。
練習の雰囲気はとても悪く、出来ない生徒はずっと涙ぐんでいる。他の生徒はずっと待ちぼうけだし。
それでも、「しょうがない、これが俺のやり方だ」と無理矢理割り切って続けた。
本番はなかなか大変な演奏だったに違いない。あまりも辛いから思い出したくない。
しばらくたって私がそこを辞めるとき部員みんなから手紙をもらった。読んで心からびっくりした。
「決して諦めないで練習を付き合ってくださってありがとう」
「本当に音楽が好きなんですね」
「厳しい練習だったけど楽しかった」
「私たちに本気でぶつかってくれて感謝してます」
ちゃんと練習を見なかったことを非難する言葉は一切無い。
涙が止まらなかった。
その時私は、ただ自分のプライドだけで練習を続けていたはずだ。
出来ないのは日頃私がきちんと教えていないからだ。しかし、私がやるからには妥協はしたくないし、少なくとも出来るまで付き合ってやろう。それが日頃の罪滅ぼしだ。
と思ってはいるものの、実際の音を聴くと我慢ならない。
厳しく「違う!もう一回」
彼女たちにしてみれば出来ない現実を突きつけられる苦しい苦しい練習だったに違いないのだ。
しかも楽器が上手に吹けない原因は彼女たちにあるのではなく、きちんと教えていない指導者側にあるのに。
にもかかわらず、生徒達はこんな感想を持ってくれた。
嬉しいのか悲しいのか悔しいのか愛おしいのか自分でも全然理解できない感情が込み上げた。
中学生のことだ。決して社交辞令なんかではない。手紙を渡してくれるとき満面の笑顔だったし。
反省すべき点ばかりの中で唯一自信を持って言えることは、理由が何であれ「妥協したくなかった」事以外無い。その一点だけで彼女たちは私を認めてくれたのだ。救いようのないダメなバンド指導者だったにもかかわらず。
胸をギューッと締め付けられる。苦しくてたまらない。
今思い返せば、その時が自分の中で何か変化が起き出した瞬間なのだと思う。
どんな場合でも私は全力でぶつからなくてはいけない。
その事によって相手がなぎ倒されたとしても。
その瞬間、どれだけ純粋に相手と対峙できるか。
練習の最中はそんなこと考えている余裕はない。音に集中しているだけ。
今でも練習が終わった後、ゆっくり考える。
誠心誠意本気だったかどうか。手加減しなかったか。
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