11月
22
おあずけ

を喰らった2年の日誌。残念だったね。

判るかな、そういったことの1つ1つが緩んだネジなんだ、ってこと。

 

最後二つを舞台裏で聴いた。(本当はもう一つ前に興味があったんだけど間に合わなかった。少し残念。)
その二つを聴きながら、昨日の練習も思い出しながら、何が出来て何が出来なかったか、どんな要求は妥協できなくて、容認できるのはどんなミスか、少し整理してみた。

そして、舞台裏に座り、素晴らしいサウンドを聴きながら、自分がこだわってどうしても譲れない部分について、見事にスルーしていく演奏なんだと思った。二つとも。

それで、自分は何をしようとしているのか見えてきたような気がした。
そして、「やはり間違っていない」と思った。何故かは判らない。何か、もはっきりしない。
しかし、それは「思った」というより「確信した」に近い。もしかしたら「降りてきた」のかもしれない。

その数時間前、自分達TSWの演奏は自分の中に何かしらハマルものはあったからだろうとは思う。
何度か肩と腕に激痛が走り棒を落としそうになりながらの演奏だったが、落第にはならずに済んだように思う。

ま、いずれにしても信じてきた道をさらに信じて前に進み続けよう、と再確認した。
そして、かけがえのない一粒一粒の宝石たちへ、で締めくくった日誌のコメントを思い返したのだ。
 

−−あっと。2年はおあずけだったね。緩んだネジを締め直したら、またそのうちに。