12月
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パート譜の向こう

言うまでもなく、パート譜とは楽譜だ。しかし、それぞれのパート譜だけではいきなり曲の全体像を掴むのは難しい。
パート譜に書いている全音符一つの裏側に何があるのか?楽譜には本当にただ一つの全音符しか書いていないのだから。

しかし、熟練たる演奏家達は、一度皆で合わせてみたら瞬時にその意味を見抜いていく。
さらに、音を出す瞬間で様々な音を聞き取り、互いに演奏者の様子をうかがいながら、すべての状況を判断し決断し音を出していかなければならない。作曲家の特徴、時代のスタイル、合わせているメンバーの性格によっても判断基準は変わる。
その結果見事に的確で必要不可欠な一つの全音符が実現する。

その裏付けには、それまでの途方もない努力とため込まれた情報量が必要だ。
 

昨日、頼まれて書いた楽譜の音出しに付き合った。久しぶりのプロフェッショナルな音出しの現場はとても有意義だった。
練習も面白かったが、速いピッチで進んでいく練習を眺めながら、「そうだよ、この状態は音楽家にとって当たり前なんだよ。」と思った。「これが出来なきゃ仕事にならない。」

この状態とは、自分の目の前にあるたった一つの全音符から、その音楽の全体像を正確にしかも瞬時に推測し他のメンバーに音として提示し、万が一違っていたら次には訂正が完了する。相手はそのミスをとても寛容に許容する。
その一連の作業はそれぞれが誰に頼ることなく、一言も発せず水面下で行われるから、音楽に詳しくない人が見たところで何が行われているか皆目検討がつかないだろう。
皆で声に出して確認することは本当に肝心なポイントだけ。
 

アンサンブルの意味を良く問う。
如何に、目の前のパート譜から全体を見極め、参加し、一体になるか。
しかし、いきなりその状態になれない。
必要なのは才能ではなく、目指したいと思うこころざしと、日ごろの努力だろうか。少なくとも試行錯誤は必須だろう。