1月
18
4つの
自分。
自分だけが知っている自分。
自分も他人も知っている自分。
自分は知らないが他人が知っている自分。
自分も他人も知らない自分。
自分が自分をより知るためには、既に知っている自分の事以外を知ろうとしなければなかなか難しい。自分のことなのに。
では、自分のことをよく知ろうとしない人は、他人をどれくらい知る事出来るか?
主体を入れ替える。
「自分」を「特定の誰か」に、「他人」を「自分」に読み替えて、上記の4つを考える。
「特定の誰か」に対して一体どれだけの事を自分は知っているのだろう?
よく知ってるよ!、と言えるのだったら凄いなぁ、と思うけれど、いや、ちょっと待って。
本当に知ってる?その「特定の誰か」しか知り得ない全ての事までも知ってる?勝手に知ったことにしていない?
誰も他人が知るはずのない自分を持っているだろうと思うけれど、であるならば、当たり前だけど他人の事を全て知る事は出来ないことになる。
いや場合によっては知る必要もないと言っていいのかも知れない。
ではどうするか?
「知る」事から一歩進み「信じる」事になればいいのかも?
「考えること」「感じること」「信じること」「行動すること」
前に進むためのフォーマンセルといったところでしょうか。
段階分けはできないが一つかけると別のものもはたらかなくなり、
逆に復興しようとすると、どれかに手をかけなければ別のものも働かない。
自分はそんなものだろうと考えます。
いや、難しいことじゃないのだけれど…。
(特定の)他人のことをよく知っているつもりな人が多くてね。
また、その相手自身を信じるのではなくて、「相手がそうであって欲しい」という自分の希望を信じているだけの場合も多いかな。
人ってそんなに簡単じゃないと思う。
あ、いえ、すみません。
上のコメントはあまりこの記事にリンクさせて書いたつもりではないんです。
そうですよね。
肉親ですら考え方だって全く違ったり、
わからないところだらけですし、
例え、その人の今までの全てを見ていたとしてもきっと理解できないところがあるんじゃないかなぁと思います。
まして普段寝食までを共にしている訳ではない人のこととなると、
それこそ氷山なんて例えですら控えめなのではないかと思うほど分からないことだらけだろうと思います。
だからこそ面白いな、何て思いますが…
同時に疲れを感じてしまうものでもあるんですよね。
だからこそ
「こうであってくれなきゃ困る」
となってしまう訳ですし(そう思われることの方が困る場合が多いですけど)。
簡単じゃ無いからこそ寛容な心を持っていきたいです。