2月
01
最近の
新聞より。
「何でも時代のせいにしてりゃあ、そりゃあ楽だわな」。 〜中略〜 「時代」を「他人」あるいは「世の中」にしても、その意味はほぼ変わらない▼何でも自分以外の「せい」にしたがる甘えと未熟が、凝縮し、暴走したのがこの事件だっただろうか。
あんな大きな重大事件(秋葉原でおきた無差別殺傷事件)でなくても、この事に起因するトラブルは日常頻発する。しかし1つ1つはほんのちっぽけな事件だから、当事者はその重要性を認知できないまま見過ごしていってしまい、いつの間にかさらにトラップの奥深くまではまり、結果取り返しのつかない所まで発展する。
なんといっても「〜そりゃあ楽だわな」だからね。大概、人は楽な方へ流れる。
もひとつ。
「倹約に努める美徳的な行動が、まとまれば結果として人々の生活をさらに脅かす。浪費や美食など、多少の悪徳を許して刺激しないと、経済は生きていけません」
うーむ。多少の悪徳か。有る意味、文化はそれだな。
決して直接的ではないけれど、文化が豊かになることによって脅かされる生活から逃れることが出来る。即ち、人の生活が(心が)安定していくのだろうから。
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