の素晴らしさ。
ずっと、私は人に物を頼むのが下手だった。(今でも下手だと思っているけれど…。)
というよりも、人に頼むより自分でやってしまった方が早い、と思うことが多かった。
大概のことをやってしまえる自信もあった。
しかしそれは自分の手に負えない事態が生じるとすぐ放棄してしまう危険性も持ち合わせていた。
高校生を相手にすることが多くなったとき、しかも吹奏楽部という途方もなく作業量が多い活動を始めたとき、出来ないことを放棄することは許されないから、如何にして自分が楽をするかを考えた。
たくさんの仕事をこなすために自分以外の人に動いてもらう他はない。
そうやってみると、人を動かすというのは難しい。物事は思うように進まない。
自分が望む動きをしてもらうためにはあらかじめ「教える」事をしておかなければならないことに気が付いた。
それが苦労の始まりだった。
なぜなら、1つの作業を覚えたらそれでお終いではない。「作業」を教えるだけでは、延々と新しい「作業」を教え続けなければならないから。教えることはねずみ算式に増えていく。
そして行きついたのは、作業を「考えること」を教えることだった。
その根底には、私の師匠のなんてことはない雑談のひと言が大きく存在している。例えば、社会科の授業で「石油生産世界一位の国はどこか?」を覚えさせるのではなく、どうやったらそれを調べられるのか? を教えるべきだ、といったようなことだ。「だってそれは時代が変わればどんどん変わってしまうだろ?古い情報にとらわれて判断を見誤るぞ」
万事解決か、と思ったが現実はそれによりさらに苦悩は増えた。
一挙にハードルが高くなったのだ。「考える」ことの訓練は生半可ではない。しかも世の中の風潮はそれとは違う方向を向いている。
しかし、「教え」「育てる」ことはそういうことなのだ、「生きる力」をつけるとはそういうことなのだ、と年月を重ねる毎に思いが確かになり、以来ずっとそれをやり続けている。
その甲斐あってか、自分以外の人が何を望み、その為に何を為すべきか考え、さらに自分自信も満足できる言動ができるような人材が少なからず育っていった、と密かに自負している。
そして今。
そんな人達とTEAMを組める。
なんという信頼感。
心底「任せた!」と言ってしまえるのだ。
だからこそ、思いのまま自由に活躍して欲しい。
それぞれの思い描く理想に向かっていくことが、即ちTEAMの理想に繋がる。
幸せだと思う。
TEAM NGO!
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