5月
31
5月も
もうお終い。
この辺りの遅い田植えを控えた田に水が入り、蛙がうるさくなってきた。
月日が経つのは本当に早く感じる。
(天候も世の中も不安続きで大変だ。)
先日頂いたメールの中の一節。(勝手に引用申し訳なしです!)
普段、頭とか、胃とか、筋肉とか、
健康なときは、そこにあることを認識しないけれど
頭が痛いとか、胃が痛いとか、調子がわるくなると
そこに、頭があるとか、胃があるとか認識するのと同じように
自分とは、とか、心とか、人生とか、そういうことについて考えるのは
それが、病んでいるということだと思ってます。
だから、哲学者とか、芸術家とかは、重病人なのだと思ってます。
うん。
私も、その通りに思うよ。
(何度も書いているように)今、私は肩が痛い。
しかし、だからといって「痛い!痛い!」と叫んだところで痛みが減るわけではない。
時間の中で少しずつ痛みの質は変化していくが、日常を過ごしていくためにはこの痛みと付き合っていく必要があると考えている。どうやり過ごすか、とか、どう対処するかとかを学習しながら。
もちろん少しずつでも緩和させていく努力も怠らず。
多分、そういうことなんだな。
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