「信じるということは、自分自身が決意し、自分自身が覚悟すること。」
「信じるのは、相手の行為に対してではなく、相手の人そのものに対してである。」
最近、私がある学年の日誌に書いた。(正確には一字一句同じではないです。)
「信じることは辛いか?」の問いかけ(私に対する問いかけではないかもしれないが…)に、思わず反応してしまった。
信じることとは期待値を高めることではないと思うのだ。
仮に期待値が0でも信じる、信じたいときはある。
では、期待値が0だから辛いか、というとそうではないと思う。
…少なくともそのときはそう思った。
自分自身の為に書き留めておく。
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