9月
05
目に留まった

新聞記事。

 私のクラスのブラジル人のR君は昨年、両親が職を失い、工場で働いていた彼自身もリストラされた。R君は退学して父親と共に愛知県に行き土木作業をしていたが「どうしても定時制に戻りたい」と帰ってきて復学した。
 しばらくして、R君のサッカー仲間でブラジル人の子ども達5人がコンビニ強盗をしてしまった。幾日も食べることが出来ず、生きるための犯罪であった。R君に「犯罪に加わらなくて良かった」と言うと、「クラスの友達を裏切れないよ」と言った。一方の5人は学校に通っておらず、地域で孤立していた。
 芥川竜之介の「羅生門」は高校の国語の教材だが、リストラされた「下人」が生きるために強盗になる決意していく心理をどう考えさせたらいいのか、下人と同じ境遇の生徒を前に迷っている。

9月5日 朝日新聞 あめはれくもり 困窮する定時制の生徒(宮下与兵衛氏) より

昨日の記事に関連してベネズエラのことを検索していたので、貧困と犯罪についていつもより少しだけ意識があったからか、妙に気になった。
昨日はこんな記述を見つけたりもしていたから。

日本で発生している青少年の犯罪に対して、犯罪者は常に存在するという前提で防犯策が論じられているが、犯罪者を作らないための根本的な政策に大きなヒントを与えてくれるのがアブレウ博士の実践であるような気がする。

佐藤正治氏のブログ記事より

アブレウ博士の実践とは、まさしくエル・システマのそのものである。

今まで全く脈絡のなかった私自身に関わるそれぞれの事物が、どこか一つの収束に向かい始めているのだろうか。

まだ混沌として判らない。