やっと熱い日は行っちゃったかなあ?
今年はホント熱かったっすね。
脳味噌が、電子レンジで解凍しっぱいして肉に少し火が通っちゃった感じになったっぽいですわ。
あのね、最近、ずっと見続けている口コミ掲示板があるんですよー。
あ、もちろん見るだけね、書きこみはしないです。ID持ってないし。
ほとんど引きこもり状態でしょ。
パソコンの前に居ること多いから、リアルタイムで掲示板の中で起こっていることが見えるんですね。
昔、電車男って話あったよねえ?こんな感じだったのかな、って。
人間の悲哀や社会のひずみまで見えてくるような感じ、っていうのかな。
それと、揚げ足取りの仕方や、さりげなく無視することとか、やばいことの切り返し方なんかね、とっても勉強になりますわ。
それからさー、よく、こう言うのを「個人の発言が世の中を動かしていく」みたいに言う人居ますけど、ありゃ、どうも違うね。
個人で頑張っていいことをカキコしてる人もたくさんいるし役に立つこともたくさんあるんだけど。
そうじゃなのもたくさんあるみたいでさ。
どうも裏で情報のコントロールがされてるっぽいのよ。
ポジキャンとかネガキャンとかいうんでしょ?
意図的に情報がねじ曲げられていることって案外あるみたい。
よくいう自作自演っていうやつ?
どうでも良いこと書き連ねてそのスレ読む気なくさせるやつ?
色んな手があるみたいだよ。詳しくは知らんけど。
そりゃ、影響力そこそこあるからさ、そういうのを請け負う会社もたくさんあるだろうし、頼む会社も色々あるだろうし。
あ、そうか。引きこもりのバイトにはもってこいだな。仕事あるかな?
それでね、エグイ書き込みと、そのあからさまな応酬と、管理さんの削除。
分単位でやっているんだよ。
ヤバイ書き込みがあって、おっ!ておもってリロードしたらもう削除されてんの。
こうゆうのをイタチゴッコっていうんだよね。
見てる側が、レイの巨大掲示板みたく「そんなもんよ」って判ってりゃそれでもいいんだろうけれど、まっとうそうな口コミ掲示板でウブな人が知らず知らずのうちにひんまがった情報に洗脳されていくのだったらちょっとかなわんな。そう思わん?
Twitterとかもそうかもねっておもってんだけど?
やったことないから知らんけど。やってる?
あれって言葉が上っ面を滑っていく感じじゃないの?
だってさ、みんなどこまで遡るのか知らんけど、どんどん話は流れていって、文脈とか、話題の大元とか、あんまり関係なさそうじゃん。
いま、その瞬間盛り上がってれば良さそうじゃん。
あ、そうか、テレビのバラエティとおんなじか。
いつも同じメンツで脈絡のない面白そうな話でとりあえずその場が盛り上がってるって感じ。
終わったらなんの話だったかもう忘れていいようなんばっか。
たいしたロケ無いし制作費安上がりだよね、きっと。まあ、このご時世しょうがないのかなー。
そこにみんな参加できたら楽しそうだもんねぇ。視聴者参加型って、いい言い方だね。
そうそう、むかし、チャットで会議っぽいことやったことあるけど、大変だったわあ。
話の流れに付いていくことと、自分がキーボード打つことと、何人もが時間軸入り乱れてやるから、そのうち何が何だか判らなくなっちゃうんだ。
それをケータイでやったりするとホント、もう大変。
考えてみればそりゃそーだわな。chatとかTwitterなんだもん。Discussionじゃないし。
やりたい事とやり方がちぐはぐだと辛いね。
じっくり考えたりするのがバカらしくなっちゃうね。
いいんじゃない?だって今日の選挙だってそれぞれがほんとは何考えているのか、なんて考え出したらわけわ\%91%B
//以下略。
ツィッターしてませんが
しばらく、一人の人をウォッチしてました。
”返答義務”のないチャット。かな。
ブログだと、誰もコメントしてくれないし
チャットは、いちいち答えなきゃいかんし、
その中間。
ま、つぶやきなんだから、つぶやきなのですが。
遠からず、「ツィッターで無視されて腹が立ったので・・・・・・」
という、ニュースが出てくるだろうと思います。
今日の新聞より
==
ある大学で、入学後一週間もしないうちに「友達が出来ない」と学生が相談に来たそうだ。「努力したがうまくいかない」という。その話に河合さんは驚いた。一週間努力すれば友達が出来る、と思っていることにである。
==
うーん。今時、そんなものかも知れない、と。
そんな彼らは、ツィッターでつぶやいてそれに返してくれる人はみんな友達と思うのかな。だとすると返信してくれなければ「裏切られた」とかになっちゃうかも。
例えば、
「何食べたい?」にたいして「さかな」
「どこ痛い?」にたいして「あたま」
どちらも、ケータイだと3アクションで応えられる。
繋がっていることを確認する儀式としてはいたって簡単だな。
「とりあえず、ともだちってことにしとくー?」みたいな。
探してみたら、わたくしの知り合いの人が
結構、Twitterやってるのを発見。
でも
「あの人、今頃何してるんだろう・・・」
「元気でいるのかな」とか
「よっ!、久しぶり」っていう挨拶も
”拝啓、ご無沙汰いたしております”という手紙も
・・・・そのうち、なくなるんでしょうね。
時々行く、山の中の夜。
漆黒の闇と、耳鳴りが聞こえるほどの静寂のなかで
携帯電話が、圏外だと、ほっとするわたくしは、
フルィ人間でゴゼェます。
ケータイは頻繁に(電話はあまりかけなかった…)使っていましたが、最近は単なる懐中時計&アラームと化しています。
緊急用に「持ち続ける」ことは大切だと思いますが、なけりゃ無いで済むってことでしょうか。
> 携帯電話が、圏外だと、ほっとするわたくしは、
有ったり使えたりするから使っちゃう。
強制的に使えない場所や時期があることは逃げ場として貴重ですな。
とはいえこんな物を書いている私。
これが、書く方も読む方も、私という「個」の生存確認になっているかも知れない訳で…。