本番は、ゲスト氏に随分助けていただいて何とかなったかな。
バンドも持っている力が発揮出来たのではないか、と。
愛知県の方で春日井市出身だったよ。
よく知っている人が現在指導しているバンドの卒業生だった。
ここは狭い世界だなぁ。
それにしても、タイコがゲストで一人入れ替わるとバンド全体の演奏の質は激変して良くなるのだから、逆の言い方すれば、他のメンバーは日頃の練習ではしなくていい苦労をたくさん強いられているのかもしれない。
この辺りが難しいところで、だからといってみんなのレベルに達していないメンバーを排除する方向に動くのは間違っているし、しかし、全体の目標を全員が楽々クリアできるところまで緩めていったら、全体の伸び率は極端に下がってしまうし。
そのため「育てる」事が重要なのであって、それは「時間の経過と共に少しずつ変化させる」(一つの瞬間だけで評価するのではなく一定の期間でのトータルな評価)という観点がどうしても必要なのではないかと思う。
一人一人持っている物も背景も違うのが前提で、しかしある程度のまとまった方向性を持ってそれぞれが成長できていく環境が大切なんだろうな。それぞれの点を、時間をかけて線にし、撚って糸にし、綱にしていく作業というか。
今、目の前に見えている一瞬の出来事だけをピックアップしていくのは、あたかも、「音楽は運んでなんぼ」(音楽が時間の流れを伴って連続し起承転結していく事)の視点が欠落したまま、その瞬間瞬間の音程や音色や音量だけに固執していくバンドの練習のようだ。(誤解の無いように念のため。それは決して不必要なのでない。)
しかし、さらにその瞬間の精度でさえ緩く甘ければ、次第に向かっていくべき目標を見失って音楽をする本質から遠ざかっていくとしか思えない。
吹奏楽の活動に対して、もしかして私が想像できていないような他の付加価値があるのなら教えて欲しいと思う。
世の中のバンド指導者は、つまるところ何のためにバンド指導しているのだろうか。
もし、これを読んでいる指導者諸氏がいらっしゃるのならば(もちろん指導者に関わらずどんな方々も)、是非ぜひご教授願いたいのです。
次に進むために。
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