なぜか、自宅の目の前にこんな看板。
これは我が家の北側で、南側の田んぼにも同じような物が幾つもある。
実は、「警固祭り」という朝から騒々しい豊作を願う祭りのための看板。
この辺りのこんなページなどから情報をどうぞ。
町内では3地区が別々に開催し、それぞれで銃の構え方とか、仁義の切り方とか少しずつ違っているらしい。
今年は私の住む地区のみの開催のようだ。
多い年では一つの地区だけで100丁以上の鉄砲隊が出て練り歩き、そこここで一斉に空砲を撃つんだ。
我が家は絶景地で、真後ろと真ん前で撃つ。
特に表側はベランダからすべて見渡せ爽快だ。
単独市制に踏み切るまで秒読みの我が町では、どんどん新しい人たちが流入してきているから、この祭りの詳細を知らない人達は、当日朝空砲解禁時刻と共にあちこちで撃ち出す音に、天変地異でも起こったのではないかとびっくりして飛び起きるに違いない。
鉄砲足軽姿の集団が「えいさ、ほいさ、(たぶん栄作・豊作なのではないか、と推測している)」という低い声やわらじのひたひたという音と共に早朝の朝靄の中を進んでいく光景は、古戦場の亡霊が復活したのではないかとさえ思える不思議な光景だ。
本当の主役は隊列の最後尾にいる豪華に飾られた馬(オマント=馬の塔)らしい。
また、鉄砲の持てない子ども達が氏神様の境内で奉納する「棒の手」と呼ばれる伝統芸能は、武器を持てない農民の生活の知恵だったよう。
似たようなお祭りは近隣にいくつかあるようだが、これだけ規模の大きいのは珍しいのではないかな。
とにかく、朝から晩まで鉄砲が鳴っているのだから音響シャイだったせろりは生きた心地のしない一日だったな。
まだ一発も鳴らない早朝から音の聞こえないどこかへ逃げるのが例年だった。
今年は、じっくりと見ることが出来る。
ひどい夏でしたが、
例年通り、2,3日前から金木犀が香りはじめ
今日、夕方帰ってきたら
花がちらほらと咲き始めていました。
そしてまた、いろいろなことを思い出す。
一年の句読点は、いろいろあるけれど、
この香りはもっとも好きな出来事のひとつ。
鉄砲隊でもいろいろなことを思い出す。
秋ですな。
山の中で、ちょっと寒さにこごえながら、
焚き火でもして、静かに星をながめたい今日この頃。
我が家の金木犀も満開です。
早朝、それに雀やモズが集って賑やかです。
> 山の中で、ちょっと寒さにこごえながら、
> 焚き火でもして、静かに星をながめたい今日この頃。
はい。その通りで。
「社会的生活を」との内なる声と、次第に膨らんでいく厭世観(大昔からあったが最近特に顕著)との狭間でずっともがいるので、じっと焚き火の炎を眺めながら自分の真意をあぶり出したい気はする。