この世の中では様々なことが起きる。至極当然。
起きたことを知りたいと思い、知らせたいと思う。これも当然。(もちろん知らせたくないという場合もあるだろう。容易に想像できる。)
しかし、なかなかうまくいかない。
…マスコミの話ね。
問題の一つは知りたい側。「何を」知りたいのか。
知るべき事を見極める力が足りないと感じる。
これは永遠の課題かもね。いつでも人は無責任な野次馬になりたいから。
もう一つは知らせたい側。「何を」知らせるべきか。
難解だから避ける、とか、食いつきが良いから大げさにするとか。
その段階で既に事実を知らせる意図を逸脱してしまうことが増えてきたと感じる。
さらには、解説やコメントと称して客観的な事実ではないことも同時に知らされる。
玉石混ざっていることが無条件にダメなのではなく、区別がしづらく恣意的に誘導されていく危険があることが問題だ。
CMだったら必ず「これは個人の意見・感想です。」という但し書きがテロップになるよ。
「報道」と「ワイドショー」。
送り手側は、その区別を自分の都合で曖昧にし、もとより受け手側は野次馬根性で自分にとって特に興味を持った(解説委員とかコメンテーターの)私見を客観報道と勘違いし、混沌としていく。
例えばこんな事。
少なくともNHK夜7時のニュースのトップは、大相撲の不祥事ではなく、エジプトの状勢であって欲しい。
(大相撲不祥事報道は必要ない、のではなく、限られた時間の中なのだから優先順位よく考えて欲しい、ということだ。)
余談ではあるが、そもそも「大相撲はスポーツなのか?」という疑問もある。
国技?伝統芸能?
いつだったか女性知事が表彰式の土俵に上がれなくて問題になったが、スポーツの世界でそんなことあって良いの?「聖域だから女人禁制」って。
スポーツではなく伝統文化と考えると、それもありか、と。いろいろと。
コメントを残す