書籍やらコミックやらを探す事が最近多くなった。
今までコミックを読む機会は決して多くなかったのだが、古本屋の棚にずらっと並んでいるのを見て今さらながら気が付いた。
映画やTVドラマ(実写もアニメも!)の原作はなんとコミック漫画が多いことか。
色々読んでみて「なるほどね」と納得したことはたくさんある。
まず、話が面白い。
ジャンルも作画も本当に様々だが、話が良くできているものが多い。もちろん素材そのものも話の展開も。
漫画だから当たり前だけれど既に画面のカット割りがしてある。良い作品であればあるほどその構成が素晴らしい。
だから、映像作品に翻案するのは案外簡単かも知れない。活字だけの本をビジュアル化するのと違い映像イメージは既に具体化されているから。セリフもほとんどそのままで大丈夫そうだし。(イメージが固定がされてむしろ難しい場合もあるだろうか。逆に活字だけの場合はそこの自由度がとても高い。)
コミック漫画作家の仕事内容って締め切りに追われ、構想を錬る事と絵を描く作業時間との戦いでとても壮絶そうな感じがするけれど、だからこそ、作品が作者の手を離れ様々な展開をしていくときに、そこに携わる人たちは楽が出来るんだな、と思ってしまうなぁ。
脚本も演出もキャスティングも、もう既にビジュアルとして具体化されたお手本がそこにあるのだから。
率直に言うと、いまのご時世、映画もTVドラマもコミック漫画原作がなかったら何も出来ないんじゃないの、と。
であるならば、今の世の中の風潮や流れを作っているのはコミック作家ということになるゾ。
実は、一番すごいのはその人達かも。一番の始まりを作っているのだから。
漫画家志望の人たちは、そもそも絵を描くことが入り口だったのだろうか?それともたまたま表現手段が絵を描くことだったのだろうか?
絵が上手い能力と、話の構想能力は必ずしもイコールではないと思うのだが。
修行していくうちにどこかでそれが一致する、あるいは、漫画界にはドラマを描く能力に長けた人が集まる仕組みでもあるのだろうか。
「この作品は、コミックで大ヒットしましたので、映画化してもヒットまちがいないと思われます」
営業的な危険を冒さずにいられるからではないのかな・・・
そうこうしているうちに、「いい原作」を探し出す人も、
原作から、なにかを作り上げる人もいなくなってきた・・・のではないでしょうか。
ちょっと話が違いますが
午後4時の「水戸黄門」とか
お午の、「別れて生きる時も」とか、
映像的には、ほっとします。
「あかんたれ」ももう一度全部みたい
「木枯らし紋次郎」は去年やってたけど
これももう一度みたい。
もぅジイサンだね
じっくりと腰を落ち着けて熟成させ無から有を生み出す、みたいな悠長なこと言ってられないのだろうね。
「この流行に乗らなくては!」と商機を逸する事の無いようにするのが精一杯で。
> 映像的には、ほっとします。
逆に、最近の無理なワイヤーアクションとかCG合成とか見せられると、途端に興ざめします。最新技術の粋を集めた物だろうに。
> もぅジイサンだね
あぁ!若かりし時とそんなに変わっていないつもりだけど。もともとの感覚が古いのかなぁ。
>若かりし時とそんなに変わっていない・・・
相対的にみると、今の20歳の方の、”視点”を
中心点とすると、遥かトォ〜ぃ所の人になるわけで、
”社会”とか”現代”に、中心となる”視点”が
あるのかどうかわかりませんが、
まぁ、古い方に、押しやられつつあるのだと思います。
> まぁ、古い方に、押しやられつつあるのだと思います。
そして、きちんとその自覚を持つことが肝要なのでしょうね。