7月
19
ドミナント−トニック
バンドレッスンするとき、どうしても和声的な処理としてドミナント−トニックを説明したくなるときがある。
”ソシレファ”と音を出して、「この音聞くと、次にこう行きたくならない?」といいながら”ドミソ”と音を出す。「あー、落ち着いたねぇ。」
そうすると大概の人が「うん、うん。」という顔をしてる。
機能和声としての基本的な動き。コードネームでは”G7−C”。
皆「うんうん」と頷くのだから、そう感じているのは確かだと思う。
でもいつもそこで疑問が湧く。
「なぜ、みんなそう思うの?」
和声という約束事でそう決められていて、いつしかその感覚を覚えるのかしら?
いやいや、機能和声というのは、試行錯誤した結果、生き残った音の動き方を整理したモノだと思ってるから、始めに「約束ありき」ではなく、「そう感じる」ことが先にあっただろうはずな気がする。
ではなぜ人は皆、一つの理論体系が出来るほど確かにそう感じるのか?
百歩譲って、西洋音楽機能和声ではなくても、ドミナント−トニックの機能、即ち「不安定→安定」「ストレス→開放」のようなものを音を通して感じるのはなぜだ?しかも限られた人ではなく大勢の人が等しく感じるのはなぜだ。
機能和声の大前提となるこの感覚については、どこかで説明されてるのだろうか。
ご存じの方、どうか教えてください。
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