3月
06
挨拶

TSW諸君に挨拶の話をすることが良くある。

ついこの間もそのことで一悶着あったね。
実はその背景がある。どうしても私はこだわってしまうのだ。

今私が住んでいる場所は微妙な、絶妙なところで、名古屋という大都会の東の端っこ。ド田舎ではないが都心でもない。
そこに越してきた頃、散歩してると誰でも親しく挨拶してきた。もちろん今もそうだが、その時は田舎だから、みんな人が良いのかな、くらいに思っていた。しかし、宅地開発でどんどん新しい人たちが流入している場所なのだから、昔からのド田舎では無いことに気が付いた。新しいお家の人たちもとっても気持ちよく挨拶する。もちろん子供達もそうだ。

その前は名古屋市内地下鉄の駅徒歩約2分のところにいた。ま、都会だ。それでも近所の人や行き交う人と挨拶してた。殺伐とした大都会だからこそか、知らない人同士でも、何となく会釈し、声を出していた。それが当たり前だった。

この地に勤務するようになって先ず初めに思ったことは、挨拶がないこと。
街を行き交う人同士挨拶がないと思った。(気を付ければ少しはあるよ、ちゃんとね。)
同僚でさえ、ない。お互いが言わないのではない。こちらから声をかけてもスルーされる。目を合わすことさえしない。その現場に居合わせたスタッフが憤慨していたこともある。

2年経った今でもそうだ。外で、だったらまだ判らないでもない。
しかし職場の中(建物の中!)でもそうだ。
おれ、何か悪いことやったかな?失敗したかな?そうじゃなかったら相当嫌われてるのかなぁ?と自分を責めてみる。
関わることを拒否されているように感じてしまう。
よく、都会だからそういった人と人のふれあいがない、と言われるけれど、実は逆なんだと気が付いた。
都会は、だからこそ挨拶することに敏感なんだと。
そうか、ここは田舎なんだ。精神的田舎なんです、きっと。

最近はめんどくさくなって、郷に入れば郷に従えで「ま、いいや」になっているけれど、やっぱり何かおかしいと思う。

だから、TSWの諸君がさわやかな挨拶が出来ないと気になるんだ。
閉鎖された空間や風習の中で、「それでよい」と何の疑問も持たないと、もっと広い世の中に出たときにとても恥ずかしい思いをする。

あなたたちはそうなって欲しくない。
挨拶する、挨拶したい気持ちをきちんと持って欲しい。