この数ヶ月で手に入れた吉本隆明の本。
すべて例の古本屋チェーン巡りで手に入れた。
ほんとうの考え・うその考え 賢治・ヴェイユ・ヨブをめぐって 春秋社
フランシス子へ 講談社
吉本隆明「食」を語る 聞き手 宇田川悟 朝日新聞社
共同幻想論 角川ソフィア文庫
真贋 講談社文庫
日本近代文学の名作 新潮文庫
夜と女と毛沢東 光文社文庫
僕ならこう考える 心を癒す5つのヒント 青春文庫
13歳は二度あるか 「現代を生きる自分」を考える 大和書房
カール・マルクス 光文社文庫
詩の力 新潮文庫
悪人正機 聞き手 糸井重里 新潮文庫
音楽機械論 吉本隆明+坂本龍一 ちくま学芸文庫
「すべてを引き受ける」という思想 吉本隆明 茂木健一郎 光文社
ひきこもれ ひとりの時間をもつということ だいわ文庫
思想とは何か 吉本隆明 笠原芳光 春秋社
吉本隆明の声と言葉。 HOBONICHI BOOKS
(吉本隆明が語る戦後55年 1 60年安保闘争と『試行』創刊前後 三交社)
それ以外にも 吉本隆明の183講演 – ほぼ日刊イトイ新聞で手に入る講演集が全てipodに収まっている。
だいぶ集めたな。
まだ読んでいないのもあるけれど、大まかな感じは掴めてきた。
晩年のは、だいたい対談を書き起こして本にしてる。
それぞれの本で様々なテーマが繰り出されているが、そのどれもが結局はいくつかの大切なテーマに収斂していく。
しかし、その大切なテーマ達を初めて世に出していった頃の、一番読みたい本がまだ見つからない。
密林でポチれば次の日にでもすぐ来るのだろうが、ここは別の理由もあって古本屋巡りにこだわっている。古本屋巡りは実は楽しいのだ。様々な物や事を発見できるからね。
きっと「表現」ということについて(いや、もしかしたら吉本のすべて)の根っこがその本にあるのだろう。
手に入れた本を読んでいくと、必ずそこに行き着かなくてはならない、と強く思うのだ。
凄まじいパワーを感じる講演記録 芸術言語論――沈黙から芸術まで を聞くとその思いはさらに強まる。
「言語にとって美とは何か」だ。 (「心的現象論序説」も同じかもしれない。)
吉本隆明に出会うことになった最初は「努力する人間になってはいけない(芦田宏直 ロゼッタスト−ン)」という本なのだが、この期に及んでようやくその後段にある〈追悼・吉本隆明〉をきちんと読めた気がする。
「自作品のオリジナリティっていったい何なんだ?」とか、「音聞くとお前の作品て判るのはなぜ?」とか、「個性とは意図するべき物なのか?」とか、等々夜を徹して語り明かす事が常だった学生の頃から未だに決着がついていない「表現」や「表現行為」の意味が、もしかしたら少し明るみに出るかもしれない、と大いに期待する。
そんなこともあってか、最近、純粋に自分がやりたい(やりたかった)音楽を(再)発見してるような感覚がある。
世間の評価とか経済的価値とかからは全く無縁な感覚。不思議だ。
最後に。
本日読んだ「ほんとうの考え・うその考え」の一部分から引用
ヴェイユが工場体験で得たことで、何が一番重要だったかというと、
〜中略〜
もう一つは、手紙の中で「人間は疲れっぱなしで、追いつめられて、ぎゅうぎゅうに抑圧されると、かならず反抗心をもつものだと思ってきたが、そうじゃないんだということがはじめてわかった。つまりかんがえもしなかった一種の奴隷の従順さというものがじぶんのなかに芽生えてくるのがわかった」と言っているところです。これはとても重要な体験だとおもいます。これも手紙で「レーニンとかトロツキーとかは偉そうにしているが、あの人たちは工場の中に入ってみたこともじぶんで働いたこともないのだ。ああいう人たちが労働者の解放といっても、不吉なばか話にすぎない」と書いています。
ようするに人間の心のメカニズムの複雑さを実感したことになります。人間はぎゅうぎゅうに追いつめられたら、かならず反発すると思っていたがそうじゃなかった。反発するにきまっていると思っているやつはぎゅうぎゅうに追いつめられた体験がない人たちで、実際はぎゅうぎゅうに追いつめられても反抗心をもつどころか、素直にそれをこなしている。そしてこの人たちがなぜおとなしくしているのか、なぜ反抗しないのか、その理由がすこしわかったという意味のことを言っています。これはとても重要な体験だったと思います。
一方。
ということらしい。それならばさしあたって「戻るところがある」という状態だから、体験という範疇からは出ないように思う。生きていく、ということについて本当に差し迫る経験だったのかどうか…。
もちろん、何も経験していない、のとは確実に違うだろうが。