6月
12
生物多様性

季候が良くなって、生き物の活動が活発になる。
梅雨に入って雨も降るから、植物もどんどん生い茂る。
様々な生き物の活動が人の目に触れるようになる。
それを見るたびに、自然ってすごいよなぁ、と心から感心する。

私は。

しかしWEBをさまよっていると、実は世間の人々はそうでもないのかな、と思わされる事に出くわすことが多い。

「ゴキブリが出て引っ越ししたい。」
「ヘビがいて気持ち悪い。」
「名前の判らない大きな虫(註 シロスジカミキリと思われる)がいて怖い。」
「大きな蜂が飛んでる。」
「蚊がうっとうしくて寝られない。」

それだけなら別に何とも思わない。個人の好き嫌いの範疇だろうし。
むしろ、そういうのを嫌いな人がいて当然だと思うし、誰だって人に危害が加わるのはご容赦願いたい。

しかし、その後に
「即死刑だ!」
「早く絶滅させるべき!」
「こんな物が生きていることが耐えられない」
などと続くと、本気で言っているのかなぁ?と心配になる。

以前にも紹介したが、ヒトはイヌとハエにきけ J.Allen Boone (著), 上野 圭一 (翻訳) 講談社という本。

現在は動物はすべてを知っている (ソフトバンク文庫)と改題されている。

その中に、ガラガラヘビのくだりがある。アメリカに移入したヨーロッパ人達は開拓時代、皆ヘビが怖いから、ガラガラヘビを見たら恐怖で騒ぐ。銃で撃ち殺す。ガラガラヘビはそれを感じて余計に人間に攻撃を仕掛けてくる。ネイティブアメリカンはガラガラヘビなんか別に怖くないから出会っても騒がないし敵意もない。だからガラガラヘビも攻撃せずに素通りする。
ガラガラヘビは(ガラガラヘビに対する)人間の気持ちを全て感じていて、それによって対応を変えるのだ、という話。

元々この本は異種間コンタクトに関する記述だから、どこまで本気にして良いか微妙なところもあるが、しかし私はこの考え方が好きだ。
なんといってもネイティブアメリカンの場合は人蛇ともお互いに敬意がある。

 
一方で、虫とか蛇とかを忌み嫌って絶滅を望む気持ちと、ネット上でいろいろ聞き及ぶ差別や侮蔑などのヘイトスピーチと、両方とも根っこはかわりがないと思っていて好まない。
地球上で自分達と同じように生きているのに、自分にとって不快な事や物だからと言うだけでさげすんだり、絶滅を願ったりするのだから。

究極の自然保護は人間が滅びることだ、と言われてしまうことがあるくらい人間の存在は自然環境にとってダメージが大きい。
にもかかわらず、人以外の生き物は人に対して文句言っていないんじゃないかな。
どんなことであろうとも、あるがままに受け入れているだけだ。(因果関係など判るわけ無いからそうせざるを得ない、ということでもあろうが…。)

だから、せめてそいつらの存在くらいは認めてやらなきゃ、と思う。(もちろん、好き・嫌いは別な話。だれだって嫌いな物はある。)

生物多様性とは、生物が多様であることこそ地球が豊かなこと、という考え方だと思う。
万が一、自分にとって不快な存在はこの世から消えてなくなれ、と思っているのだとしたら、豊かさを否定していることになるんじゃないの?