11月
09
手を打つ
今日の昼過ぎに、この昔に書いた記事を思い出した。
教える側の専門性不足による不幸せな事態。
しかし、専門性の不足なんてどこまで行っても誰にでもあり得ることで、足りないところを謙虚に学んでいけば良いだけのはずなのだが。
何より本人が「足りていない」ことに気が付かないのが問題なのだと思う。
そりゃそうかもね。見たこともないのに思い描けるわけがない。知らないのだから自分で気づくのは難しいだろう。
それではと、おそるおそる指摘してみるも、改善しようとしないのかな。自分を守ることに終始してるように見えてしまう。
結局、割を食うのは学ぼうとしている若い人たち。
またそんなことが身近に起こっている。
音楽を学ぶはずなのに、若い芽がどんどん萎れていくのを見ていることしかできないのか。
と頭を巡らせていて、先の記事のことを思い出したのだ。
そうだよ、ちょっと待って。
同じ轍を踏んだらあかん。
このまま憂いているだけでは昔と同じじゃん。
見て見ぬふりでは本当に申し訳ない。
心に決めた。何か手を打つ。必ず。急ぐべし。
こんなページを見付けた。
なぜ、「勉強ができる人」は「仕事ができない人」になってしまうのか
https://diamond.jp/articles/-/184594
このページは結局、セミナーや本の宣伝なんだけど、ま、そのとおりかもね、って思う。
なぜ、「勉強ができる人」は「仕事ができない人」になってしまうのか
というタイトルで、その原因を
「3つの落し穴」に陥ってしまうから、と。
だそうで。また、
「下段者、上段者の力が分からない」
ってな言葉もあった。
教える人もまったく同じだなぁ、と思ったのでした。
気が付くと良いのだけれど。