OLD WIND MESSAGE 5
NGOがT邦吹奏楽部時代に書いたものを再掲載します
最近3年生の日誌を読んでいて、とても困ることがある。
書いてある内容は、「良く考えるようになったなぁ」、「1年生に入って来た時からは想像もできないような成長をしたなぁ」と感心する事だらけだ。「このクラブは最高です。幸せです。」なんて書いてあるのを見ると、私の頭は考えることを中断し、「もっとみんなで音楽し続けたい、留年したい」、「今まで半信半疑だったけれども、今は信じる事が出来る。これが東邦音楽だ。」とくると目の前が真っ白けになって、ただ、ぼーっとしてしまう。
だから困るんだ。勝手に涙が出てきて…。
私が東邦高校に来てから6年と半年がたつ。この間にいろんな事を考え、悩み、行動し、たくさんの失敗や、少しばかりの成功をし、喜んだり、悲しんだり、怒ったり、やっと音楽の楽しみを解りかけてきた部員を、何で高校は3年しかないんだと思いながら卒業生として送り出し、たくさんの本番をこなし、いつの間にか練習場(かなり贅沢な)ができ、しかし、それでもいつも同じ所ぐるぐる回って進歩が有るのか無いのか解らない何年間だった。
部員は入部してから3年たつと卒業していく。私はいつも同じ所にいて通り過ぎて行くみんなを見ている。しかし私にとって一番耐えられないことは変化しないことだ。いつも同じ所にいる事がどんなに苦痛か。せめて通り過ぎて行くみんなが変化してほしいと思う。私が退屈しないだけの、興味を持てるだけの何かを持っていてほしいと思う。君達にとってはかけがえのない高校3年間だが、私にとっては退屈きわまりない1年の連続になってしまう。そうならないために私自身の努力ももちろん大切だが、部員諸君の努力も必要不可欠だ。なぜなら私がこのクラブに興味を失ったら、少なくともこの路線での東邦高等学校吹奏楽部は崩壊する。崩壊しないためには、私自身が興味を失わないこと、すなわち君達が努力し進歩する以外に方法はない。それも部員一人一人個人の進歩だけでなく、クラブ全体としての進歩が絶対必要だ。
(なぜこんなにこだわるのか、みんなは解るだろうか。…私は与える者ではない。単なるきっかけにすぎない。そして部員は与えられる者ではない。自分でつかみ取らなければならない。「楽器を吹かされる」、のではなく「音楽をする」のだから。君達自身がつかみ取ろうとする時、音楽をしたいと思う時、はじめて私の役割が生まれる。そうでない時は残念ながら私の仕事は出来ない。部員一人一人の気持ち(意識)が高まって初めて東邦の音楽をする準備が出来る。そしてやっと真の喜び、本物の幸せに近づくことが出来る。)
ここに来てやっとこの事を理解できる部員が増えてきた。全部ではないが少なくもない。(…しかし残念ながらその人達ももうすぐ卒業だ。)少しずつだがもっと増えつつあるような気配もある。
7年かかった。それが長いのか短いのかは自分では解らない。解っているのは先輩達から受け継がれながら代々少しずつ膨らませていった結果である、という事だ。
東海大会が終わり今年のコンクールが終わった。
演奏はとても気持ちよかった。自分たちの力を存分に出して最大限東邦の音楽をした、と思っている。それを感じてくれた聴衆もかなりの数だったようだ。コンクール以来だくさんの人から電話をもらった。見ず知らずの人からも、人づてに、必ず東邦に伝えて下さいね、というコメント付きで励ましの言葉をもらった。
負け惜しみではなく、コンクールの賞なんかたいした事ではない、と感じる。大切なことは、我々みんなが本当の音楽の喜びを感じながら演奏をしたという事実である。そしてそれが自己満足だけに終わらず、我々が音を出しているその時間と空間を共有したたくさんの人々に満足を与え、「もう一度東邦の音楽を聴きたい!」と思わせる演奏であった事である。
コンクールが終わったからと言ってみんなが感じた感動、感激が消えて無くなるわけはない。もちろん音楽が終わるわけでもない。これから先我々が何をするかで、もっと膨らむか、ここでしぼんでしまうか、かが決まってくる。できればもっと膨らませたいと思わないか!
コンクールの賞やら代表になる事やらに終始して、音楽をすることを忘れてしまった現在の日本の吹奏楽。(本当は吹奏楽だけではない。音楽界全体がむしばまれつつある。いや、昔からそうだったのかもしれないな)そんなばかばかしい世界にとらわれないで、もっとすばらしい世界を、もっと幸せな吹奏楽という音楽を、創り続けて行きたい。
これから進むべき道がはっきり見えてきたようだ。(今までも道が解らなかったのではないし、その道を歩かなかったのでもないが…)
東邦高等学校吹奏楽部が東邦高等学校吹奏楽部として存在する意義が、一筋の光となって見えてきた。
その一筋の光とは、言うまでもなく「音楽の喜び」だ。一緒に音楽を創り上げる喜び、表現する喜び、みんなに聴いてもらえる喜び、その喜びをその場に居合わせた人すべてが共有できる喜び。うそ偽り無く、心の底からその喜びを感じることの出来る幸せ。人が人として得ることの出来る最高の喜び。
何も飾らなくてもそれ自身が自ら光り輝くとき、人はそれを感じ感動する。いくら飾りたててもそれ自身が本物でない限り誰も本当の感動はしない。その事の実感が少しずつだけれども確実に理解できるようになってきているのだと思う。
ほんの微かな一筋の光ではあるけれど夢のような実態の無い光ではなく、目で見て、手でさわる事の出来る、確実にそこにある光の一筋。その一筋が、二筋になり、束になり、世の中がその光の渦で埋まるまで私は音楽を、吹奏楽をし続ける。
出来るならば東邦高等学校吹奏楽部と一緒に…。