WIND MESSAGE

by NGO

OLD WIND MESSAGE 6

1994.9.28

NGOがT邦吹奏楽部時代に書いたものを再掲載します

 どうしてこの時期になるといつもこうなるんだろう。そうならないように例年とは違ったスケジュールを計画したはずなのに。

 やってられないよ!

 最悪なのはその事に自分で気づいている人がいないという事。あるいは、気づいてはいるけど何もしない事。

 人から指示を受けないと、怒られないと何もできない奴のなんと多いことか!
 気配りのない、思いやりの無い奴の何と多いことか!
 そんな奴らに音楽なんかできっこない!
 (アホは音楽なんかやってはいけない!)

 一番救いようの無いのが2年生、東邦高等学校吹奏楽部が何を目指し、どのような運営をし、日常的に何をなすべきか何一つ理解していない。集団としてのまとまりと、その集団が成り立つための個人の責任感なんか皆無だ。いったい今まで何をやってきたんだ!!
 もうすぐクラブの中心となってどんどんクラブを動かしていかなければならないはずの2年生。それなのに7年かかって積み上げてきたもの今君達が見事に崩しつつある。私の目の前で、音を立てて崩れていく東邦高等学校吹奏楽部。いくらどんなに時間をかけて積み上げていっても崩れるときは一瞬だ。
 残念ながらこの状態では何をしてもうまくいかないだろう。もっともっとうまくなってもっともっとすばらしい音楽をするために、色々なことをしようと思っていたが、私がいくら頑張っても何かやろうと思っても、部員みんなにその気がなかったら何をやっても無意味だ。お金と時間の無駄だ。「強化練習について」という案をみんなに示したがあれはすべて白紙撤回だ。特にレッスンをお願いしようとしていた先生方に御迷惑をお掛けしてしまうことになる。やる気の無い人にレッスンする事ほど不愉快なことはない。

 32回定期演奏会は、幻の32回定期演奏会になってしまったようだ。来年は第34回定期演奏会はやれない。いくら私がやりたくても部員がみんなやれるレベルになかったら出来る訳がない。
 あの演奏会の意味はみんなが考えているものだけではない。もっともっと意味の深い、高度なメッセージを持っている。そしてそのメッセージを受け取ってほしい人たちに確実に伝わった。反響もただならぬものではない。君達は現時点でその事を理解するのは無理だろう。何十年か経ったり、音楽を専門に勉強していって、きちんと自分の音楽を確立したら初めて解るときが来るだろう。
 もちろん今そんな事を理解できなくてもやれることはたくさんある。それぞれの範囲内で出来る事をきちんとやってくれたら気づかないうちに高度なメッセージは必ず伝わる。
 しかし、それぞれの範囲内で出来る事をきちんとやれないのが、今の君達だ。だから来年の第34回定期演奏会の開催は不可能である。

 …メッセージが伝わった方々にはたいへん申し訳ないが。…

 次に問題なのは3年生だ。
 確かに、もうすぐ引退だ。来年の事は今の1、2年がする事だ。やっと苦しかったクラブ漬けの3年間が終わろうとしている。開放感に浸りたい気持ちも解らないではない。
 しかしその気の緩みが1、2年にとてつもない悪影響を与えている、という事実に気づいているだろうか?
 授業後のお楽しみでクラブに来るな!きちんと練習する気がないのなら、引退で構わないから6号棟に近づくな!怒りというよりも、切なるお願いだ。

 3年間クラブをやってきて特に今年の夏は大変だった。でもそれも終わり、一段落ついた。その時に私は言ったはずだ。
「これから3年生は最後の大仕事がある。1、2年に伝えることだ」と。
 その意味を結局何も解っていない。解っていないどころか、気づかないうちにどんどんクラブを窮地に追いやっている。「気づかないうちに」という事が又やっかいで、自分ではそんなまずい事してるつもりはまったくなく、最後の大仕事をやっているつもりでいたりするから本当に始末が悪い。

 自分が満足したら後はどうでもいいのか!

 1年生も1年生だ。
 もうぼちぼち色々なことが解ってきて、自分から何でもやれていいはずなのにその気配すらない。いまだに人の顔色伺って右往左往している。にもかかわらず人の話を上の空で聞いている。
 私は、そういう人を「やる気の無い人」と断定する。
 この東邦高等学校吹奏楽部(きちんとした音楽をやるための)には「やる気の無い人」は要らない。荷物をまとめて帰っていただいて結構だ。

 この文章を書いていると無性に情けなくなってくる。

 最近体の調子が良くない、というより悪い。「体調不良」と書いた紙切れ一枚でクラブを休める君達がうらやましい。椅子に座っている事もつらい。つらいから床に寝っころがって色々なことを考えている。そうすると一瞬脳裏をよぎる言葉がある。 「過労死」

 たとえ過労死するとも私は吹奏楽を、音楽をし続ける。理由はWIND MESSAGE 5に書いた。出来るならばもう一度読み返してほしい。理解できるまでなんども読んでほしい。そして、最後の行の「できるならば…」という意味を良くかみしめてほしい。念のために別の言い方で書き直しておこう。

 私は吹奏楽をし続ける。たとえ東邦高等学校吹奏楽部と一緒でなくても……。